「97年オフ〜98年シーズン終了まで」



小原沢重頼(投手)⇔ロッテ 榎康弘(投手)






中途半端な即戦力第3弾。
私は小原沢の名前は忘れないだろう。名前の重頼、今時このような名前があるとは思わなかった。戦国時代とかに有りそう名前である。

小原沢は91年に巨人にドラフト3位で入団。中途半端な即戦力だった為に、一軍では時々先発したり、時々中継ぎで投げてみたりと、時々予測以上に働くので変な期待をしていた為に、なかなかトレードに出せなかった。結局使えない事が判明するまで6年間がかかってしまった。

相手はロッテの榎。94年に7勝を上げる成績を残している。小原沢と同じぐらいの成績で釣り合っているような気がした。

小原沢はロッテ移籍後ほとんど姿を見せずいつのまにか引退してしまった。その後、玩具屋の店長をしているらしい。

榎は巨人の二軍でのエース各に成長。99年は二軍で7勝を上げ、一軍にも上がった事があったが、メタメタに打たれて即二軍行き。その後オフの大量補強の余波をうけ自由契約。そして古巣のロッテに帰るのであった。巨人での2年間の修行の成果を見せて欲しい。



木田優夫(投手)⇔オリックス 野村貴仁(投手)
97年の宮本の引退で巨人の中で左腕投手と言われる投手がいなくなってしまった。一様川口、河野がいるが両方とも高齢で1年間活躍できるか不安だった。そこで96年の日本シリ−ズで松井を完璧に抑えた野村に白羽の矢がたった。野村は長島監督が下手ホメしてたので問題無くトレードが成立したのだろう。木田は「寝耳に水」であっという間にオリックスに行ってしまった。その後目標の大リーグへ。巨人にいたら多分大リーグに行かず、先発、中継ぎ、抑えと便利屋になり、普通の野球人生になってしまっただろう。マネーもいいしね。木田にとっては人生の分岐点になったはず。

野村はオリックス時代はパを代表する左腕投手であった。7年間で平均33試合を投げ、防御率も2点台後半の成績。巨人に来ても同じぐらいの成績を残してくれると期待したが、新天地の水が合わなかったのか1年目はほとんどいい所が無く、99年は後半戦だけだが存在感をアピールした。来年こそはシーズン通して働いてほしい。



阿波野秀幸(投手)⇔横浜 永池門他(内野)
阿波野は94年オフに香田とのトレードで巨人に移籍。左腕投手として期待されたがボーク後遺症が治らず、ワンポイントとしても使ってもらえなかった。実績、能力はある投手なので使い方しだいで復活するかと思ったがダメでした。近鉄時代の恩師権藤監督の横浜に移籍し、拾ってくれた横浜の為に便利屋として頑張り、99年、98年と合格点の与えられる成績は残した。

永池は横浜では、ほとんどスタメン選手が決まっているので必要なくなった。永池は内野ならどこでも守れるらしく代走、守備堅め要員として辛うじてベンチに入っている。時々長島監督のカンピュータ−が永池をスタメン出場で働く事もあるが、ニ岡、田辺の加入で今以上に出場の機会が減りそうである。



巨人⇔日本ハム 自由契約 金石昭人(投手)
広島、日本ハムと渡り歩き最後に辿り着いたのが巨人。広島時代には86年に12勝を上げ大野、川口の3本柱で優勝。その後91年オフに自由契約。日本ハムにはテストで入団。移籍1年目の92年には14勝12敗と復活。それ以降はストッパーとして4年間で78セーブも上げ古巣広島を見返した。

96年オフの落合の入団での年俸問題(落合が高年俸の為に他の選手が上がらなかった。、97年に上田監督(当時)の宗教問題
で球団と対立し、97年には干されてしまい6試合に登板したのみ。97年オフに自由契約になり巨人にテスト入団。98年と言えばストッパーが不在な事もあり、日本ハムでのストッパーとして実績のある彼を入団させたらしい。しかし実は金石は400勝投手金田の従兄弟にあたり、それもあってか簡単に入団。

98年1年間の在籍だったがヤクルトとの開幕戦の9回ニ死満塁を抑えたのだけが記憶に残る。



巨人 大森剛(内野)
↑↓
近鉄 南真一郎(投手) 背尾伊洋(投手)
シーズン中のトレードで万年ニ軍の4番であった大森とあまり名前を聞かない南、背尾とのトレードが成立した。

大森には1対2の名誉なトレードであり、大森を過大評価しすぎていたのかも。元木をドラフトで外してまで指名したのに全く働かなかったというより働く機会が無かった。一塁には落合、駒田、広沢、石井、清原と強打者が揃っていた為。近鉄移籍時には佐々木監督(当時)にはかなり期待され、いきなり5番を任されたがさっぱり。二軍に落ちた後はケガで一軍に上がる事もなく引退した。引退後巨人のスカウトに就任。

南は99年は貴重な中継ぎとして働き存在感を十分アピールした。顔に似合わず実は若く(27)これからの成長が楽しみである。背尾の姿は未だに見ていません。



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