
| 12月11日 | 朝、起きて状態は全く変わらず、別の病院で診てもらうことにした。家を出る前に電話で目的の病院に受付時間を確認し、妻に運転してもらい病院へと向かった。車の中では座っている状態がとても辛かったので、後部座席によつんばの体勢で行った。窓越しから映る私の異様な体勢に通り過ぎる車や歩行者の視線を感じるも人の視線などに恥じている余裕はなかった。とにかく、早く病院に着いてくれ!しか頭にはなかった。 ようやく、病院の駐車場に到着すると、またもや傘を杖代わりにして整形外科の外来受付まで行こうとするも、かなりの痛みが出てなかなか前に進めない。もう、歩くのも、立っているのも、座っているのも、じっとしていても痛みと痺れが猛烈に襲っていた。いつの間にか、外来の待合室のベンチ1つを占領して、横たわっていた。 診察室に呼ばれ、今までの症状・治療状況そして現在の症状等を医師に話した後、レントゲンを撮ってもらい、その後また診察をしましょう、とのこと。痛々しい姿でなんとか自力でレントゲン室まで行き、再度診察室に行くと、やはり”腰椎間板ヘルニア”の可能性が高いと言われ、その後ベットに仰向けに寝かされ、”ひざを曲げずに脚を上げてみましょう”といわれ、左は痛みもなく楽に90度まで上がったものの、右は少し上げると全身に電気が走るような激痛が走った(おそらく、30度も上がっていなかったと思う)。それを見て、”これは、症状がひどいですね。仕事もするのは厳しいだろうし、今日から入院して治療をしていきましょう。”とサラッと言われた。一瞬頭が真っ白になってしまった。職場への戦線離脱、経験のない入院生活の不安、そしてこの病気から脱却できるかという不安。。。色々と頭を駆け巡った。間もなく看護婦さんが車椅子を持って私の元へ来て、”では、これに乗っていきましょう”と4階にある整形外科の病棟へと運ばれた。車椅子から覗かせる景色というのは、すごく違和感があった。自分が病人であることを視覚で認識させられた感じを強く受けた。 これから入院する病室に着くと、まず質問表の記入(既往症、家族構成、食べ物の好き嫌いやイビキの有無等項目は様々だった)を行い、入院に関わる注意事項の説明やこれからの治療方針を説明された。3週間を目安に治療方針のメニューが書かれている用紙をもらった。急な入院生活になってしまったので、必要なもの(着替えやタオル、歯磨き等)を妻に取りに帰ってもらい、職場や親に入院になったことを告げ、入院しなければ現状ではどうすることも出来ないし、症状は良くならないんだと腹をくくり、治療に専念しようと思った。 しばらくして、痛み止めの注射をこれから1週間に1回腰にするということで、医者と看護婦が1人ずつやってきた。”また、ブロックかよ”とうなだれ気味だったが、あとで医者の説明で知ったのだが、今回した注射は、硬膜外ブロック注射というもので、局部麻酔を施した後、硬膜外腔に直接投与し、痛みや痺れを緩和させるものらしい。で、横向きで寝かされエビのように背中をまるめ、お決まりの半ケツ状態でじっとしているようにと指示された。といってもこの体勢はかなり辛いものがあった。それに加えてこれから注射をされると思うと。。冷や汗が絶え間なく浸ってきた。局部麻酔の注射をされ(これがまたとんでもなく痛い!)、硬膜外ブロック注射をされると腰から痛みのある足先まで温かいものが伝っている感覚だった。痛いところとリンクしている。これは、薬が患部にしっかり通っている証拠だそうだ。注射後1時間、ベット上で安静した後立ってみると驚くほどの右脚の復活に感激のあまり病室を出て廊下を歩いた。”元に戻った!こんなに普通に歩行できるのは何ヶ月ぶりだろう。”入院初日しかもまだ数時間前に来たばかりなのに、明日には自宅に帰れる気にさえさせてくれた。だが、3時間たった頃から、徐々にいつもの痛みの神様が現れ、正常歩行を奪っていった。やはり、1回目ですぐには効かないかぁ、と落ち込み気味であったが、少しはココで入院して医者に言うとおりに治療していけば、完治するのではと、希望の光が差した。 しかし話は変わるが、いきなりの入院で6人部屋にいなければならないというのは、かなり苦痛に感じていた。この日は、この部屋での生活に耐えられるかが一番の心配の種だった。この後、2ヶ月の入院生活の中で色々な人たちと触れることとなっていったわけだが、終わりのほうでは自身楽しんでいた感があった。 |
