12月日誌

『年末最後のひと仕事』(後書き)
今回のミシガン遠征、正直言って、楽な仕事だった。
試合中に左眉毛の下をちょっと切った選手。
その他は、右手の 2nd MCP joint の靭帯を再捻挫した選手。(試合終了後にその選手から聞かされる)

大きな怪我もなく、“AT”としては本当によかったのだが、“チームの一員”とは感じる事がなかった。
何故なら、このチームはヘッド AT が担当しているので、自分が毎日彼らと接しているわけではなかったから。
みんなはもちろん自分が AT という存在と知っているのだが、明らかにコミュニケーション不足であった。
試合前に『頑張れよ』という簡単な一言が口に出来なかった、、、。

____________________

DePauw で働き始めて、短期間でいろんなチームを経験している。
だがその分、選手・コーチたちと十分な信頼関係を築くには全く時間が足りない。
ましてや、他の大学から、しかも全てのチームにおいて初めての異国の人間である自分が受け入れられるまでは今でも時間がかかっておいる。

『中途半端ばい』
と帰宅移動中の車の中で反省する事も少なくはなかった。
『こんなんでよかっちゃろうか?』
と悩む事も少なくなかった。

AT として、仕事のやり方を考えさせられた約半年間。

(December 20, 2002)

『年末最後のひと仕事』(その六)
試合の方は、64対82でうちが負けた。

フットボールはいまだによく理解していないのだが、バスケは好きなので“試合の流れ”がよく分かる。
今回の試合、リハビリ中の主力選手が影響しているのだろうか?火曜日の試合同様、内容が悪すぎる。
特にこの日のゲームは見ていてイライラしていた。

試合終了後のロッカールームでは、30分以上もコーチが選手たちを怒鳴っていた。
『コーチたちもめちゃめちゃ歯がゆいんだろうなぁ』と自分は話を聞いていた。

午後9時過ぎ、試合会場を出発。
そのまま DePauw がある Greencastel まで5時間のバス移動。
午前2時頃、到着。
メディカルキットと松葉杖を ATR に返し、自分は Terre Haute のアパートへ向けて出発。
午前3時近く、無事帰宅。

(December 20, 2002)

『年末最後のひと仕事』(その五)
バスから降りて、選手たちと一緒にロッカールームに向かっていると、ひげをはやした人が『コンニチハ』と日本語でいきなり挨拶してきた。
『何何?』とビックリしていると。
英語で『このチームで私が会いたい人にやっと会えた』と言ってきた。
そう、この人こそ、対戦相手チームの AT だった。

数日前に、DePauw のヘッド AT と話していたのだが、インディアナ州では試合前の AT 同士の挨拶(特に学生トレーナー)が少ない事を話していた。
しかし、自分はペンシルバニア州で学生トレーナーをしていた頃に、一緒に働いていた GA たちから“試合前の挨拶”などを学んでいたので、当然ここでも自己紹介する。
『きんじです。 GA なんですが、大学院は DePauw ではなく、Indiana State University なんです。』と言うと。
『じゃ、Dr.Ingersoll 知ってるよね?』と言ってくる。
『はい、知っています。 でも ご存知の通り、今年から University of Verginia に移られたので、話した事は一度もありません。 現在は Dr.Cordova が Chairperson です。』と言うと、『あぁ、会った事はないのだが、彼の名前はよく聞くよ。』と言う。
(まぁ、二人とも NATA レベルで有名人なのでそうだろう。)
それから、加えて『聞いた事はないと思いますが、自分は Undergraduate は California University of Pennsylvania 出身なんです。』と話すと、『知ってるよ。 Dr.Biddington と Dr.Barnhart がいる所だろう?』
『ひょえー!!!』
その後の会話で、この人が Dr.Barnhart と AT 教育プログラムで何かのプロジェクトを一緒にやっている事が判明。
しかも、来年の4月にカンザスで会うとの事。
二人で『世界ってほんと狭いんですねぇ』と話し合っていた。
うちの Dr.Biddington と Dr.Barnhart は結構有名だと卒業後に聞いた事があったのだが、まさかこんな場所で2人の名前を聞くとは予想もしていなかった。
初対面なのに共通の知り合いがいるって、本当に驚きである。

それから、この人、数年前までは Western Michigan University で10年以上も働いていたらしく、次々と WMU で学生トレーナーをしていた日本人の名前を言ってくる。
その中の一人は時々耳にする事がある人だが、ほとんどは初めて聞く人たちばっかりだった。
でも、『WMU 出身の日本人 AT って結構おるったい。』と思わられる内容だった。
ちなみに、ISU にも日本人 AT の卒業生も多い。

