8月28日   そこにある競馬
 今年、高崎競馬場の閉鎖が本格的に近づいてきたとの報道があった。今年なくなってしまうのは高崎か…、との思いを抱いていた矢先に宇都宮競馬が本年度を持って終了の記事が掲載されていた。目を閉じると、一度だけ訪れた宇都宮競馬場の姿が映し出される。もう、あの時は小さいパドックなんて慣れっこだった。客の数が少ないのに、いちいち驚いたりもしなくなっていた。パドックの側のベンチに腰掛け、団子を食べながら予想した。年末だというのに、そんなことを一切感ることなどないのんびりした空気が気持ちよかったことを覚えている。ただ、元気がない。それは痛烈な思い出として残っている。その競馬場が今年度で消える。

 今日、初めて訪れた高崎競馬場も今年度で消えてしまうかもしれない。そうでなくとも、遅かれ早かれ廃止はされてしまうだろう。もし、高崎競馬に廃止の心配などなければ、この時期に訪れていたかはわからない。いや、また先の機会に伸ばしていただろう。高崎競馬の空気を感じ、そこで行われる勝負を見たい。これ自体はどこの競馬場を訪れるときでも変わらない。でも、そこに「早く行かなければ、行けるときに行かなければもう見るチャンスがない」思いが加わわった今日、幾つも「高崎競馬」を感じるたびに、廃止の言葉が脳裏をよぎる。こんなことなら、もっと早くただ純粋に「高崎競馬」しに行くんだった。

 1着賞金は20万とか15万。距離は1330、1400、1500。しめきり10分前の単勝という票数が32票なんていうレースもあった。ゲートの上限もあり、ほとんどが8、9頭立て。この時期に2歳戦がない。出走する馬の多くは、前走で同じレースを走っている。そして、その多くは中1週。足利や上山、そして宇都宮で見た光景と同じ。ただ、一見さんさんのおれにとっては、目の前のレースが地元にとってはマンネリであろうと関係ない。その勝負が熱く燃えれるものであればいい。それでも、そのプログラムを見たとき「終焉近し」を感じないわけはなかった。

 マルがいて、水野がいて、内田がいる。連対率が3割を超える騎手が数人もいる。旅先の競馬はそこのリーディング上位を狙うくらいしか、馬券予想の根拠がない。彼らは期待通りに毎回馬を持ってきた。彼らの乗る馬がメンバー中で能力上位に集まるというのはどこの競馬場でもある当然の理屈。でも、それにしても直線の追いあいは迫力があった。今日は土曜日、裏で中央競馬が開催されている。でも、この小さな競馬場でも、ひとつの勝利を争う熾烈戦いが繰り返されていた。ここでは日常の光景、おれには非日常の光景。でも、それを見れたこと、それで熱くなれたこと、競馬に大きさは関係ないんだ。内馬場から見た向正面の位置取り争いは、中央でもどこでもあんなに間近で見たことがなかった。一瞬で通り過ぎた馬群だったけど、あの息の詰まる一瞬は今でも脳裏に焼きついている。周りに人が全然いなかったことも多分に影響するが、非現実の世界のようだった。

 もつ煮込みが旨かった。アイスコーヒーに、梨までサービス。一体、このおばちゃんは何年ここで客に笑顔を振りまいているんだろう。いらぬ心配をしてしまうのは仕方ないと自分に言い聞かせることとする。でも、どうしたってそうしてしまう。競馬との距離だけが近いんじゃない。人とだって、近すぎるくらい近い。だからどうしたって、考えちまうんだ。

 最終レース。一団がゴールを目指す中、一頭の馬が故障し、競走を中止した。スタンドを見ても、その馬の姿を見続けるものはまばら。こんな光景慣れているのか、それとももう見ていられないのか。数少ない観客が帰路につく中、その馬は馬運車に乗せられる。中央から転厩してきたこの馬は、高崎に来ても勝ち星に恵まれていなかった。華やかな舞台で走り、現在はその対極に位置する競馬場で勝利を掴むために走っていた。彼の今までのことは何も知らない。ただ、今日彼が故障したことは事実である。必死に戦っている高崎競馬場の一員が、戦線離脱したんだ。丁度、そのとき雨が降り始めた。急に現実に戻された気がした。雨に濡れながら見たあの光景は、力なきもの、時代に乗れなかったものが否応なく潰されるという、地方競馬を表しているようでならなかった。

 帰りのバスの中。年配の方で埋め尽くされた中で耳にした。「老人の遊ぶ場所がどんどんなくなる」。いまや、インターネット投票が当たり前になり、家にいながら全国どこの馬券でも買える。しかし、それは彼らにとって「競馬」ではない。馬の空気を感じ、レースに一喜一憂し、その結果を仲間と語り合う。バスの中では、おれたち2人以外はみんな知り合いなのではないかという空気に、競馬を通じた人間同士のつながりも感じることができた。また、競馬場では子供連れが多く見られた。その温かな笑顔は、見ているこちらも微笑んでしまうようなものだった。長い歴史の上に、地域に根付いている高崎競馬。人間の匂いを痛いほど感じる高崎競馬。彼らの高崎競馬。そして、これはきっとどこの地方競馬でも同じ。そして、それこそが最高の魅力なんだと思う。

