システム論

 スペイン戦が近い。はっきり言って悲観視している。たった一試合の惨敗でここまで自信を無くすのはどうかと思うが、それでも客観的に考えるとそうならざるを得ない。理由はシステム上の問題にある。

 日本代表は頑なにフラットスリーを通そうとしている。対するスペインは、前回のフランスに極めて似た4−2−3−1。これは欧州選手権当時迄に流行していたフラットスリーに対する攻略策として出たシステムでもあり、つまりは日本代表がもっとも苦手とするシステムなのである。ワントップをターゲットにし、1.5列目のアタッカーがその左右を自由に飛び出し、左右に張った2列目が相手ディフェンスの両サイドをえぐる。ワントップだから相手がフラットに構えていてもオフサイド対策がとりやすい。そして相手のサイド攻撃に対しても、両サイドにディフェンスを配置した上、2列目にもサイドに張ったポジションを配置している為、必然的に数的優位を保つ事ができるし、その2列目が攻撃に出やすい為、相手のサイドはそれに対するケアが必要になってくるわけで、ポジショニングの駆け引きでも優位にたつ事ができる。さすがに今回はトルシエも守備的な側面を考慮し、サイドにはディフェンシブな選手を配置するようだが、はっきり言って付け焼刃でしかない。それでは攻撃面で何もする事ができないのが明らかであり、一方的に押し込まれる時間帯を自ら長く設定してしまう事になってしまうし、そもそも服部を置いたところでメンディエタを抑えられる気がしない。

 前述したように、戦術にも流行があって、システムの発展とはその流行のシステムを攻略する為にできてきた新しいシステム、更にそのシステムを超える更に新しいシステムといった、ある意味いたちごっこの歴史でもある。その点で考えれば、トルシエの標榜するフラットスリーはもはやステレオタイプな代物であり、世界で戦う為には、それを超える新しいシステムの構築とまでは言わなくとも、それに対応できる柔軟な発想が求められてくる。今回の、両サイドのディフェンシブな中盤の配置はとてもそれに値するとは思えない。問題なのは頑なにフラットスリーという概念から抜け出せないということだ。

 遠征出発前の合宿に入る際、会見で2時間強もシステム論を報道陣にレクチャーしたトルシエ。「日本のシステムでの問題は、ディフェンスの両サイドに空いたスペースだ。」と、ホワイトボードに印をつけ、持論を展開していたが、今さら何を言っているのか。そんな事は最初の最初からわかり切っていた事であり、それが持つリスクを大前提にして進めてきたはずである。ひょっとして大前提と当たり前のように思っていたのは全くの誤解で、トルシエはそうではなかったのかと思ってしまう。

 なぜ4バックという選択肢を考えないのだろう。フラットスリーをベースに考えても、それは一向に構わないし、トルシエ自身がポリシーをもって自分の形を表現する事は大事だと思う。アジアレベルでは結果も出してきた。しかし世界レベルと対峙した時、それだけではダメだということは前回のフランス戦で痛いほど感じたはずである。様々な相手に対応する為に、自らの引出しを増やす事をなぜしないのか。トルシエがワールドカップフランス大会で南アフリカを率いていたときも、全く同じフラットスリー。彼にはこれ以上の引出しが無く、それが現時点での彼の限界だとしても、新しいスタイルを模索するスタンスすら見えなければ、チームはおろか、指揮官の成長すら望めない。

 大枚はたいて、ベンゲルを呼ぶしかないのであろうか。それが解決策ならば悲しいが、それを望んでしまうのがもっと悲しい。