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韓国 − ポルトガル
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1 − 0
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明らかに不自然な「何か」を感じた。あからさまに働いた「何か」を。チョン・モンジュンが何をどこまでやるか。底なしの不気味さを痛いほど感じる。 韓国はポルトガルに負けると、グループリーグ敗退が決まる。同時間キックオフのアメリカvsポーランドの結果に関係なく、勝つか引き分けるかしなくてはいけない。しかし相手はポルトガル。 そのポルトガルは初戦のつまづきが後に尾を引いていて、結局最終日に開催国への敬意を示す余裕がなくなっていた。勝たなくてはいけなかった。引き分けたとしても、アメリカがポーランドに負けなくてはいけない。それは考えにくいし、他力本願は心許なさすぎる。自力で勝つしかなかった。そしてそれは、決して難しい事ではなかったはずだった。勝負がフィールドの中だけで行われていたら、の話ではあるが。 不自然な「何か」は、早速働いた。開始早々、耳を疑う速報が入ったのだ。ポーランドがアメリカに開始早々2点を立て続けに奪った、というものだった。いきなり不信感が走った。韓国が窮地から脱するには、アメリカが負ければ簡単な話だ。韓国がよっぽど大差で負けない限り、それは果たされる。アメリカが負けているとなると、ポルトガルも引き分けでいいという事になり、攻撃の手を緩める。韓国にとっては大差で敗れるという心配をしなくてもいい事になる。アメリカが1点差で負けているとなるとまだ安心はできないが、2点差となると話は別だ。ポルトガルは開催国への敬意を払う内容になるし、暗黙の紳士協定が結ばれる展開になる。そうなると韓国は1位で勝ち抜ける事になり、自尊心の塊である国民性も傷つけられずに済む。試合は難しくない方向に流れて行く展開になるのだ。 しかし「何か」は、それだけでは終わらなかった。かくも不自然に、かくもあからさまに、現場においても働いた。レフェリーだ。 ホームアドバンテージを演出するのは、ごく自然な事であるし、サッカーの世界においては定説でもある。それを適度に施すのがレフェリーの技術とも言える。そういう意味では、この試合のレフェリーは度が過ぎた。あまりにも不自然と言える程、施しすぎてしまった。どんなに韓国がホームであろうと、どんなに韓国が開催国として追い詰められていようと、2枚のレッドカードは普通じゃない。レフェリーの独断と考えられる範疇を、はるかに越えている。強い外圧の存在は、確信へと変わった。 残念なのは、世界のサッカーファン達だろう。強豪国が続々と敗退していく今大会の流れの中で、あらゆる層から支持を受けるポルトガルは最後の支えだった。ポルトガルの魅力を披露するチャンスは、現在のゴールデンエイジの成熟により、今大会が最後となる事は、サッカーファンなら誰でもわかっている事だった。ワールドユースの優勝世代がクラブチームで輝きを放ちつつも、それらが集合した時にどうしても披露の機会に恵まれないまま年月は過ぎていった。ユーロ2000での躍進も、最大の機会であるワールドカップで、その魅力を楽しむ期待感を膨らませるためのものであった、とまで言える。そしてポルトガルの選手達のキャリアとサッカーファンの期待のピークが、今大会であった。最後のチャンスだった。 楽しめたのは、ポーランド戦のみだった。終幕はあまりにも残酷に、疑心暗鬼に苛まれながら迎えた。悲劇だった。 「何か」はもちろん推測の域を脱しない。証拠があるわけではない。しかし、ここまであからさまに、何から何まで物事が都合良く運ぶ事に、不自然さを感じるなと言う方が不自然だ。不可能だ。 韓国は、開催国としてのメンツと自尊心を保ち、ファンはポルトガルを失った。代償として釣り合うだろうか。考えるまでもない。 |