猫に雷魚をあげると言ったリンダ姉さんに対し、白石昇氏は猛烈に抗議。値段が高く高級品なので、猫にあげるのには不釣合いだという、至極尤もなご意見。我々もお約束の展開に大いに笑って、その場は終わった。
数日後テラスでまどろんでいると、リンダ姉さんがビニール袋を持ってやってきた。中には見覚えのある肉片の数々。そう、あの時の雷魚が手付かずで冷蔵庫の中に保存されていたのである。「食べる?」と冗談半分に言ってきた姉さんの様子はしかし、いつもと少し違っていた。怒っている。なぜかご機嫌斜め。
姉さんはこちらが尋ねるまでも無く、心情を吐露してきた。「私はノボルに大変怒っている。あの時ノボルは高い品物だから猫にあげるのはもったいないと言ってきて、仕方なく冷蔵庫に保存してたけど、結局食べないで捨てる事になった。タイでは何か食べるものとかがあったら、みんなで分け合いみんなで楽しむのが当たり前。そこに高いとか安いとかは関係ない。値段の問題じゃない。」
ううむ。大変素晴らしい、且つ美しい国民性。おっしゃるのは御尤も。人間、かくありたいものです。
でも待って欲しい。ここは非常に大事な所なのでは。ここで日本とタイの国民性の違い、価値観の違いがはっきり出ているわけだが、まさにこの違いが国単位での経済の発展に顕著に影響を及ぼし、結果として象徴的なモノとしてあげられるのでは。
タイの国民性は、それは素晴らしいものだとは思う。でも、例えば日本でいい大トロがあって、それを家族で食べきれなかった場合、タマに餌として与えるであろうか。冷蔵庫に保管し、次の日の朝食、もしくはお父さんの晩酌のアテになるのではないか。物の価値を判別し、判断し、その価値を最大限に有効活用すべく、それを取り扱う。これは経済の発展において、非常に大事なのでは。
確かにみんなでその場でワイワイと楽しめれば良いかもしれない。が、それはその場限りの楽しみであり、そう考えるとタイ人の金の使い方にも共通するものが感じられてくる。タイ人は、金が入ったら計画性も無くワッと使ってしまい、後になって金が無いとぼやく。そう、まさにキリギリスだ。それを考えてみると、日本人はまさにアリであるので、全く対照的な国民性をアリとキリギリスとして例える事ができる。
ここで金をワッと使ってしまうことに対する意見もあるだろう。そう、景気を考えた時に、貨幣が市場に流通するというのは大きなポイントだからだ。金を使わず溜め込んでいると、貨幣の流通が滞り、景気に大いに影響を及ぼす。だから景気を考えた時にはタイ式の方がポジティブだ、と。
しかし、そこをそう短絡的に結論付けてしまうのはどうか。もっと包括的に考えなければいけないと思う。
具体的な例を取って考えてみる。洗濯、である。
タイ人は、ほとんど洗濯を手洗いで行っている。あるいは近所のランドリー屋にkgいくら、でやってもらっている。アパートなんかではほとんどランドリー屋があって、そこに出したりしている。そう、タイという国の一般家庭では、あまり、というかほとんど洗濯機というものが浸透していない。これはタイ人の国民性を実によく表している。つまり目先の事しか考えられず、長期的視野に立って物事を考えられないのだ。金の使い方など、まさにそうだ。一人暮らしだったとしても、ランドリー屋に出し続けていれば2〜3年もすれば洗濯機が買えるくらいの金額を払っている事になる。洗濯機の需要が市場に浸透すれば、その規模はランドリー屋で消費しているものよりも遥かに大きく、国全体の市場も拡大する。
おそらくこの意見をタイ人に言うと、必ずこう言って来るだろう。「ランドリー屋がある事で、そこに雇用が生まれる。」と。しかし私は逆にこう思う。そこに雇用が生まれてしまうから、極小規模な市場が浅く広く薄く広がってしまい、マーケット拡大化の足を全体で引っ張ってしまっているのだ、と。
元々、洗濯は自分の手でやるものであって、機械を使う必要が無い、という考え方だったとしても、それではテレビはどうなのだ、と言いたい。一昔はテレビもあまり普及していなかったが、今はかなり普及している。というか今はもう、タイ人はテレビが大好きである。生活にも根付いている。スラムに近い状態では、さすがに一家一台というわけにはいかないが、ボロ家街の中でもテレビはどこかにある。無かった時代はそれでよかったかもしれないが、現実的に今は「ある」のだ。それは生活がある程度豊かになってきた証であるのだから、自然な現象であり、マーケットの拡大化に大いに貢献しているのだ。だから洗濯機を使う必要性が無い、というのは矛盾する。では、何故「ある」べきものが未だに「ない」のか。上記の通りだ。
白石昇氏の意見に我々は何の疑問も持たなかった。というより、それが当たり前だと思った。「GOL、雷魚を食す」を読んだ方は、そのオチに対し、全ての方が「猫かい!」と思った事と確信している。それは日本人だからである。タイ人は、猫にあげる事に大して疑問も持たないし、突っ込みもしない。まぁ、その感覚も心地いいから、かく言う私もタイに居着いている観は否めないが。私もどっちかというと、キリギリスでいる方が心地いいもので・・・。