 大きな権力もなければ、救えるほどの経済力もおれにはない。ただ、経営問題だけで競馬場を潰していいのか。潰すのは簡単だ。今まで、我慢してきたのもわかるが本当にそれでいいのか。じゃあどうしろと言われれば、救える案すらおれにはない。自分の言ってることが無茶苦茶だとしても、赤字を受け入れても残すべき価値はないのか。今日、たくさんの人間を見て、そう思った。

 今日のことは、一生忘れない。そして、グレイサイクロンの無事を祈る。

8月24日   ネイティヴハート
 見事なまでのカルストンライトオのレースぶりに、馬の適正ということを考えさせられた。もし、もっと早く日本に直千ができていれば幾多の名馬がスピード王として名を残していたか。これを言ってしまえばキリがないけれども、適正を存分に生かして競馬史に名を刻んだカルストンライトオに能力だけでなく、時代の運を感じてしまう。あの馬のスピードは天下一だった、100メートルのレースがあれば間違いなくあの馬が勝った、などの競馬好きにはたまらない会話もこういったスピードだけを競うレースが実際に生まれると、想像や感覚だけではなく、実績、具体的に言ってしまえば重賞勝ちだね、そういった要因が大きく含まれてくる。外枠有利、外ラチに集中するという直線に見苦しさも感じるが、今まで想像でしかなかった競走馬の能力対決が重賞という冠付きで行われるレースはやはり見ていて燃える。

 重賞勝ち馬。自身を競馬史に記録として刻める馬。毎週誕生するのに、ほんの一握りでしかない。どんなに負け続けても、ひとつこの勲章があるだけで、その馬は輝きを持つ。一方で、重賞を勝てない馬。どんなに強い相手に負けても、鼻差で負けても、その馬は記録には残らない。その差を考えるとき、必ず思い浮かぶのがステイゴールド。彼が紙一重で得た勲章は、それ以前のG1レースの2着より、何倍も価値があるものに思われた。その後彼は、2つ目の重賞どころか海外重賞やG1まで勝つという名馬の勲章まで得たが、あの目黒記念はひときわ輝きを持つものに感じる。

 2004年アイビスサマーダッシュ。どうしても重賞を勝たせたかった馬が出走した。地方競馬所属の芝馬ネイティヴハート。

 彼を初めて知ったのはアイビーS。あの頃はまだデビュー歳を3歳と呼んでいた頃だった。盛岡で連勝し、アイビーSも勝利。続く初めての重賞挑戦の京王杯は惜しい2着。同時期に笠松・フジノテンビーがデイリー杯を勝利し、この世代は地方競馬所属のこの2頭が引っ張っていくのかとどきどきしたことを覚えている。京王杯でもネイティヴハートの強さは見てわかったし、重賞勝利もいずれ当然のものと思っていた。しかし、G1朝日杯、ニュージランドT、そして再びG1NHKマイルと僅差の敗北。彼の強さが頭から離れないおれは、彼の馬券をよく買っていた。そして、常にもどかしい気持ちでいっぱいだった。勝てなそうで勝てないのではなくて、勝てそうで勝てない。この悔しさはいくら経験しても、慣れるものではない。同期・フジノテンビーはクラシックを前にJRAに転厩。トライアルに人気で出走したが、惨敗。ユニコーンSこそ連対したが、彼のJRA所属成績はデイリー杯時の彼の面影は全くなかった。しかし、彼は重賞を勝っている。一方で確実にフジノテンビーよりもJRAのレースで良績を残し続けるネイティヴハートは、無冠。2頭とも好きな馬なので、フジノテンビーがどうということではなく、無冠のネイティヴがにどうしても重賞を勝たしてやりたいと思った。岩手から船橋に移籍し、地方競馬所属ながらJRAレギュラー組となって走りまくるネイティヴハート。オープンは勝つ。でも重賞が勝てない。果敢にG1にも挑戦し、決して恥ずかしくない勝負を繰り広げているように思う。でも重賞が勝てない。だから、この紛れのない直千・アイビスで、しかも鞍上は信頼できる石崎騎手で、彼の重賞制覇を期待した。結果はカルストンライトオに完敗の3着。悔しいが、彼にはまりすぎる3着という惜敗。彼に栄冠を授けたい。その思いはまた次走にかけることになる。

 ネイティヴハートの次走はセントウルSを使い、スプリンターズSの権利を狙うという。恐ろしいほどの執念を陣営に感じるとともに、権利だけではなくタイトルをもぎ取ってもらいたい。それだけの力があると思うから。そしてまた、あのフジノテンビーも未だ現役で走り続けている。JRAから船橋を経て、現在は古巣笠松へ戻ったとのこと。あの輝きを今一度見せてくれることを祈りながら、彼のこともまた応援していこうと思う。

