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書を捨て街に出よう。


■書を捨て街に出よう。 2000年5月8日(月) 12時36分

前回のSサッカーの冒頭の一節。トルシエ解任騒動に絡んで解任派の後藤氏と擁護派の田村氏のコメントがありました。
その中で後藤健生氏は「日韓戦でF3の限界が見えた」
田村修一氏は「現在のF3は絵に描いた餅」と評しました。
トルシエ就任以降の実にいろんなF3を目にしていますが、これぞF3本流への道程!と私が勝手に思っていた五輪最終予選でのF3は、松田選手の登場であっさりと覆ってしまいました。

トルシエが理想とするF3の本質というか、アイデンティティの議論は各掲示板でよく目にします。大変興味深い鋭い洞察に感心することは多いのですが、目の前の日本代表のサッカーを具さに見た場合には実効性とか現実性が些か欠けているような気がしてなりません。

理論大系が矛盾無くてもそれを実践できないと意味がないと思うのです。オートマティズム議論はトルシエの理想の本質を捉えていると思いますが、現日本フル代表でどのぐらいやれているのか、どれぐらい達成できるのかが甚だ疑問でなりません。「組織の中の自由」とか「集団の中の個」という高度な哲学めいた議論の前提となるオートマティズムには選手個々に高い資質が必要ではないですか?
 具体的にどういう資質かというとトラップやボールテクニックという基礎技術はもとよりボディシェイプ、空間認識能力、戦術理解、ゾーン感覚あたりも必要です。五輪代表を含めても日本でオートマティズム議論のお眼鏡に叶う選手でフィールドプレーヤーが10人揃うとは思えません。

ちなみに、私が見た限りで日本で※一番オートマティズムがチームとして修得できているのは一部のJリーグの下部組織。一昨年のジェフユース、ガンバユース、昨年のヴィッセルユースです。Jユース杯の決勝等ならTV放映があったのでご存じかもしれませんが
こと、ボディシェイプの見事さは生で観る価値が十分あります。というか是非とも見てほしいと思います。上記の3チームを見る機会がない方なら出身者である阿部勇樹、佐藤兄弟、二川、新井場、稲本の連携プレーにご注目下さい。
(ユース出身でも宮本はダメです。ダイレクトプレーの連携に入れない)

※J下部組織全てが優れているわけでは決してないですし
 高校サッカーでも非常に良く勉強されている監督もおられる事でしょう。
 私が見た限りにおける傾向という点でご了承下さい

中田が個人の才覚で身につけたボディシェイプに一部のJ下部組織がカリキュラムの中で教育したそれは劣りません。彼らならオートマティズムを前提とした個の表現が可能だと思います。しかしながら現在のフル代表はオートマティズムが確立されていません。F3についても基本となるライン(真っ直ぐではないという意味ではない)が形成されていない上にブレイクやフォアリベロを語っても本末転倒のような気がします。F3の進化形というより、ライン3ではない3バックとして見たほうが日韓戦は、よほどスッキリ語れます。

ピッチを横1/3に割ったゾーンディフェンスを目指したのが前半。けれどそれもできずに、望月名波がよく助けに入っていました。後半は敵FWに二人付いたり、恒常的に走りあいになっています。これをF3だと言うのならば、オールコートマンマークでない3バックは全てF3に分類されてしまうような気がします。それともトルシエが監督をしていたら3バックは全てF3と呼ばれるのか。トルシエのF3は私がかねて望んでいるようなゾーンディフェンスがベースのものばかりではないと思っています。けれど、それでも日韓戦での守備はF3の機能不全というよりももう、さしものトルシエも現フル代表ではF3を諦めたのだと見ます。

中国戦で服部を最終ラインに起用することの効果は分かっていたはずです。服部が入るとラインコントロールは難しくなります。しかし、人には強いし、カヴァーは安心できる。

F3を諦めた日韓戦ではありますが、この日の3バックはカ杯メキシコ戦からすれば良いデキだと思います。我彼の力の差を考えれば、今年一番のデキないでしょうか。トルシエはF3一辺倒の頑固一徹者でもないのだなと思いました。

以前、道さんにF3は日本には時期尚早ではないですか?と意見を頂いたときには、時期尚早でもF3をやるべきだと思いました。その思い自体は変節していませんが、時期尚早なのも間違いない事であると実証されてしまいました。この点は道さんに降参いたします(苦笑)

