戻る
ドラゴンズ・データバンク
これまでのドラゴンズのシーズン勝敗をグラフで表してあります。各々の年の勝敗表のページからExcel書類もダウンロードできます。
データは徐々に増やしていきますので、ご期待ください。
これまでのドラゴンズ成績
-
2014(H26)年
谷繁兼任監督就任も、主力の故障に対応できる世代交代が間に合わずに、4位(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2013(H25)年
4位とはいえ、セ全球団に負け越しの実質最下位(by 高木監督)(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2012(H24)年
ジョイナス元年はすべてに詰めが甘く、大きく読売に離されての2位。(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2011(H23)年
打撃陣絶不調も鉄壁の投手陣の活躍で10ゲーム差からヤクルトを逆転して、球団初の連覇!しかし、落合監督解任orz(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2010(H22)年
浅尾、和田の大車輪の活躍で、最大8ゲーム差を逆転優勝!(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2009(H21)年
新戦力ブランコと吉見、チェンの活躍により、ウッズ、川上の穴は埋められたはずだが、読売に大きく負け越して2位。(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2008(H20)年
山本昌200勝の踏ん張りも、中田の不調と朝倉、山井の故障でご破算。打線もリーグ最下位では、3位が精一杯。(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2007(H19)年
福留を欠き、期待の李は実力が発揮できず。森野のがんばりと、中村紀の補強だけでは埋められず。中読神の混戦の末に2位。しかし、ポストシーズンの圧倒的な闘いぶりで53年ぶり日本一(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)(日本シリーズの結果はこちら)
-
2006(H18)年
投打それぞれに2枚看板が活躍、落合監督2度目の優勝(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2005(H17)年
交流戦の誤算と自慢の投手陣のほころび。阪神にせまるも2位(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)(カレンダーはこちら)
-
2004(H16)年
落合監督就任!補強なしのオレ流ドラゴンズで優勝!(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)
-
2003(H15)年
エースの故障と4番不在で、14.5ゲーム差の2位(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)
-
2002(H14)年
山田ドラゴンズ元年は投手陣に故障者が続出。リナレスも空砲では3位(勝敗表はこちら)(スコアはこちら)
-
2001(H13)年
タイムリー欠乏症で投手陣を見殺して5位(勝敗表はこちら)
-
2000(H12)年
看板の投手陣が崩壊、巨人の独走を許して2位(勝敗表はこちら)
-
1999(H11)年
強力投手陣を擁し、開幕11連勝でナゴヤドーム初優勝(勝敗表はこちら)
-
1998(H10)年
関川、李を活かした機動力で善戦したが、天王山で3連敗。横浜に追いつけず、2位(勝敗表はこちら)
-
1997(H9)年
ナゴヤドーム元年は全てがチクハグ、6位(勝敗表はこちら)
-
1996(H8)年
ナゴヤ球場最後の年にくやしい2位(勝敗表はこちら)
-
1995(H7)年
投手陣が大崩壊、監督代行まで退任。5位(勝敗表はこちら)
-
1994(H6)年
失速した読売を捉えるも、10.8決戦に敗れ、2位(勝敗表はこちら)
-
1993(H5)年
今中、山本両左腕による追い上げも、終盤に息切れ。2位(勝敗表はこちら)
-
1992(H4)年
高木元年は混セに置いてきぼり。優勝争いに絡めずに最下位(勝敗表はこちら)
-
1991(H3)年
星野監督辞意表明も甲斐なく、じりじりと降下し2位に(勝敗表はこちら)
-
1990(H2)年
1強5弱で、読売の独走。落合・与田の活躍だけでは、4位(勝敗表はこちら)
-
1989(H1)年
広島・読売の開幕ダッシュに乗り遅れ、3位(勝敗表はこちら)
-
1988(S63)年