8月20日   ネオユニ
  底力が足りなく見えるゼンノロブロイ。適距離がいまだつかみづらいリンカーン。明らかに瞬発力勝負では頂点に立てそうにもないザッツザプレティ。やはり、中距離戦線を引っ張っていくのはネオユニヴァースしかいない。今年は復帰できそうにもない故障も、「来年に…」の期待でなんとか秋を耐えることに競馬脳が落ち着いた矢先の引退。ただ、一言で寂しい。それにつきる。

 思えば恐ろしい馬だった。サクラプレジデント、ゼンノロブロイとことごとくおれが最強と見なした馬を完膚なきまでに倒したクラシック。衝撃の宝塚記念出走もあった。着順も胸を張っていいものと思えるが、それでもスタートさえ五分ならば勝ち負けになっていたと思えるほどのレースぶり。「ダービーの次走が宝塚」は燃えた。初めて3冠馬を目の当たりにするかもしれないという経験をさせてくれたのも彼。菊花賞では、半ば強引なルール改正を行わせたなんてこともあった。今となってしまえば、あのとき彼を応援していても良かったかな、と。あれからまだ1年もたっていないことが信じられないくらい、途方もない時間が過ぎた気がする。ジャパンカップは良馬場で見たかった。重も苦にしないのは十分承知の上に、タップダンスの勝利はフロックでも何でもないことを理解しても、「違った形」を見たかった。やはり、ダービー馬の東京2400は特別だ。勝てなかった秋で今春、無冠の同世代と同じくくりの4強とされたのはかなり失礼なことだったかな。大阪杯でマグナーテンに競り勝ったとき、マグナーテンレベルと僅差をしているようじゃ的な声も聞いたが、いやいやあれがネオユニヴァースだと思ったね。並んだら絶対負けない、スプリングSを彷彿させる直線はただ単に勝った以上のパフォーマンスに思えた。適距離の秋はやっぱりこいつか、とロブロイ好きには厄介だと思いながらも宝塚が、秋が楽しみだった。

 こう振り返るとたくさん思い出がある1頭だと改めて思う。「競馬」をたくさん感じさせてくれる馬だった。もっともっと感じさせてくれる可能性を秘めた馬だけに、やっぱり引退は寂しい。 

8月12日   3連単は一撃で変換されねえよなやっぱり
 いきなり横にいる男が5万馬券をとったのだ。衝撃を与えるには十分すぎるほどの先制パンチ。あついね、3連単。

 今までも何度か購入したことはあったものの、あくまでそれはお祭りでしかなかった。しかし、中央競馬に3連単導入開始となればそういうわけにもいかず。予行とでもいおうか、5万馬券を目にしたことも相まってその日は全レース3連単を買うということに。

 3連単=高配当という図式をいつの間にか体に染込まされていながら初対面を迎えた3連単。しかし、どうにもこうにも配当が読みづらい。5万馬券だって、新聞の印と3連単イメージの結果では10万は軽く超えるものと思っていた。一方で人気馬だけで決まっても、そんなに低い配当ではない。買い続けて感覚を研ぎ澄まさないと取り残される恐れあり。率直に感想を言えば、配当も高く面白い馬券であるけれども、勝負レースでは買いにくい。午後いちからメイン前くらいまでは買えるとしても、メインで張ってやろうという気持ちにはなかなかなりにくい。というのも、今後3連単を買うにあたっては、どうやらボックスで買うことになりそうだ。といっても、4頭ボックスで24点。24点。ありえねえ。なので、3頭ボックスの6点ということになる。これは、もうただただ1点抜け馬券を持っていたときの自分へのダメージが致死量になることが考えられるからである。耐えられない自信があるからである。もともと、馬券は、というより予想はいかに少ない点数で仕留めるかに美徳を持って競馬をしているから6点でも多すぎる。単勝1点とそこからの馬連2、3点という馬券が、佐久間イズムを体に取り入れながら競馬に臨み、自分のスタイルとして確立されているおれ。馬券はいかにリスクを少なくするかより、いかにかっちょ良い馬券で仕留めるか。これに重きを置いている以上、3連単の扱いが非常に難しい。ただこれからは中央競馬のフルゲートでの3連単。北野氏の最近のコラムが大げさではなく、現実にその日そのレースで人生が変わる者が出てくることは必ずあるだろう。そういう馬券としての競馬に夢が広がること自体には、競馬に大いなる魅力が加わることには間違いない。そして、生涯忘れることは絶対にない共同通信杯における鞍上後藤のマイネルモルゲンのように、ゴール前でおうのをやめて4着に成り下がるということが島流し程度の罪ではなく、終身刑に値するほどになってしまうのもまた間違いない。

 来たるべき中央競馬3連単。とにもかくにも、楽しみで仕方がないのも間違いないことである。