最後に言い訳の長恨歌。このカキコは決して現フル代表の守備陣を貶める意図はないです。宮本ファン(←プレースタイルのみ!)の私ですが、術後の経過の不具合だけが理由ではなく今の宮本にフル代表の任はまだ負えないと思っています。宮本が入れば組織が変わるという効果において、彼が代替のきかない選手であるとの認識も依然捨てていません。でも、今の彼をフル代表に入れてF3をやるよりも宮本なしの3バックのほうが強いとトルシエは判断したんだろうしその判断は妥当だと日韓戦を見て思いました。自身の進退問題から日韓戦ではトルシエは勝ちを取りにいったように私には思えました。そうであるからこそ中田と名波を呼び戻してジュビロの選手を起用した。

結果は付いてこなかったものの、内容は悪くなかったと思います。守備にしたってF3として守備を評価すれば×でも単なる3バックなら絶対評価は悪くない。自分の志向や願いと切り離して日韓戦のサッカーをそう見ました。


■自己レス(失礼しました) 2000年5月8日(月) 18時11分

×我彼の力の差を考えれば、今年一番のデキないでしょうか。
                    ↓
○            今年一番のデキではないでしょうか。


■悪文、説明不足のため再度自己レス 2000年5月10日(水) 13時28分

> 五輪代表を含めても日本でオートマティズム議論のお眼鏡に叶う選手で
> フィールドプレーヤーが10人揃うとは思えません。
これは主にJ-NETでのオートマティズム論を対象に感じた意見です。

> ちなみに、私が見た限りで日本で※一番オートマティズムが
> チームとして修得できているのは一部のJリーグの下部組織。
> 一昨年のジェフユース、ガンバユース、昨年のヴィッセルユースです。
> Jユース杯の決勝等ならTV放映があったのでご存じかもしれませんが
> こと、ボディシェイプの見事さは生で観る価値が十分あります。
> というか是非とも見てほしいと思います。
> 上記の3チームを見る機会がない方なら出身者である
> 阿部勇樹、佐藤兄弟、二川、新井場、稲本の連携プレーにご注目下さい。
> (ユース出身でも宮本はダメです。ダイレクトプレーの連携に入れない)

ダイレクトプレーそのものだけを見てほしいのではなくダイレクトプレーに必要な能力とその実践です。ボールを受ける前に敵、味方の周囲の状況を把握、予想しておいて次のプレーをイメージしてその為にトラップする位置を定め(敵の位置と当たりに来る方向を予想しておき、自分の体を使ってそれを阻止したり、或いは相手のチャージを交わしやすい姿勢でトラップする事も含む)これらが可能にするためのボール技術やトラップの精度もです。ボールを走り合って取るときも先にボールに向かって体を入れる姿勢を想定して走るだけでなくボールを取る直前に自分の体を相手に当ててから(パスやドリブルの方向のスペースが空くように考えておいて)ボールにタッチする。

そして、複数のメンバーがそこまでの技術を持つ事によって初めて可能になる高レベルのオートマティズムを是非ご覧下さい。しかし、今、若手だけでフル代表を構成したほうが良いという事で引き合いに出したのではありません。また、彼らがフル代表の座に登り詰めるまで、フル代表はダメであるという事でもないです。現フル代表に見られるオートマティズムは岡田ジャパンの約束事やJチームのそれと比べて実態においてさして差違が無いように思われます。トルシエのサッカーを解析しようとする議論の中で語られるオートマティズムは実態以上に高度なものが多く、そういう高度なオートマティズムを基盤に理論形成する事は将来のビジョンを探るという点で良いことですが、それと切り離して試合を見る必要性を感じています。

試合を見た中から検証していこうとする手法は大いに賛成ですが一部、先に結論というか観念論ありきのお話があってその為に試合結果の評が納得のいかない内容も見受けられます。(増島みどり女史ほどのはさすがにないですが)

> 彼らならオートマティズムを前提とした個の表現が可能だと思います。
> しかしながら現在のフル代表はオートマティズムが確立されていません。
オートマティズム議論に出てくる高度なオートマティズムは
という説明がころっと抜けています。失礼しました。

> F3についても基本となるライン(真っ直ぐではないという意味ではない)が
> 形成されていない上にブレイクやフォアリベロを語っても
> 本末転倒のような気がします。
ちょこっとカッコ書きで述べていますが
・フラットなラインだからF3という。
・オフサイドを取るためにフラットなラインを敷いている
という2点がF3の本質でないことならこちらのBBSで勉強させて頂きました。

