「96年オフ〜97年シーズン終了まで」
| 金銭⇔ロッテ ヒルマン(投手) | |
| 30億円補強の一環として覚えていないが相当な年俸を払ったような気がする。 ロッテとの金銭面での折り合いがつかず巨人に金銭で移籍。パ・リーグ時代には2年間で26勝も上げた。打者の手元で揺れるボールを投げなかなかバットの芯に当てない投球術を持っているらしかった。しかし見る事は出来なかった。 巨人に来れば15勝は堅いと思われたが、移籍後すぐに肩の故障で1年目に2試合、6イニングしか投げずにニ軍。帰国。2年目は大丈夫だと本人が言っていたが、またもや必殺技「肩の違和感」が発生。1イニングも投げない状況を見て首脳陣はぶち切れて自由契約。まるで詐欺。もちろん年俸2億5千万は全部持っていかれた。ドロボー。 |
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| 石毛博史(投手)吉岡佑弐(内野) ↓↑ 近鉄 石井浩朗(内野) |
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| 石井は怪我で2シーズン棒に振ったおかげで、強気に出た近鉄フロントは契約更改時に野球協約違反の60%ダウンを提示され、石井が激怒、自由契約主張した。おそらく近鉄にはここまで問題が大きくなるとは思っていなかったはず。パ・リーグ会長の仲裁でトレードに決着した。それで選手の余っている巨人がトレード相手になった。その前から近鉄とはトレードをよくしていたのもあるかな?石井は巨人在籍中は主に代打として活躍。清原の調子がいくら悪くっても石井のスタメンはなかった。そして99年トレード直訴してロッテに移籍した。惜しい選手を無くしたものだ。 いっぽう巨人は抑えとして使えなくなった石毛、力はあるのだが二軍の3番吉岡をトレードの相手にした。 石毛はこの頃になると自分のコントロールに自身が持てなくなり、コントロールを重視するあまり持ち味の速球もスピードが出なくなった。ほとんどノイローゼ状態である。 吉岡は投手として巨人に入ったが、打力が認められ打者に転向。二軍では打ちまくり一軍に上がる機会はあるものも守る場所が無く、飼い殺し状態。 近鉄移籍で二人の人生は大きく変わったのであった。 移籍後、吉岡は徐々に実力を発揮。97年から7番に定着。なくてはならない選手になった。もう巨人にいた事を忘れてるいる人もいるかもしれない。吉岡にとってこのトレードで野球人生がようやく始まったのであった。 一方石毛は相変わらず四球恐怖症から逃れられずにいた。抑えだから緊張して四球を出してしますのだとの考えで先発をした事もあるが、結果は変わらなかった。そうこうしている内に99年の契約更改で30%ダウンを提示されていた。石井と同じく野球協約違反。これはしょうがない結果だが。 このように3人はまったく違う運命をたどるのであった。結局成功したのは吉岡だけ。もともと実力があっただけに、試合に出ればこのぐらいの活躍は出来ると思っていたが。石井はロッテでやり直してほしい。 *石井、石毛、吉岡について詳しい事は元巨人軍で。 |
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| FA移籍(金銭)←西武 清原和博(内野) | |
| 87年日本シリーズで巨人に勝った事で泣いてしまうほど巨人が大好きであった。8年間FA権がもらえるまで西武で頑張ってきたが、巨人に移籍(5年契約)した頃には清原の全盛期は終わっていた。多分彼の全盛期は高校3年から西武5年目ぐらいまでだと思う。 1年目こそは本塁打31本と打ったがその後はパッとしない成績。清原が移籍したきた97年から優勝が出来なくなってしまった。これは一説によると清原を4番で使っている為とも言われている。本当に2000年こそは頼むよ。どんな事が有ってもスタメン4番なんだから。 一方清原を出した西武は、森監督を支えたVナイン、辻、石毛、渡辺、秋山、石井、新谷、田辺らを放出して、上手く若手を登用し東尾色に染めた。もし清原がいたとしても、結果は清原はトレードに出されていたと思う。巨人もこのぐらい思いきった人材登用をして欲しい。 清原移籍によってもう一人の球界を代表する選手が巨人を去っていった。その選手は俺流で有名な落合博満。彼は巨人3年間在籍で2度の優勝。1度の日本一と長島内閣を支えた重要な選手。清原移籍でファーストでのスタメン出場の減少、首脳陣からはコーチ兼選手でと言われたが、あくまでも現役にこだわる落合は承知するはずはなかった。そして球団側は「名誉の自由契約」で落合の今までも功績で答えた。その後ロッテに移籍するが落合の高年俸がチーム内に不和を招くなど、大した成績を残すことなく3年間で現役引退。私は清原より落合が好きでした。彼にはコーチとなって巨人に戻ってほしい。 |
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