| 12月12日 | この日の朝から本格的な治療が始まった。といっても大そうなものじゃないが。。痛みを抑える薬と筋肉を緩和させる薬と胃の粘膜の荒れを防ぐ薬を処方され、朝・昼・夕毎食後に飲むように言われた。また、午前中に痛みを抑える点滴を毎日することとなった。これが後々自分には効き目が薄いのにもかかわらず、痛い点滴針をし、この針をつけっ放し(毎日射すのは大変なため、1週間毎の交換)で、点滴中は身動き取れないといった、ストレスのたまる物に変貌していった。あとは特になかった。この日だけかと思ったら、次の日もその次の日も点滴と飲み薬のほかは指示されない。後で、調べたり人から聞いた話だと、痛みを抑える治療を施し、必要以上の動きをせず安静にすることが肝要らしい。じゃあ、家でもできるんじゃないかって?確かにそうかもしれないけど、入院しているほうが、より安静にできるでしょう。だって、ベットしか無いんだから、ねっころがっている機会も増えるわけだし。。 ただ、上半身は至って健康だから退屈してしまうのが、かなりのネックだったけど。。また、病院食にも文句出るね。お世辞にも美味いもんじゃないからね、当然といえば当然なのかもしれないけど。 |
| 12月17日 | 今日2回目の硬膜外ブロック注射をする日になっていた。入院初日のあの驚くほどの痛みや痺れの治まりを思うと心待ちにしていた。なにしろ、12日からは点滴と飲み薬だけで特段、改善が見られなかったからでもある。先週と同じように自分のベットに医者と看護婦がきて、処置をしてくれるようだ。やはり、局部麻酔の注射はかなり痛かったが、それが終わると冷や汗も引いていき、程なくして処置が終わった。前回に比べ、腰から痛みのある足先まで温かいものが伝っている感覚があまり無く、腰や股間周辺に麻痺した感覚の方が強かった。注射後1時間、ベット上で安静した後立ってみようとするが、前回とは明らかに違っていた。痛みや痺れが消えてはいなかった。心身ともに落ち込んでいた。この注射しかないと思っていただけに。。明日の回診で、医者にこの状況報告をして、他に策があれば聞いてみようと思った。とにかくこの痛みや痺れからはやく脱却したい! この日、私の隣のベットに同じ”腰椎間板ヘルニア”の症状を持つ人(以後、Kさんと呼ばせてもらいます。)が入院してきた。50歳前後の男性で、話を聞くと、Kさんは左脚に痛みと痺れが出ていて、自分と症状は全く同じでのようだ。5年前にも同じ症状が出たらしいが、入院になったのは今回が初めてだそうだ。歩行時は、歩行器を使用しないとかなりキツイのだが、Kさんは私よりも遅く、その姿は痛々しく見えた。この病気は、良くなっても再発があるとは聞いてはいたが、Kさんの話を聞いて改めて思った。しっかり直して社会復帰だ!こんな生活に出戻りなんて全く以ってゴメンだからね。 |
| 12月18日 | 今日の回診では、昨日の硬膜外ブロック注射の効果が薄かったのと現症状を伝え、今後の治療方針を聞こうと、毎度ながら美味しいとは言いがたい病院食の朝食を食べながら、頭の中で整理していた。 いつものように10時前後に点滴のセットをしに看護婦さんが来てくれ、その後、”これから回診を行ないます。患者様はベットについてお待ちください。”と放送が流れる。入院生活も1週間程経つとタイムスケジュールが頭だけではなく、体に染み渡ってくる。どうせ、回診は始まりますって言っても、自分の部屋は終わりの方なので、今日も1時間後ぐらいだろうとくだらない予想を立てている。やはり、予想は大体的中し、1時間程して回診が廻ってきた。前もって考えておいた、医者に言うべきことを言い伝えると、少し考えながら”そうですか、硬膜外ブロック注射を何度か行なうとスキッと良くなる患者さんも多いのですが。。では、この注射で注入しているお薬を、背中から管を入れて持続的にお薬を入れていきましょう。この治療の目安は2週間です。どうでしょうかねぇ。”と、提案された。もちろん、今の治療には改善の余地が見られないのと実感していたので、先生の言うとおり行なってもらうようお願いをした。この治療は”持続性硬膜外ブロック”と呼ばれ、注射針の付いたチューブを硬膜外腔に刺したままにしておき、薬を一定の量投与していくものらしい。今までの硬膜外ブロック注射とは違い、常時患部に薬を流しているので、効き目は高いらしい。