> F3の進化形というより、ライン3ではない3バックとして見たほうが
> 日韓戦は、よほどスッキリ語れます。
例えばあのゲームで選手、ユニフォーム、ベンチを記号化して見た場合にF3をやっていたとどのぐらいの方が判断するのだろうか?と思いました。

> このカキコは決して現フル代表の守備陣を貶める意図はないです。
現フル代表の日韓戦の3バックは身体能力の高さを前提にした現実的な守備であり、今の日本の本当のフル代表だと思います。

> 自分の志向や願いと切り離して日韓戦のサッカーをそう見ました。
私はF3至上主義に近い論をウダウダ述べておりましたし(主義)
今だって近未来にはF3をフル代表でもやれると思っています。(目算)
そして、今すぐF3をフル代表でやってほしいと願っています。(願望)
けれど、自分のそういう主義、目算、願望はひとまず封印して日韓戦を見ました。その結果たぶん、ラインコントロールにこだわるよりもあの3バックのほうが日本は強かったと思いました。そしてトルシエはリアリストでもあるのだと再認識したのです。

またパクリのトピ名「書を捨て街に出よう」で誤解が与えてますが、今までの議論を放棄しているつもりはありません。理論体系の枠からサッカーを見るのではなくなるべく先入観を持たずにゲームを見ようと自戒の念を込めてパクリました。具体的に言うとトルシエ=F3というのに捕らわれすぎてはいまいか?という疑問が出てきたからです。ずっと彼はF3を取り入れてきたと聞いてはいるものの実際に自分で見たわけではないし、F3にもいろいろあるし。

今までの自分の考えを捨て去ることも、偏見を消すことも不可能だけど論に絡め取られて現実のサッカーの評価を見誤る事のないように少しでも努めたいと思いまして。


■F3だと判断したチーム 2000年5月12日(金) 22時59分

生で見た試合なら
早野監督就任以降前回天皇杯までのG大阪
1998〜日本五輪代表
 同 日本代表
2000ジャパンユース 日本対イタリア

個人的にTVだけで観て判断するのは避けてきたのですが
オランダと1999Wユース日本代表は範疇に入ると思ってます。

CSに加入してますが海外のゲームは漫然と観てますので判断できません。
よってかなりサンプル数に問題があるかと思われます(笑)


■強いことで前を向ける、上手いことで自由になれる。でも・・ 2000年5月16日(火) 0時2分

 サッカーに限らず技能の種類によっては修得すべき時期というのが厳然として存在します。外国語において留学する年齢で発音やニュアンスの修得度が異なるように、音楽において絶対音感が備わる時期が極めて限られるように、バレエも大成するには始める時期が必要最低条件になるように。だからこそ、サッカーにおいても特定の技術については修得すべき時期の提言が強化指導指針に盛り込まれていて、ナショナルトレセンでも若年層からの系統だった指導をしているのだと思います。
 
 サッカー大国では環境の中で身に付くスキル、意識でも、日本では理論に基づいて意識的に強化しないと身に付かないスキル、意識があります。発展途上の日本ではボディシェイプ、視野の確保、ゾーン感覚はサッカー頭に恵まれた天才が個人的に努力を重ねて獲得したケースが殆どでした。今は育成環境、組織がそういう技能を育んだ選手が段々頭角を現してきています。

 トレセンや一部のJ下部組織が輩出し始めた若い選手達は高いスキルを無意識に駆使できるため自由な発想をプレーで体現し始めています。両足を遜色なく使い、狭いスペースにもプレーの選択肢を限定されず、トラップに全神経を注ぐこともありません。私は欧州のサッカーは漫然とTVで見ているだけですが、そのどのサッカーとも違うサッカーが一部のJクラブユースにはあります。一例としてサーカスみたいなガンバユースのサッカーなら98年高円宮杯決勝でご覧になった方も多いでしょう。

 サッカーに限らず技術大国日本では、組織や環境が劣っていた中でも中田や小野が出てきます。そういう技術志向の国で育成組織、環境が整った中で適切な時期に適切な指導を受けた選手層が厚くなれば、均質な高技術に基づいた日本独自のサッカースタイルが持ち得るのではないかと夢見ています。

