第2回:「無邪気な笑顔」
長崎の実家の前には保育園がある。
そして、日本での大学時代に過ごしたアパートの前にも保育園があった。
私の生活の場は常に“保育園”と向かい合っていた。
「うわぁーん。 おどうざーん、いがないでぇー!!」
彼ら、保育園児たちの泣き声が、朝の目覚し時計だった。
たとえ私が夏休みに入っていても、、、
そして日中鳴り響くアニメソングから、「○○くーん。おとうさん きたよー」と先生が子供たちを呼び始める夕方まで、彼らの活動を耳にしていたこともあった。
“こんな環境”が、私を子供好きにさせたと思っている。
だが“こんな環境”よりもさらに「私が子供好き」と言える強い理由がある。
それは彼らの“顔にはっきりと表れる表情”である。
彼らは単細胞らしく正直に、そして素直に自分の気持ちを出してくれる。
喜んでいる時は、カン高い声をあげて走り回り、
怒っている時は、歯を食いしばってじっと睨む。
哀しい時は、瞳から滝のように涙を流し続け、
楽しい時は、無敵な笑顔を見せつける。
そんなめまぐるしく変化する彼らの“顔”が、私は大好きである。
時々、イジワルをしてその表情を操作することもあるのだが、、、。
彼らの出す表情にウソはない。
彼らは心の底から“自分の気持ち”を表現してくれる。
だから私も心の底から彼らに応える。
彼らと一緒にいる時の自分にウソはない。
さらに彼らと一緒に遊んでいる時の私は、脳ミソが柔らかくなっている。
なぜなら、彼らの発想力に驚かられてばかりだから。
むちゃくちゃなアイデアもあるが“工夫”や“知恵”を加えれば、面白いものが出来上がる。
常識や規則に縛られない彼らのそのストレートな意見が、この私には新鮮に感じてならない。
しかしながら、月日がたつにつれ、そして年を重ねていく毎に“その表情”は上手に使い分けられていく。
怒りたいのに怒らず、陰で愚痴を言い、
哀しいはずなのに、その場で泣かず、
楽しくもないのに、笑って調子を合わせ、
いつも他人に左右されながら生きていく。
そんな社会を誰もが経験していく。
子供の頃のように言いたい事が言えず、自分の中に“不満”を溜めながら、決してそれを発散することなく生きている人もいる。
私自身は言いたい事を言う人なので、そのような人たちの気持ちが残念ながら理解できない。
だがその大変さ、辛さは感じ取れていると思う。
なぜなら、心身共に疲れているのが目に見えているから。
時代が進み、世界が新しくなっていこうが、
文化が発展し、社会が複雑になっていこうが、
子供たちの“無邪気な笑顔”は、ずっと同じままであってほしい、、、
(Monday,July 31,2000)