| プロ野球の父 | 正力松太郎 |
| 日本のプロ野球界の父。初代コミッショナーに就任。 その功績が認められ「正力松太郎賞」などという物もある。 正力は戦前は警察庁官房主事で警察ナンバー2の役職であった。悪名高い特高警察を指揮していた。 1923年、虎ノ門事件で罷免される。 1924年、直属の上司だった後藤新平(内相)の援助で地方新聞社であった読売新聞を買収した。 1931年、全米オールスター選手を招待している。日本にはプロ野球チームがなく17戦全敗。しかしこれにより読売新聞の発行部数が30万部を越えた。 1934年に第2回日米野球の盛り上がりを見てプロ野球、読売ジャイアンツの前身となる「大日本東京野球倶楽部」を結成する。 戦中には現在の報知新聞を買収している。また国家政策にも大きく携わり岸信介の推薦で貴族員議員になり、小磯内閣の顧問をしている。 戦後は戦犯で公職追放、追放解除後、1954年衆議院初当選で異例の科学技術庁長官として鳩山内閣に入閣する。現在の原子力事業の土台を築いている。鳩山一郎とは戦前の警察官僚の頃から付き合いがあったらしい。彼の野心は閣僚だけではおさまらず内閣総理大臣をめざす為に自分の派閥「風見鶏」を作る。その中には後に総理大臣になる中曽根康弘もいた。しかし野望は実現することなかった。 1953年には日本テレビを開局させ後楽園球場の試合中継を優先的にあたえられた。後楽園をプロレス、ボクシング、プロ野球など娯楽の中心にしようと考えてたらしく現在は後楽園遊園地、ホテル、競輪、馬券売り場など総合娯楽施設になっている。その他にも読売ランドがある。 読売新聞社は毎年のようにいろいろなイベントを開催している。正力松太郎の人脈から集まる「宝物」が出展され、展覧会が催されるのであった。最近有名なのが「恐竜展」である。また世界のマスコミが唯一持っているオーケストラが「読売日本交響楽団」である。これは読売グループの大物の葬儀の時に演奏するらしい。 新聞勧誘員はプロ野球、遊園地、展覧会の招待券、割引チケットを配る事によって読売新聞の販売部数を増やしていった。特に後楽園球場の招待券は有効な販売材料だった。 1970年、86歳で死去。 正力は巨人軍に三つの教訓を残している。 「常に強くあれ」 「常に紳士たれ」 「アメリカ野球に追いつけ追い越せ」 |
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