 けれど基礎技術や意識が高くてもそれだけでサッカーは勝てません。フィジカルだけでなく対戦相手のデータ、自分の経験の蓄積や試合運び、メンタルの強さや精神的なスタミナ、モチベーション等を総合してこそサッカー。現実に、高スキルの若年層(しかも殆どが何らかの代表経験者)を多く登用することの長短なら私はいやというほど目の当たりにしています。上手いだけではサッカーは勝てない。そう、実例なら当のガンバユースやトップの試合を数多く見て本当に身に染みています。結果から推測するとジェフも同様かもしれません。そして、もうひとつ思うことがあります。例えば中山選手の溢れるファイトや向上心は、もしかしたら彼自身が認めるように技術不足からくるものかもしれない。私のご贔屓宮本は自分のプレースタイルを「身体がないぶん自然に身に付いた」と言っています。
コンプレックスが人を成長させる例だと思います。
高い基礎技術を身につけた若い選手達は、もしかしたら日本の今の中堅ベテランが持ち得ている別の美点のなにがしかを身につけられないかもしれないと。(だからといってナショナルトレセンや一部のJ下部組織の系統だった教育をやめて野生を取り戻せ、というのではありません。長短を相対的に評価すればメリットのほうが大きいのは明らか。念のため)

 一連のオートマティズム論に対する疑問を書き込む前に現状の達成度とこれぐらいできたら満足という状態に至るまでの時間の見込みをお伺いしなかったのは私の重大な手抜かりであったと思います。大方の方は現状からエッセンスを抜き出してトルシエサッカーのアイデンティティを探り、将来のありうべき姿を予測する為に論じられていたと解しています。ですから、あらためてありうべき姿が現実にはいつ達成されるとお考えなのかその時点で予想される選手の年齢構成なども含めてお伺いしたいと思います。

 私の意見は以前にこちら「西暦2000年のダンスと近未来の踊り」と銘打ってカキコしたようにF3にはゾーンディフェンスの素養が必要で、ゾーンディフェンスに必要な能力を伸ばすには、適切な時期(年齢)に適切な訓練が必要だと思っています。WユースでF3がやれたのは、選手が若かったという事とトレセンの整備も大いに関係があると思っています。

 ゾーンディフェンスでゾーンをケアするのは単にゾーンの真ん中に位置するということではありません。対人プレーだけに縛られず刻々と変化するボールの向き、敵味方の位置と枚数、ゴールとボールとの距離、方向を情報処理して自分の行動を決める必要があります。その結果DFにとっていえ人間にとっても本能的な動きと乖離した動きが必要となるケースもあります。その為には繰り返し基本動作を反復練習して本能を訓練で押さえ込む必要があります。ずっと以前にJ-NETでそのあたりのことをバレエにおけるバーレッスンになぞらえてF3におけるステップの矯正として表現したことがあります。バレエではどんな名手も極めてシンプルなバーレッスンを毎日欠かしません。バレエの美しいポーズは実はバーレッスンで肩や足腰の関節を矯正して初めて舞台上で自然で伸びやかな美しさを表現できるのです。そして基本的なバーレッスンの所作の上に応用編のポーズがのっかっています。トルシエのF3の反復練習もバーレッスン同様、毎日必要な基礎練習にして矯正ではないかと思っています。トルシエ流F3ではそういうステップの矯正はラインの上げ下げだけでなく3mを保ったディレイにも顕れてると思います。ラインの上下動やディレイの動きそのものは得手不得手があっても目的意識を持って練習すれば年齢を問わず身に付く動作だと思っています。フル代表ではまだ物足りないのですが、こういう対敵を基準とした少ない情報で行うオートマティズムは大人になってからでも身に付きやすいでしょう。けれどもう一歩進んでオフサイドを取りに行く、或いはサイドのDFが抜かれたあとの対応をどうするか?というあたりになると処理すべき情報量はぐんと増えます。例えばエリア内でなおゾーンで守るのか、それとも人に付くのかとか選択肢も増えてきます。ここで、判断の精度を上げようと思えばできるだけたくさんの情報を読みとって、判断することだと思います。その為には周囲の状況をこまめに確認するクセがまず必要だと思います。首振りは何も中田ヒデの専売特許ではありません。しかし、その一方で情報量が多ければ処理に時間がかかるし、情報の中には相反する要素もあるでしょう。マンマークに比べると素早く必要な情報を取捨選択して、対立する項目には優先順位をつけて事に当たる能力がゾーンディフェンスでは空間認識能力と並んで重要だと思います。しかしいちいちそんな事を考えてやっていては状況判断のスピードに難が出る公算が強いし、演算結果は選手の個性に大いに依存してしまいます。そうなれば結局味方同士でも違う判断をしてしまい、連携に支障が出ます。だからゾーンディフェンスを早くから学ぶことで、いちいち全て情報処理するのではなく大まかなところは状況から直観する、基本的なところは反射的に解を得られるような能力が望ましいと思います。(二桁かけ算の暗算みたいなイメージです。九九の暗唱をマスターして積を足し算するみたいな)その上でゾーンディフェンスをするに当たって必要な個々の状況の洗い出しと状況判断の優先順位を体得しておけば、ゾーンディフェンスにおける高度なオートマティズムも可能かな?と思います。けれどそこまでゾーンディフェンスが身に付いていてフル代表で即使えそうな選手は私には現在見当たりません。まして3人揃えることは当面難しい。

