Vol.11: International 2
前回の続きである。
ある一人のフランス人の怪我の対応をし終えた途端に、次々と別のフランス人選手たちが私の所にやって来た。 その人数は、同様に怪我をしてくるアメリカ人選手の倍以上である。 そして、毎試合終了ごとにその数が増えてくる。
正直、ちゃちな怪我ばかりなのだが、私を“医者”だと勘違いしているかのようにいろいろと頼ってくる。
仕事は仕事なので、私はやるべき事をきちんとやっていたのだが、どうしても“言葉の壁”のために何も上手くいかない。 しかし、彼らの怪我のほとんどは見た目から軽度と予測出来たので、ゆっくりと時間を掛けながら、そして気長に私はその対応を行った。
“一生懸命になって怪我の状態をフランス語交じりの英語で説明しようとしている彼ら”と“それを必死になって理解しようとしている私自身の姿”がある意味、可笑しかった。
お互いに「あーでもない」、「こーでもない」と勘違いの連続であった、、、
キャンプ終盤に“ダンクコンテスト”が行われ、その終了後に参加したあるフランス人の選手が私の所にやって来た。
指のマメが剥げたらしく、何やら私に説明しているのらしいが、ようはバンソウコが欲しかったようである。 私は指にバンソウコを巻いてやり、彼は参加しなかったその次のイベントである“3スローコンテスト”中に二人でのんびりと世間話を始めた。
しかし、当然お互いに言葉が通じるはずもない。
それでも彼は私が一文一文に区切って、ゆっくりと話す英語に耳を傾け、私は彼が話す片言の英語に集中した。
“英語を聞くよりも、読む方が理解出来るのでは?”と考え、私が彼に話した文章を紙に書き直して会話を続けることもあった。
それから私は彼に「フランスの何処から来たの?」と質問し、紙にフランスの地図を描いてもらい説明してもらった。 そして、フランス国内の有名観光地や隣接する他国をも彼に話してもらった。
“本場フランス人から学ぶ、フランス地理学”は良い勉強になったと思う。
現在“アメリカ人選手&日本人トレーナー”という経験をしているが、将来は“フランス人選手&日本人トレーナー”あるいは“International Athletes & Japanese Athletic Trainer”という経験もしてみたいと思う。
しかし、トレーナーの学習だけでなく、様々な語学をも身に付けなければならないので、世の中そう簡単にはいかないだろう。
(Friday,July 20,2001)