試合開始まで時間が許す限り、2人で話をしていた。
日本人慣れしているのだろうか? もの凄く、感じの良い人だった。

(December 20, 2002)

『年末最後のひと仕事』(その四)
12月19日(木曜日)

朝早く起きて、シャワーを浴びる。

チームはまたビデオ鑑賞会。
自分はまたテレビ鑑賞会 + 朝寝、、、。

午前9時半過ぎに、近くのファーストフード店で朝食。
ビデオ鑑賞会が予定時間をオーバーしていたらしく、バスの中で食べながら移動。
そして、そのまま近くの大学で練習する。

試合前の練習の事は前々から聞いていたのだが、バスが Western Michigan University 周辺をさまよっている。
『何ぃー、練習って、WMU の体育館ば使うとぉ!?』と一人ウキウキしていたのもつかの間、WMU ではなくそのすぐ近くの Kalamazoo University の体育館に到着、、、。
冷静に考えれば当然だろう。
そんな D1 の施設を D3 の大学が使えるはずがない。

練習は Walk through でフォーメーションやセットプレーの確認だった。
それにしても、『今日の夕方に試合やとけ、今頃こげん事しよってもよかとぉ?』と自分は気になりながらも見ていた。
ただ練習を見ているだけではつまらないので、“しれー”っと体育館内の ATR を探す。
ATR を発見したものの、誰もいなく、暗い室内を窓から見学。
今までの自分が見た範囲でのインディアナ州の D3 レベルの ATR の凄さに驚いていたが、ここに来てやっと自分が予想していた D3 レベルの ATR と出会う。
1時間ほどの練習を終え、ホテルに戻る。

午後1時。ホテル出発。
もちろん、それまではテレビ観賞と仮眠。
どうしても違う環境では、勉強する気が起きなかった、、、。

バス移動中も寝て過ごす。

昼食は試合会場の近くの大学で、対戦相手チームと合同昼食会。
しかし、コーチ達以外は全く選手の交流もなく、ただ食べるだけの会。
自分はコーチたちと一緒のテーブルに座っていたが、当然は会話の内容が分け分からない事を話しているので、ただ黙ってひたすら食べていた。

食事会後は、そのまま試合会場の Albion University へと向かった。

(December 20, 2002)

『年末最後のひと仕事』(その三)
今回の遠征、“寝て、食べる”ことばっかりしていたと本当に思う。

バス移動中は、『修士論文のために参考文献を読んでおこう』と計画していて、5つほど文献を持参してきたのだが、睡魔との格闘に敗れ、見事に熟睡。途中、ファーストフード店で昼食を食べた後も、すぐさま昼寝。
気付いた時には、ミシガン到着、、、。
あらためて、『自分はどこでも寝れる人なんだなぁ』だと感じさせられた。

試合会場の大学から1時間ほど離れた Kalamazoo という所に宿泊。
『おぉ、凄い』
Cal U の時とは比べ物にならない豪華なホテル。部屋は4人1部屋ではなく、2人1部屋。
それから今回の遠征には、コーチ 4名 + 選手13名 + 自分の合計たった18名に対して、大型バスを使用。
『金、あるなぁ』と感じさせられる遠征だった。

選手たちはヘッドコーチの部屋で対戦相手チームのビデオ鑑賞会。
自分は部屋の中でテレビ鑑賞会。
4月に日本に一時帰国して、5月にまたアメリカに戻って来て以来、そして現在住んでいる Terre Haute の部屋にもケーブルはつなげていないから、本当に長らくぶりにテレビを見た。

午後10時頃に、ホテルの近くで夕食。
夕食後、みんなはまたビデオ鑑賞会。
自分はもちろん、テレビ鑑賞会。
そして、そのまま勝手に就寝。

(December 20, 2002)

『年末最後のひと仕事』(その二)
12月18日(水曜日)

『午前8時半、出発』
そういう予定だったのに、昨日の負け試合のために、急遽大学で午前練習をやる事に、、、。
しかし、出発しようが練習しようが“午前6時起床。7時過ぎには部屋を出る”の自分のスケジュールは変更なし、、、。

