私の常宿、テラスゲストハウスに白石昇氏が現れた頃、一般市民は既に眠りについていたであろう。そんな時間帯にテラスに来た氏は、バスの始発が出るのを待ち、帰宅する予定との事。つまり4時頃まではここにいるという事で、それまではお付き合いを強いられる事になる。一人消え、また一人消え、結局最後に残ったのは私。痔とものもらいと風邪を同時進行で患う私には何より療養が必要な状態だったが、何よりパワーを必要とする氏とのお付き合いをマンツーマンでこなさざるを得ない状況に陥る。氏も「いや、寝たかったら寝てもらってかまわないよ。」とおっしゃっていたが、そうもいかないので頑張りつづけていると、氏はその内頑張る私を横目に、先に眠りについてしまった。それも中指をくわえながら。
 ようやく開放された私は、そっと部屋に帰り疲れた体を休める。そんな私のささやかな睡眠に無理矢理割って入ってきたのは、やはり氏。ドンドンと響くドアの音でたたき起こされた私は、ボサボサの髪を掻き分けながらドアを開けると、そこに立っていた氏は一言、「会議の結果、今から私の家に行って、雷魚を焼いて食べる事に決定しました。」と一言。待てよ、氏の家はバンコクの外にあり、バスで軽く1時間半はかかる所にあるのでは?え、雷魚?
 拉致同然に連れ出された私達被害者友の会のメンバー3人、岡部氏、バンクオブ中村氏、そして私は、長い長いローカルバスの旅に出る事になる。
 氏のホームタウンに到着するや、すぐに市場へと向かい、雷魚を物色する。前歯の無いおばちゃんが濁声で出してきた雷魚は1kg100バーツという結構な高級品。鱗を神田川よろしく豪快に取り払って、いくつかの肉片に捌いてもらい、血塗れのそれらをビニール袋に詰め込んで持ち帰る。別にクイティオ(米で作った細い麺)で素麺を作るという案もあったので、それも購入してリキシャを拾っていざ氏のアパートへ。
 しばし休憩した後、いよいよ準備へと取り掛かる事に。既に炭火の火種は氏が起こしてくれていたので、後は下ごしらえとなるが、ここで二班に分かれる。一つは雷魚の肉片にべったりと着いた血を洗い、塩をまぶす班。そしてもう一つはビールやドリンク、そして炭を買い出しに行く班。無論買い出し班の方が楽だ。しかし土地鑑のある氏が買い出し班に属するのは必然。残る一枠もビールを飲むのがバンクオブ氏という事で、なんとなく自動的に決まってしまう。彼らが買い出しに出て、残った私と岡部氏は、幼少期あまり釣りなどしなかったタイプで、魚のヌルヌル感を非常に苦手としている人間であった。顔を歪めながらグロテスクな肉片に着く血を洗い流し、塩をまぶす。ルソーの人間不平等概説論など読みたくなってきた。何かがおかしい、何かが。
 大苦戦しながらも、ようやく事を終える。しかし買出し班は一向に帰ってこない。「自分達がこの役回りを手伝いたくないから、わざと遅く帰ってくるようにしてんじゃないの?帰ってきたらもう全部出来上がってるようになってるみたいな。確信犯じゃない?」などと二人で疑心暗鬼に陥っていた。
 ようやく買出し班が帰ってきて、焼きに入る。肉片は横幅が軽く7cmはある分厚さで、火力を考えたらかなりの時間を要する事は容易に想像できた。遠赤外線パワーをなめちゃいけないと氏は言うが、なるほど、確かに徐々に火が通っていくのがわかる。がしかしやはり焼きあがるまでは1時間半を軽くまわってしまった。この段で用意できたのはたった2片。時間の有効活用という事で焼いている間に素麺を作り、一足先にいただくと、これがどうして、実に美味い。氏に「初めて、来てよかったって思えました。」と伝えると、氏爆笑。
 そしていよいよ雷魚。雷魚に貼り付けるように塗りこんだ塩は実は味付けの為ではなく、皮が焦げ付いて引き剥がれるのを防ぐ為であり、分厚い肉にはあまり味はついていない。大根おろしを擦り、醤油をつけて食すと、これがまた美味い。また、皮についた焦げ付いた塩につけて食すのも、これまた乙。あのグロテスクな見た目からは想像もつかないほどに美味。雷魚の鋭利な歯がおわかりいただけるだろうか。見た目はこれでも、味は結構なものである。
 がしかし、たった一匹とはいえやはり雷魚。その量とボリュームに圧倒され、半分も食べたところで全員ごちそうさま。剥き出しの内臓と、真っ二つに割れた頭部がどうしても残ってしまう。がしかし高級品という事で、ホテルの女将リンダさんにお土産で持って帰ることになる
 また長いバスの旅に揺られ、ついウトウト。たたき起こされたら王宮前。カオサン近辺までは行かないようで、仕方なくタクシーで帰宅。実に疲れた。なんだか氏の自宅が、そこにいるだけで疲労するような所だったので、ヘタに旅するよりはるかに消耗した。ようやくテラスゲストハウスに到着し、リンダさんに高級品である雷魚の炭火焼を差し出すと、「ありがとう。猫に食べさせるわ。」とあっさりと一言。