 では現在の実態はどうでしょう?フル代表に限っていえば、周囲の状況を確認するための首振りの回数が足りていると思うDFは極めて僅かです。(たとえ高度なオートマティズムが身に付いていても見ないことにはどうにもならない)特にプレー中の首振りは極端に少なくなる傾向があります。眼前に敵が来たらそうそう目は離せません。目が離しにくい距離になるまで事前に首振りが出来てる選手は本当に少ない。ただ敵と走ってるときも車の車線変更のときにサイドミラーを覗いたり目視したりする程度には見てほしい。このあたりでオートマティズム論は現フル代表ではどれぐらいやれるようになるのだろう?という疑念がまずあります。だったら状況確認をするために首振りを励行したらいいじゃないかという意見もあろうかと思いますが、今まであまり見てなかった選手がいきなり首を振って見るようになっても情報量が増えた分処理が追いつくのだろうか?という問題があります。判断のスピードや精度にかえって支障がでると私は思います。

 今週のJ`s Voice−連載コラム「U−19日本代表の行方」(文/後藤健生)のコラムは私も同感なのですが99年Wユース組のボディシェイプはまだ考えながらやっている段階で母国語の文法のように意識せずに使える世代はまだ下で、現U-19はバイリンガル程度だと見ています。(酒井や稲本は次代にバイリンガル世代が出現する先駆けであると思います)守備についても同じ事でチームの強弱は措いておくとして現U-19はゾーンディフェンスに必要な基礎能力を然るべき時期に学んできて今に至っていると思います。何回も繰り返しますがこういう視点で年代別代表を語ることは短絡的にだから今のフル代表はダメだとか将来にしか期待はないということに直結しません。くどいようですがサッカーがそんな単純なものではないと知っているつもりです。

 サッカーにおける戦術のひとつであるF3。
そのF3が日本でどの程度効果を発揮するのか、どのくらいの期間でどのレベルまで行けるのかという事を考えるときに、目標設定値を高度なオートマティズムに基づくF3とすれば、私の考えは世代交代がもう少し進まないと難しいと思います。かといって無理に世代交代すると別の弊害が出てきます。2002年に監督がトルシエであっても、理想とされる3人あるいは守備陣全員がが同じ判断を下して支持無しに動ける状態にはおそらくなっていないと思います。現実的にはその理想に至るまでの過渡期のF3で闘わざるをえないのかな?と予想しています。でも過渡期の(統率者のいる)F3も評価すべきだと思っています。過渡期の今は次代の先触れとなる選手も居てますし次代には失われてしまうかもしれない能力を持っている選手も居てパラダイムの転換点ならではの魅力があります。しつこいようですが同じような理由で日韓戦は普遍的な3バックだと私は分類していますがだからダメだとは思っていません。スコアという結果には表れなかったものの、F3を評価する視点にこだわらずに試合内容を見たらやっぱり今年一番のデキだと思うからです。

もう、読んでる方はほとんどいらっしゃらないと思いますが反論があれば慎んでお受けいたします。


■上手いことで自由になったから、 2000年5月18日(木) 1時16分

> 読んでます。(笑)
まことにありがとうございます。2,3ページ後に回ってからでもレス頂けて大変嬉しいです。私の齟齬だらけの悪文ですので、ご苦労かけているかと思います。ですが、今後ともよろしく。

>日本という国には責任回避の国、出る杭は打たれる国。
>農耕民族である日本が狩猟民族的なスポーツサッカーに向いているのかどうか?
素人考えですが向いてるところもあると思いますよ。フラット3だって長年一列に並んで田植えをしていた伝統で真っ直ぐに並べたのかも知れないし。(失礼しました)サッカーにお国柄があるのは事実ですが、日本流というのはまだない。だからこれから日本の国情に根ざしたスタイルができたらいいなと思っています。ブラジルのサッカーからサンバのリズムを感じるように、日本のサッカーから盆踊りか河内音頭の匂いがしたらいいな、と思っています。

