学校教育での学習は、基本的に学校内で行われる。
『課外授業』と称しても、しょせんは“授業”という名の学校範囲内教育。
なら“心の教育”はどうやって、しかもどんな場所で学べば良いのだろうか?
『心の学校』と呼ばれる施設でもあるのだろうか?
もちろん、その答えは NO である。
普段の、日常の生活の中から自分自身の手で課題やテーマを見つけ、その問題に対応していかなければならない。
自分自身が先生であり、自分自身が生徒でもある。
個人個人それぞれに、様々な問題がある。
しかしどんなに周りが変化しても、根本的な悩みはどの時代に於いても似た内容だと思う。
例えば、
成績の事。
家族の事。
友達の事。
将来の事。
、、、などなど。
あえて自分で希望しなくても、心の学習は自然に始まる。
多分、その殆どが中学校生ぐらいの思春期から始まると思う。
いっちょまえに自己主張したくなる時期。
何をどのようにやってよいのかは理解していないが、何かをアピールしたい時期。
高校、大学、そして社会人になってもその心の学習は続いている。
以前と比べて知識や経験が豊富になったため、分けの分からない時期を過ごす事は少なくなったと思う反面、逆にいろんな事を知り過ぎてしまって、自分の存在位置や社会との関係に悩んでいく時期ではなかろうか?
知れば知るほど、何もかもが疑問の毎日。
一体どれだけの人たちが自分の理想を実現させているのか、アンケート調査でもしてみたい...
心をどのように訓練していけばよいのか、そのマニュアルなんか存在しない。
ただ単に自分自身が考えながら、体験しながら、そして考えながら、また体験しながら、、、その繰り返しの中から少しづつ少づつやっていくのだと思う。
「どれくらい辛抱すればよいのか?」
「どれくらい我慢すればよいのか?」
「どれくらい挑戦すればよいのか?」
「どらくらい努力すればよいのか?」
「どれくらい納得すればよいのか?」
猜疑心と格闘しながら、自分自身を見つめる日々。
イライラしながら、時には充実した気持ちを感じながら、その日その日を終わらせていく。
正しい答えが見つからないまま、正しい答えとも理解せぬまま時間を過ごしていく事もあるかと思う。
しかしそんな時間が、毎日が、常に『心の訓練の場』なんだと思う。
“訓練”と言うからには、何かしら“目的”があるはず。
その目的にたどり着くために、様々な壁を乗り越えていくのだから。
今現在の自分にとっての『心の訓練』はもの凄く辛い。
しかしそれがあるからこそ、“人”として成長しているんだと思う...
(Thursday, March 27, 2003)