ただ、この処置はベット上で行なうことが出来ないらしく、麻酔科の範疇だそうで麻酔科の先生と手術室の空き状況で日にちが決まるので、分かり次第知らせてくれるとのことだった。お願いはしたものの、手術室での処置と聞き、そんな大層なもんかと不安がよぎった。 夕食後、看護婦さんが”持続性硬膜外ブロック”の処置は明後日の午前に行なうと告げられた。今度こそ!効いてくれと祈るしかなかった。そんな時、病室の窓からマンションの一室のベランダにクリスマスのイルミネーションがきらびやかに光を発していた。周りが光を放っていないだけに、やけに目立っていた。もうすぐ、世はクリスマスなんだなぁ、と初めて気づいた。例年なら、街を歩いていていやでも雰囲気をもらっているのだが、今年はそれが無かった。。なんとも私にとって感慨深いクリスマスのイルミネーションだった。 |
| 12月20日 | 今日は、一昨日説明を受けた”持続性硬膜外ブロック”の処置の日。午前10時30分にスタートするとのことで、いつも行なっている点滴をそれまでに終わらせなければならないらしく、いつもよりも早めのスタートだった。時間になると看護婦さんが来て、”これから手術室に行きますのでこれに着替えてください。”とドラマでよく見るような草緑色した手術着を渡された。パンツだけを履きその上から着るみたいで、着てみるとなんとも変な着心地であった。着ると看護婦さんがストレッチャーを持ってきて、”これに寝て行きますよ。”と言われ、歩行器で行けるよと思いつつも指示に従った。仰向けに寝て、ストレッチャーで運んでもらうと、なんとも重い気持ちにさせられた。何か自分は大それた病魔の持ち主ではないのかと(ちと大げさか)。。4階の病室から2階の手術室へ行く途中で、エレベーターに乗ったのだが、そこで他に乗っている人の視線が私に注がれているのが、また気を重くしていった。 手術室に到着して、真っ先に何個もランプが付いている円形の照明だった(よくドラマに出てくるのと一緒だぁなんて思っていた)。かなり眩しかった。そこでストレッチャーから手術室のベットに3人がかりで移動させられ、硬膜外ブロックと同様横向きで丸まった状態で寝かせられた。程なくして、”では始めますよ。”となんとも大きいマスクをした医者に言われた。ここでも最初に患部に消毒を施されたが、背中下半分くらいの広範囲に行なうので甚だ疑問に思っていた。丹念に行なわれた消毒が終わると、局部麻酔の注射をされ、これがまた今までのものよりも何倍もの痛さに感じた。今までは、痛さで声をもらすことは何とか耐えうることが出来たものの、今回ばかりは声を出さずにはいられなかった。”いーーーーーーたたったーーー。”全身から吹き出る汗、涙も頬を伝ってきた。もう、この場から早く出たい一心であった。この状態を察してか、助手の一人が私の肩をおさえ、”大丈夫ですよすぐ終わりますからね。”と言ってくる。精神力だけが自分を支えていた。20〜30分くらいかかりようやく終了した。大仕事を成し遂げた安堵感からか、ストレッチャーで病室に帰った後は、用意されていた昼食に手もつけずに眠ってしまっていた。処置後1時間は絶対安静といわれていたので余計だったのかもしれない。 |
| 12月21日 | 起床6時、いつもどおり目が覚めると、右足がいつもと違っていた。本来の痛みや痺れはないのだが、感覚がかなり鈍い。なんか、右足全体が麻痺している感じだった。トイレに行こうとベットから立ち上がると、右足に力が入らず、カクンと転びそうになっていた。あわてて、ナースコールで看護婦さんに来てもらい状況を説明すると、1時間に2ccの一定量を注入しているようだが、時折効き過ぎて麻痺することがあるらしい。そこで、薬の入っている容器と背中に刺さっている管の間に開閉栓があり、効きすぎる場合は薬を注入するのをその栓で止めて調整するらしい。私の場合もこの栓を閉じてもらい、痛みがまた出てくれば、栓を開くのでまた呼んでくださいとのことだった。 30分くらいすると、右足全体の麻痺した感覚はだいぶ取れ、また、本来の痛みや痺れは感じなく調子は良くなった。同じ症状の隣のベットにいるKさんが、私の姿を見て”だいぶ楽みたいだねぇ、昨日の注射かなりいいの?”と聞いてきた。Kさんも私と同じように治療をしているも、回復の兆しが見えずイライラした様子だった。首からぶら下げている薬とその薬から背中まで延びている管を興味深く見ながら、”今日の回診の時に先生に相談してみよう”とKさんは言った。同じ病気で目の前の人が良くなっている姿をみたら、そりゃ誰でもチャレンジしたくなるのは当然のことだろう。 薬の栓を閉じて、8時間後あたりから痛みや痺れがまた現れてきた。看護婦さんを呼ぶと、また、開閉栓を開いてもらい様子を見るよう言われた。その後、6〜8時間周期で、栓を閉めては開けの繰り返しが続いていった。 |