投の郭、打の落合を中心に7月ダッシュで優勝(勝敗表はこちら)
-
1987(S62)年
近藤真一の読売戦ノーヒットノーランも実らず。夏までは優勝を争うも、2位(勝敗表はこちら)
-
1986(S61)年
山内監督は7月に解任、高木に代わるも結果は同じ、5位(勝敗表はこちら)
-
1985(S60)年
小松の孤軍奮闘も虚し、5位(勝敗表はこちら)
-
1984(S59)年
恐竜打線爆発もふがいない若手投手陣と中尾の怪我で広島戦を大きく負け越し、2位(勝敗表はこちら)
-
1983(S58)年
優勝の翌年、若手の油断!一度も浮上できずに5位(勝敗表はこちら)
-
1982(S57)年
走攻守の要の中尾の活躍で逆転し、優勝をセ最終戦で決める(勝敗表はこちら)
-
1981(S56)年
近藤ドラゴンズ元年はスタートダッシュのみ。打線の活躍も不調投手陣を助けるまでには至らず5位(勝敗表はこちら)
-
1980(S55)年
谷沢一人の頑張りだけではどうしようもなく、一度も浮上することなく最下位(勝敗表はこちら)
-
1979(S54)年
小松、藤沢の活躍で混セを踏ん張ったが、夏休みが終わると広島に一気に引き離されて3位(勝敗表はこちら)
-
1978(S53)年
中ドラゴンズ元年も投打ともに全くふるわず、ペナントレースに参加できず。ヤクルトの初優勝を尻目に5位(勝敗表はこちら)
-
1977(S52)年
前年から続く人工芝恐怖症が響き、後半戦で巻き返すものの、首位から大きく離されての3位(勝敗表はこちら)
-
1976(S51)年
谷沢、マーチンが奮闘しても、投手陣に誤算。人工芝になった後楽園で0勝12敗1分、4位(勝敗表はこちら)
-
1975(S50)年
終盤、広島に付いていけず、惜しくも連覇を逃して2位(勝敗表はこちら)
-
1974(S49)年
盆明けからの攻勢で逆転・逃げ切り、巨人のV10阻止!20年ぶり2度目の優勝!(勝敗表はこちら)
-
1973(S48)年
中日は夏バテで脱落し、3位。混セは最後の最後で巨人が逆転V9(勝敗表はこちら)
-
1972(S47)年
与那嶺監督就任。読売キラー稲葉を中心に、読売コンプレックスを一掃し、3位を死守(勝敗表はこちら)
-
1971(S46)年
要の木俣、若手の星野仙、谷沢、島谷、大島らを育成して、2位に。水原監督勇退(勝敗表はこちら)
-
1970(S45)年
“黒い霧”とチーム内の確執でエースと4番を失ってはまともに戦えず、5位
-
1969(S44)年
ドラゴンズブルーのチームカラーとともに名将水原監督を迎えるも、4位
-
1968(S43)年
日本球界初のおしゃれなノースリーブユニフォームも、キャンプ直前の監督交代と中、高木の怪我などにより、最下位と報われず
-
1967(S42)年
エース小川29勝の力投も、純血打線では迫力不足で、万年の2位
-
1966(S41)年
読売戦6勝20敗では、昨年に引き続いての大差の2位どまり
-
1965(S40)年
14連勝しても、13ゲーム差の2位。江藤が首位打者で王の三冠を阻止して一矢を報いたのみ
-
1964(S39)年
開幕カードで3タテを食らうと、立て直せずに2リーグ分裂後初の最下位に
-
1963(S38)年
日本球界初の現役大リーガーのマーシャルとニーマンの加入により全球団に勝ち越すも、首位には及ばず2位
-
1962(S37)年
2年続けての主力のトレード旋風も失敗。しかし、日本初の大リーグ経験者の助っ人により、なんとか3位に
-
1961(S36)年
新人権藤の大車輪の活躍も、一歩及ばず、2位(勝敗表はこちら)
-
1960(S35)年
前半戦首位ターンも、後半に息切れし、投壊。2リーグ後初のBクラスの5位に
-
1959(S34)年
33歳杉下監督が若いチームを率いて後半戦で調子を上げ、首位とは大差ながら阪神と同率の2位
-
1958(S33)年
日本一メンバーの退潮に、若手の伸びが間に合わずに3位
-
1957(S32)年
天知監督が三たび就任してチームをまとめるも、.219の貧打戦に投手が音を上げ、逆転で優勝を逃がして3位
-
1956(S31)年
投手の若返りを推進するも、打線が機能せずに3位
-
1955(S30)年
天知監督の辞任により野口新体制となるが、準備不足で大差の2位
-
1954(S29)年
快腕杉下の巨人戦11勝の活躍で初優勝、日本一!(勝敗表はこちら)
-
1953(S28)年
天知監督が再び就任するも、エース杉下の故障が響いて3位に。中日球場で初ナイターが開催
-
1952(S27)年
若い坪内監督がまとめるチームは、西沢、杉山と打線は活発だったが、投手力が足らずに3位
-
1951(S26)年
名古屋ドラゴンズとなるが、読売に独走を許して、2位。中日スタヂアムが焼失。
-
1950(S25)年
セリーグ元年は、スタートダッシュに成功するも、松竹ロビンズに逆転されて2位に終わる。
戻る