| 経歴 | SKIをはじめて履いた頃 | あまり記憶に無いが恐らく小学校低学年頃のような気がする。最初はプラスティックのやつだったかな。お爺さんもSKIやったらしい。見た事ないけど! |
| SeckyのSKIに目覚めるまで | 小学生の頃はほとんど1年に一回か2回程度のSKIでした。埼玉県で生まれ育っているので友達でSKIをする子はほとんどいなかった。親がSKIしていてくれて良かったなって思います。 中学生になると家族での旅行に行かなくなりSKIはやっていなかったような気がする。 本気でSKIに目覚めたのは、高3の冬休み頃かな! たまたま行った苗場のペンションでオーナーのすすめで級を取ったのが始まりのような感じでした。居候といいながらちゃっかりバイト代ももらい目の前の浅貝SKI場でがんがん滑っていました。 SKIルームからすぐに板履いてリフト乗り場に行けるといった絶好のロケーションでした。 休憩時間を利用してはエプロン姿で1本滑ったり時間があれば時間の限りノンストップといった感じで本数をこなしたって感じかな。ほんと好きだったんですね。 |
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| 大学時代 | 大学は埼玉にある聖学院大学というあまり自分とは縁の無い大学に進みました。(キリスト教の大学) そこでは高校からやっていた軽音楽を続けていました。SKIも平行してやっていましたけど。 軽音楽部では高校から唯一同じ大学に進んだ安田というやつとバンドを組み、何度かライブをやったりしたけど、基本的に目立つのは大好き!なかなかギターが上手くならず結構へこたれていました。安田はバンドでメジャーデビューをしジリオンソニックというバンドでオリコン10何番かに入ったことがあるくらいの実力者で音楽の道を選び、今ではプロデュース業をしている。女子アナのドラマの主題歌を歌っている子の作詞作曲とかプロデュースをしたらしい。 |
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| 大学時代2 | 大学3年から体育会系SKI部を仲間を募り作り上げてきました。今では12代は続いているかな! なかなか上下関係というのを築き上げるのは大変で、いろいろな協力があって今のSKI部が存在しているんだなって部員一同の感謝感謝です。今でも現役の連中はコンブレ着て集まりの時は正装で現れます。 岩岳の学生の基礎選にも3年4年と出場しましたよ。結果は3年生のときは1500人中190番くらいだったようなきがします。4年生では200番台だったような?忘れました。準指も受けましたがあまりにも苦痛な準指受験で結果落ちてしまいましたが、今後チャンスがあっても受ける気にはなれないかな! もうその頃はMOGULにはまってました。すっごく楽しかったですよ。リフト下とかは目立つんでいつもゴーグルごしに注目って思いながら。19歳の時からMOGULを始めました。 |
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| MOGULへの目覚め! | MOGULを初めて知ったのは、苗場のペンションでバイトしていた時のお客さんで来ていたアメリカンスクールの引率で来ていた加藤さんという方がMOGULという競技を紹介してくれました。加藤さんは今でもSAJの大会競技委員長とかW-Cupなどいろいろ役員をやっていたりするので今でも会う機会があります。 TVでWowWowの開局記念っていうのでPRO MOGULテイネ大会を見ました。興奮しましたねたね。 Bumpsのまこさんとか出ていたやつ。なんどもなんども見たけどすごかった。あの当時では考えられなかったかな。 |
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| 初挑戦 | 初めて大会に出たのが白馬47のR3というコースでやった大会で、初めて出るのにあんな急な斜面!もうダメ元と思って一所懸命に滑ったら予選3位だった。知っている人いないし、一緒に行った高校の同級生の石塚だけで何も知らなかったので何をどうしてよいやら。予選の結果を見てちょーびっくり。これが僕の心にMogulの火をつけたんだなって思う。トップ目指せるかも!なんて密かに思ったが、この後の決勝はデュアルで対戦相手は予選29位の選手だったのにもかかわらず、転んで敗退。きびしい!でもかなり楽しく思え目指してみようって気になった記念すべき第一戦でした。 | |
| Mogul人生のはじまり | Mogul暦は11年ですが、初年度からSAJの公式戦を転戦し、初めて全日本選手権に出場したのが24歳の時でした。 やはり公式戦は手強くなかなか上位入賞は出来なかった。 それまでの草レースでは優勝、準優勝と上位入賞は果たしていたものの公式戦では上位入賞はもとより決勝にすら出れないといった感じでレベルの差を思い知らされていました。出れる大会は必ずエントリーしていて年間20戦くらいの大会に出場していましたが練習する間が無く仕事をしながら毎週末の各地の大会に出場する為に頑張っていました。 |
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| Mogulにはまり過ぎて第二の人生への発信! | 仕事を1年3ヶ月でやめ、NZにMOGUL修行に旅立ちました。会社やめて3日後のことです。 NZには何人かの友達がいましたが、2ヶ月一緒にMotelで暮らし、2ヶ月は車を買ってNZを5000km旅をして歩きました。 2ヶ月のMogul修行は肩を亜脱臼したり、かかとを強打したりで怪我に泣かされ、かなりへこんでいました。正味3週間くらいのトレーニングにしかならなかったような気がします。それでもかなり練習になったような気がします。今となっては! その年のNZに来ていたやつと言えば北海道の島谷、渡辺健介、宮城の半田譲、ETCなどがいて翌年はみんな全日本出場を果たしていました。もちろん僕も。 初の全日本出場と共にBFAとの出会いがありました。 |
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| BFAとの出会い | BFAとの出会いは今働いているアスカインターナショナルの社長と友達だったこともあり、昔からのMogul友達でもあった小林氏からの1本の電話でした。 『今度ブラッコムのMogul Team用にWearを作る話があって、日本で販売をしてくれないか?』 『サンプルを見て行けそうだと思ったらやろうよって思って大至急日本に送ってよ! 』 そして第一号のプロトタイプのBFA Comp1 Limitedはハンドキャリーでバンクーバーから知らない人に空港で手渡しでお願いし、成田まで届けられ、そこから友達の手に渡り、その日のうちに別の友達が湯沢まで行くのでそこまで運ばれ、またそのあと僕の初の全日本出場会場に届けられ、それは大会当日の話でみんなの協力により僕の晴れ舞台と共にご披露することが出来た。すっごく感動した忘れられない出来事でした。 すごく気に入ってこのブランドを大きくしてゆこうと誓ったのでした。 |
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