すずの音

葉すずのシドニーへの道は絶たれた。スポーツ仲裁裁判所(CAS)の判決は千葉すずの訴えを退けるものであった。この問題についてみなさんはどのようにお考えであろうか?

 日本水連は少数精鋭を掲げ、オリンピック水泳チームを構成した。選考基準はこうである。@五輪A標準記録突破A選考レースで一位or二位B世界で戦える記録。言うまでもなく「世界で戦える記録」とは曖昧すぎる表現である。そして今回の裁定でその具体的な数字が明らかにされた。それが男子世界ランク16位以内、女子8位以内である。今になってこのような数字を出されても、それを後づけだと言われることに対して日本水連に反論の余地はない。しかしその落ち度をたとえ彼らが認めてたとしても、なにより、なぜオリンピック水泳チームを少数精鋭にする必要があるのかが私には理解できなかった。

 発端はアトランタオリンピックにあった。アトランタでの不振の理由を「参加するだけで満足な選手に流されて士気が下がった」と言われたのだ。これは、今の日本水連の「世界と戦える選手を連れて行く」という考え方と同じ線上にある。つまりは、世界で戦えない選手は邪魔である、ということなのだ。そして日本水連が邪魔だと考えた人物がもう1人いた。それが彼女である。その歯に衣着せぬ発言と、チームの和を乱す行動が問題となった。少数精鋭、それは彼らの思わく通り「魔女狩り」を含めて実行された。

 「世界と戦える選手」という選び方には無理がある。岩崎恭子は選考の時から世界で戦える選手だったのだろうか。そこは、悪魔と天使が共存する場である。本命と無名が入れ替わるということが起こらないとは、誰にも決められるはずがない。また、果たしてメダル獲得の難しい種目は本当に邪魔なのだろうか。オリンピックに出場し世界のレベルを知る、そういう経験を次の世代に伝えることのできる指導者は、日本に必要ないのだろうか。

 ことある毎に聞く言葉。メダル、チーム、少数精鋭。いったい誰のためのメダルなのだろうか?選手はお偉方の駒ではない。チームワークってなんなのだろうか?江夏豊は言った、「お手々つないで、一緒に飯食って、それがチームワークで、それで勝てるんなら、そうするけどな」。そして、メダル以外にオリンピックから得られるものは何もないのだろうか。

 この秋、すずの音は鳴らない。あなたは寂しくないですか?

 

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