総括
開催国としての義務

 前回大会でフランスに訪れた時に、強く感じたものがあった。それは、開催国のホスピタリティーが、大会の成功を左右するという事である。
 従って私は大会前までずっと、開催中は日本国中の開催地を周り、個人ボランティアレベルで海外からのサポーター達を迎え入れ、何か困ったことがあったら出来る限りの協力をし、何もする事がなくても気軽に声をかけて歓迎し、一緒にはしゃいで良い思い出を作って帰ってもらおうと、強く思っていた。
 実際そのつもりでわざわざ帰国したのだが、そのプランを変えたのは、韓国開催分のチケットが余裕で取れてしまうという現実だった。
 日本開催分は逆立ちしても取れない状況だったし、実際チケットは諦めていた。前回10試合以上スタジアムで観戦したし、今回は恩返しと開催国民としての義務とがあったため、別にスタジアムで観なくてもいいと思っていた。開催国として立候補し、招致した以上、スタジアムが埋まるのは当然であり、疑うことの無い必然であったから、今回は諦めようと思っていたのだ。私にとってはむしろ辺境の地で開催してくれた方が、チケット入手はしやすいのだが、今回は自分の国で開催される為、自分が出来ること、自分がやるべき事をやれればいい、という理由で諦めもついたのだ。
 がしかし、当たり前と思っていた事が、もう一カ国の開催国では、そうではなかった。韓国では、開催前、いや、大会が始まっても尚、チケットが余りまくっていたのだ。それでもグループ・リーグ等では揺れる事もなかったのだが、なんと決勝トーナメントはおろか、準決勝まで取れてしまう。一生の内、ワールドカップの準決勝をスタジアムで観戦できるチャンスは、これから訪れる事はあるのだろうか。それを考えた時、その魅力に抗う事が出来なくなり、そうと決まれば徹底的にワールドカップを観てやろうと思うようになった。スカパーに加入し、当コンテンツを起こし、仕事でもないのにメモまで取ってワールドカップを観戦する事になったのだ。
 しかし、疑問に思う。何故、韓国ではチケットが余っているのか。一般市民の購買力が原因か。それともワールドカップの価値がわかっていないのか。興味が無いのか。確かにイタリア大会でも、スタジアムがガラガラの試合はあったが、それはイタリア国民があまりにもサッカーを知り尽くしているという事が悪い意味で出た現象であり、韓国に関しての同問題においては、シンクロするものではないと思う。プライドの高さや面子へのこだわりの強さは世界トップクラスの韓国人が、自国開催のワールドカップのスタジアムがガラガラであっても、それで何とも思わないとは思えないのだが。それが不思議だったし、何より開催国の義務を理解していないと思った。無理矢理半分横取りして、共催国に金を出させてまでして開催にこじつけたのに、そこにホスピタリティーという意味での開催国としての義務を理解していないのだな、と憤りを覚えたものだ。実際スタジアムは自力では埋まらず、近所の子供やら青年やらを集団で動員して面子を保とうとしていたが、実際にそれを現地で目撃すると、やりきれなさだけが募った。
 さて、私が個人ボランティアをやめて、徹底的観戦路線を歩もうと思えたのは、ひとえに日本人のホスピタリティーへの信頼感からである。通常は恥ずかしがってしまう国民ではあるが、ことワールドカップでの日本のホスピタリティーに関しては全く心配していなかった。故に、偉そうな事を言えば、安心して任せる事が出来たし、実際多くのサポーター達が日本に感謝して帰っていったわけで、それを考えると、合格だろう。もちろん私も地域柄、多くのサポーターに遭遇したし、仕事上のお客様として迎え入れる事もあった。そういった限られた機会の中で、私も出来る限りのホスピタリティーを示したつもりである。また、私の地元の後輩はある日、アルゼンチン・サポーターに囲まれて、供に道端で大合唱をしたようで、外国人に対して全く免疫の無い彼は怯みまくってはいたものの、そうやって彼なりに暖かくサポーターの人々に歓迎の意を表していた。こういう感情は、ワールドカップを開催させてもらう者にとって、ごく自然な、当たり前の事のように思う。その当たり前のことを、しっかりと遂行した日本は、開催国としては成功だったと思う。大会の成功要素は様々だが、その点においては間違いなく日本は成功に導いたと言っていいと思う。