このチームには、膝の内視鏡手術を行った主力選手がいて、現在リハビリ中。
チームに絶対必要な選手らしく、コーチたちがよくヘッド AT のオフィスで話し合っている。
選手もリハビリを積極的に行っているのだが、“急ぎ過ぎ”なよう様子。
当然、遠征には参加することなく、この日もヘッド AT と一緒にリハビリをやっていた。
自分の方は、男子バスケ部担当の ATS と一緒にチームの練習をボケーっと見ていた。

昨日の夜に試合があったのに、今日の練習はみっちり2時間半。
聞いたところによると、この10日間は全く休みがなかったとの事。
『みんな、疲れてないんだろうか?』
いや、当然疲れているはず。
カラダの動きにキレが見えない。

最初の方はいろいろと冗談を言い合っていた ATS の子も、予定時間を過ぎても終わらない練習に次第にイライラしている様子。
自分の方は、練習が早く終わろうが遅かろうが遠征に同行する以外何も予定がなかったので、怪我さえなければ、正直どうでもいいい事だった。

午前11時半過ぎ、練習終了。
そして、ミシガンへ向けて出発。

(December 20, 2002)

『年末最後のひと仕事』(その一)
今週の水曜日と木曜日は男子バスケ部のミシガン遠征に同行する事が決まっていた。
このチーム担当のヘッド AT に個人的な用事があったからである。

遠征試合に付いていくのは 先月行われた Monon Bell Game のフットボール以来合計4度目、それから宿泊遠征は DePauw で働いて初めてだった。(Cal U の男子サッカー部を担当した時から数えて1年ぶり。)

___________________
12月17日(火曜日)
この日はホーム試合があった。

男女バスケ部共にそれぞれ学生トレーナーが1名ついている。
しかし今回、女子バスケ部がフロリダ遠征に行っているため、居残りの学生トレーナーもこの試合を手伝いに来た。
そして、自分も参加。
しかし選手13人に対して、ATC 2名 + ATS 2名の合計4名のトレーナー。
こんなに AT はいらないって、、、。
案の定、自分と女子バスケ部担当の ATS はサイドラインのベンチからではなく、後ろの一般用応援席から試合観戦。

試合の方は、6点差で負けた。
はっきり言って勝てない相手ではなかった。
午後9時半過ぎに試合が終わり、さっさと片付けを済ませ、11時近くに帰宅。

(December 20, 2002)

『仕事はやっぱり楽しい方がいい』
Fall シーズンスポーツが終わって以来、仕事の方がとてもやり易くなった。

現在の仕事内容:
・男子バスケ部 - ヘッド AT
・女子バスケ部 - アシスタント AT (女性)
・男女スイミング&ダイビング部 - アシスタント AT (男性)
・その他&リハビリ - 自分

Winter シーズン中の自分には、特定の担当スポーツがない。だから“何でも屋”として頼まれれば何でも手伝っている。
相変わらず選手の名前や『その日限りの』治療の手伝いで苦労している事があるが、でも ATR ではのびのびと過ごせるようになってきた。
本当に今まで試行錯誤しながらやってきたが、最近になってようやく自分のやっている事を自分なりにコントロールしながら仕事が出来るようになった。
その証拠に英語で冗談を言い、本場のアメリカ人を笑わせている。

ストレスが溜まっている時は、自分自身でも何を言っているのか分からないほど、意味不明な英語を話している。
しかし今のように話したい事がスラスラと言えるようになっている事は、ストレスがほとんどない状態。
仕事が楽なうちに、語学力を伸ばそうと密かに企んでいる、、、。

以前のようにセカセカと仕事をする事がないので、選手たちとは練習前の治療時によく話している。
ここには交換留学生としてヨーロッパやオーストラリアに、あるいは海外旅行経験者が多い。しかし“アジア”に旅行した事のある学生はほとんどいないようなので、『きんじ、スシって美味しかと?』などと聞かれたり、『俺は去年、日本語のクラスば取ったとばい』などと向こうから興味を持って話し掛けられたりする。

Cal U の時も自分が初めての日本人学生トレーナーとして勉強以外にもいろいろと苦労した。
ここ DePauw でもやはり最初の方は同じだった。
しかし、これからは『100% 自分らしく』振る舞えると思う。
(ただし、問題だけは起こさないように、、、。)

“アスレチックトレーナー”としてだけではなく、“留学生”として毎日毎日いろんな事を体験している。
辛い事もあるし、楽しい事もある。
しかし、理想としては『いつも笑いながら時間を過ごしていたい。』

(December 08, 2002)

私のホームページへ | Athlete-Spartaのページへ | メイン | 今すぐ登録