| 12月26日 | クリスマスも終わり、同じ病室の一人のNさんが今日退院していき、もう一人は明日退院が決まったようでかなり嬉しそうだった。二人とも一服仲間だったので、すこし焦燥に駆られていた。この日看護婦さんが年末年始の外泊希望を一人一人聞きに廻って来た。KRさんは、外泊許可をもらい年末年始の予定を嬉しそうに話していた。やはり皆、病院で正月を迎えたくないのは一緒だが、私の場合は管をまだ付けているので外泊の許可は下りなかった。隣のKさんも一昨日から私と同じ状態になったので、病院で正月を過ごすことが決定し、その隣のIさんも同居人のようだ。年末年始をここで過ごさなくてはならないと考えると気がおかしくなってきた。足の状態さえ良ければ。。管をつけていても、薬の栓を閉じてしまうと痛みが現れてしまうこの状況に完治しないのではないのかと、絶望感を余計精神的におかしくしていった。 |
| 12月31日 | 今日は大晦日。年末に退院した人が多く、また外泊許可が出て家に帰っている人もいて、病棟は静けさが漂っている。回診も年末年始はお休みだし、看護婦さんの人数も普段に比べ少ないので、違和感を感じる。症状は相変わらずで、薬を首からぶら下げて、脚が麻痺してきたら(薬が効きすぎてくると)栓を閉めて、痛みやしびれが現れてくると、栓を開けるの繰り返しが続いていた。結局は、自分の症状には効き目が薄いのかと感じ始めていた。これで、効かなければ手術しかない。。(HPで同じような方々の体験記を読んで、このとき既に色々と知識を植え付けていた。)出来ればしたくない!この頃は、とてもじゃないが自分をプラス思考にもっていくことが出来なくなっていた。 夕方頃、続けて友人が見舞いに来て気分を紛らわしてくれた。すごくありがたかった。来年早々には、完治させたい!紅白を見ながら、強く思っていた。 |
| 1月1日 | いつもと変わらぬ目覚めで、新年を迎えた。元旦にしては珍しくあいにくの天気だった。まぁ、病室にずっといる私には天気なんて関係ないや!なんて、ふて腐れ気味。。今日の朝食は、おせちにお雑煮が出た。病院食だというのに豪華なものだった。でも、なんか虚しさを感じた。でも、同じ病室のIさん、Kさんともにこの朝食には素直に感動したみたいで、美味しい!と言いながら食べていた。物心ついた頃からこの日に初詣に行かなかった年はなかったのに、今年は病室に居なければならない自分がなんとも悲しかった。ベットの上で今年は良い年になりますように、と手をあわせていた。 |
| 1月4日 | この日でちょうど”持続性硬膜外ブロック注射”を行なってから2週間が経ち、背中に刺さっている管を取る。取ることには、かなり不安だが仕方がない。昼前に当直の医者に管を抜かれ、今後の予定を尋ねると、”6日から回診が始まりますので、明日までそのまま様子を見て状態を回診で来た先生に伝えてください。”と今後の治療方針は聞けなかった。やはり、この病気は安静が一番なのか?でも、入院して一ヶ月近く、医者の言うとおりにおとなしくして、治療にも拒むことなくこなしてきているのに、良くなってこない。また、病院や医者のせいにもしたくなってきた。いつになったら、退院できるのか?気が重くなる一方だった。 この日の夜は、脚にも腰にも痛みが現れ、眠ることが出来なくなった。管をはずした今、最近全く使っていなかった、座薬を看護婦さんからもらい、痛みや痺れを和らげていた。数時間後には切れてしまうのだが、次の日までは、座薬に頼らざるを得ない体になっていた。6日の回診では、年末年始の間の状況を説明し、”持続性硬膜外ブロック注射”でも変わらないので、他の治療方法を聞いてみよう。もう、手術しかないと言われれば快諾しよう。この状態から少しでも脱却できるのなら、手術も大歓迎だ。とにかくこんな体では、社会復帰も出来なければ、退院すら出来ない。6日の回診を待ち望んでいた。 |
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