NATABOC Exam 受験から5日後、予想以上に早くその結果が送られてきた。
内容は3パート中1パートだけをパスし、残念ながら不合格で終わった、、、
最初の一回で試験に合格出来るほど、現実は甘くはなかった、、、
もちろん他の誰よりも悔しいのだが、自分のベストを尽くした結果なので後悔はない。 また次回に頑張ればいいだけの事。
日本にいた頃は何もかもが順調に行っていた。 自分の思うようままに物事が進んでいた。
だがアメリカに来て以来、失敗や挫折を経験する事が多くなった。
努力をしても期待した結果が得られず、今までに何度となくぶつけようのない怒りを感じたことであろうか。 思うようにならない時間を過ごし、不満度100%の毎日が続いたことも少なくはなかった、、、
しかし、生まれながらにして持った才能とでも言ってよいのかは分からないが、自分は失敗あるいは挫折した経験にウジウジしたことはない。 自分の頑張ってきた過程からその結果に後悔したことは一度もない。
むしろそれよりも、「終わってしまったことにケチをつけても意味はない。 腐っている暇があったら、次の機会のためにまた頑張り直そう」という気持ちの方が自然とカラダの中で感じられる。 まぁ、何と都合のいい性格なのだろうか。
“アスレチックトレーニングの資格取得”を第一の目標としてこれまでアメリカで頑張ってきた。 だが、これが自分の人生の中で重要な位置を占めているとは決して言えない。
不合格した今にこのような事を語れば、単なる自分の負け惜しみを読み手の人達に理解させているようかもしれないが、そんな考えは全くない。
「長い人生の中には他にもまだまだ貴重な価値が存在するはずだろう」ということをただ伝えたいだけ。
それから「良い意味で、失敗や挫折は嫌でも経験しておく必要があるのではないだろうか?」とも生意気に述べたいだけ。
なぜなら、惨めな結果を素直に受け止める事が出来る人は、現在の自分の器量を客観的に測れる人だと信じているから。 それにそんな人達は悔しさをポジティブなエネルギーへと変えることが出来、その後何があっても頑張れる人だとも信じているから。
“人生谷あり、山あり”と言うが、まさに人にはそれぞれの生き方がある。
誰一人として何事も上手く行っている“山”に上がっている時には問題など気にもしないはず。誰もが共通して苦しみ、悩むのは“谷”にはまってしまった時である。
そんな時に「あぁ、もうダメだ」ではなく、「どれくらい今の自分がその問題に対応できるか?」、あるいは「 今後どこまで自分を頑張らせることが出来るか?」などの考え方が出来る気持ちが必要ではないだろうか?
逃げることは簡単である。 そしていつでも出来る。
だが何よりも大切な事は、苦労や問題に立ち向かう勇気とその後の努力を忘れずに続ける事ではないだろうか、、、
(Saturday,November 24,2001)