日本 − チュニジア
2 − 0

 1996年5月31日、当時FIFA会長のアベランジェと副会長ヨハンソン初めチョン・モンジュン達との権力争いに巻き込まれる形で、2002年ワールドカップ日韓共催が決定してから6年。その時から背負いつづけていた宿命を果たす日が来た。無論、開催国のノルマである、決勝トーナメント進出を決める事だ。
 運命の日の午前中、震度4の地震が起こった。日本列島も武者震いしていた。
 日本のスタメンは前戦のロシア戦と顔ぶれは全く変わらず。様子見とバランス重視の布陣だろう。
 対するチュニジアは中盤を厚くして、守備意識を高く持って臨んできた。
 試合は、チュニジアがかなり守備的にきたため、日本が危ないシーンはほとんど無いまま進んだ。相手が全く出てこないので落ち着いてボールを運べたが、中盤が厚くパスコースが見つかりずらかったため、決定機という決定機を迎えることも出来なかった。
 ちょっとしたチャンスにオフサイドを取られたが、副審は旗をあげていない。レフェリーに対する不信感が重症になっている私は、リプレーを注視したが、かなり難しい判定だったろうが、それは確かにオフサイドだった。副審があげなかったのに毅然とオフサイドを取ったこの審判は、結構上手く裁いていたと思う。ホームに有利な判定も、ちょうどいいくらいで、あからさまになりすぎず、適度に日本びいきで、よく解っている審判だった。
 試合はチュニジアがベタベタに守り、日本が崩しきれないという図式で前半を終えた。前半を見て非常に気になったのが、中田だ。今日は全く動けていない。ボールにほとんど絡めていない。守備もあまり貢献できていない。明らかに動きがおかしかった。右足首が相当深刻な状況なのだろう。早めに代えてやったほうがいいと思った。見ていて痛々しかった。
 後半に入り、トルシエは稲本に代えて市川、柳沢に代えて森島を投入してきた。市川を右サイドに配置し、明神を中にスライド。そして鈴木のワントップに少し下がり目のポジションとして森島。右サイドの崩しと、前線に動きを持たせる狙いだろう。中田は代えなかったが、この選手交代が見事にはまった。後半開始早々、代わって入った森島が点を決める。柳沢がトップにポジションを取るのに対し、森島はそれよりもやや低めにポジションを取る。相手DFがそのポジションの違いに戸惑い、マークをどう付けるか決めてしまわない内に、その隙をつき、マークのズレを利用しうまくフリーになる事ができた。相手DFのスライディングで弾かれたボールがゴール前に転がり、それに対してフリーで飛び出した森島は体をひねって逆サイドのネットに突き刺した。
 森島はその後も前線をかき回し、望まれる役割を見事にこなした。その動きにつられるように、中田にも動きが出てくるようになった。見ていて痛々しかったが、後半は怪我を感じさせないほど、チームの中心的役割を果たしていた。前半とは見違えるような攻撃の軸となっていた。ハーフタイムに痛み止めでも打ったのかもしれないが・・・。
 中田を軸に形を作り出してきた日本は、右サイドの市川の攻撃参加をうまく使い、市川の個人技から最高のクロスが入る。それに中田が飛び込み、ヘディングで押し込んだ。この瞬間がこのワールドカップで一番幸せだった。心底、嬉しかった。この一点で、勝利を確信する事が出来た。不測の事態に対しても、保険ができた。あらゆる意味で、とても重要な一点だったと言える。
 その後、中田がようやく交代したが、足の具合が心配だ。中田がいないと、全く違うチームになってしまう。ボールを預けて安心できるプレーヤーが減ってしまう。これはチーム全体の試合中のストレスを増幅させる事になる。大きな不安材料だ。
 チュニジアはその後、攻めざるを得なく、それまでとは打って変わって攻撃的になったが、最終ラインの安定感は試合毎に増してきていて、過去2戦よりもはるかに安心して見ていられた。サイドネットに外れた危ないシュートもあったが、それ以外は守備面も合格点をあげられるだろう。今日は仕事が少なかったが、そんな時こそ逆襲された時に対応できず、混乱したりするものなのだが、それも杞憂に終わり、逞しさを感じさせてくれた。そして歴史的なタイムアップの笛を聞いた。
 成長を続ける我らが日本代表は、新しい歴史を作った。それと同時に開催国に課されたノルマをしっかりとこなした。重責をきっちりと果たした。日本が世界に胸を張れる日が来たのだ。
 この6年間、胸につかえていたものが取れた感じだ。重い荷物をようやく降ろす事ができた。心底ホッとしたという心境だ。重圧に負けず、素晴らしいプレーで喜びをもたらしてくれた代表に感謝。
 おめでとう。そして、ありがとう。