余談ですが知り合いの社交ダンスのプロの方がW杯98をほとんど何の知識もないままTVで食い入って見たそうです。そして「足技はブラジルが一番キレイ」とサッカーのルールも殆ど知らないかなりの年輩の彼女が言うのです。彼女は夢中になって虚心にW杯98を見て軽く言ったのですが、何のステップに似ているかを分析依頼したところ本当にサンバでした。それで未来の日本サッカーを能、神楽、日本舞踊、と素人のくせに検討したのですが私はレゲエでも踊れる盆踊りを推しますね。

>私の懸念するところは技術力は上がった。ディフェンスもうまくなった。
>しかしそのわりには勝てない。という傾向が長い間つづくのではないか?
これは私もおおいにあり得ると思っています。何故なら私が未来を予測するのに重要な指標にしているガンバユース、トップにその傾向が顕著にあるからです。弱小チームを日本の未来を計るのに用いることが反対、不快な方もおられるでしょう。個人の物差しということでご勘弁下さい。

しかし、このことに対する問題意識はちゃんと指導者にあるようです。そこで指導者から改善ができることは着手されているみたいです。

1.プレーの優先順位を叩き込む。
これはガンバユースよりもジェフユースの方が優れているかな?と思います。選手のパスの優先順位が正しく身に付いています。その反面ガンバでは選手個人が考えることを大事にしているとも言えますが曲芸に走っている傾向も見受けられる。

2.リスクチャレンジを是とする風潮
日本人には横並びの風潮があるから、良いリスクチャレンジを見極める目を養ってリスクチャレンジを是とする風潮をチーム内外で蔓延させる。

技術が上手くなったことで自由になったからプレーの選択肢が増える分、どのプレーを選択するのか?という責任は大きくなります。そしてピッチ上の局面局面で結局選手個人が負うことになります。外部から改善が可能な事は大事な部分ですが補助的なものですね。
だから
>「強いパーソナリティ」と本来の目的を効果的に行うための
>「判断基準」と「判断」をこえた「信念」を持たなくてはいけないはずですが、
おっしゃるとおりだと思います。

けれど
>どう考えても簡単なことではなさそうな気がします。
簡単ではないでしょうけど何とかなると楽観しています。上手いのに勝てなくてとびきり悔しい思いをした選手達が悔し涙を大人への通過儀礼にかえて成長していってるところにいま立ち会っていますから。

>単なる懸念でしかないのでしょうか?
単なる懸念ではないと思いますよ。


■RE:休題 2000年5月18日(木) 21時40分

> > ブラジルのサッカーからサンバのリズムを感じるように、
> > 日本のサッカーから盆踊りか河内音頭の匂いがしたらいいな、と思っています。
>
> 河内音頭だと大阪出身で固めなくては。
・・・・・どなたかツッコミを入れるかも?と思ってましたが、よもやミケロットさんとは(笑)さすがですね。「河内音頭」の部分は皆様お好きな踊りに読み替えて下さいませ。藤本なら阿波踊り、山下なら博多どんたくでしょうか?

> 私の連れは、少々絵画をかじってます。彼女は、スタジアムでは、トルシエのよう
> に指で四角を作って観戦することは以前にも書きましたが、バルサのサッカーは、
> 「幾何学的に美しい」のだそうです。人間が集まりすぎず、離れすぎず、フッと空
> いた空間があるとスルスルっと選手がその空間を埋めるので、一時的な乱れがすぐ
> に緩和される。ちなみに、NZ戦の前座のユースも「幾何学的に美しい」時間があっ
> たそうです。

これは実は私のツレアイも同様の発言を致しております。前述のダンスのプロというのがツレアイの師匠なのですが、ツレアイがぼっーーーとピッチを眺めて一番美しかったのがジャパンユースの浦和でのU-19日本代表だったそうです。そして前座試合のU-19×FC東京。その次が昨年セカンドステージのガンバ大阪。そして99年五輪代表とのことでした。

空間認識能力に欠ける私がピッチを舞台に見立てて俯瞰してもF3の守備ラインは均整のとれた西洋のダンスに近いときはよく機能しているような印象があります。一方攻撃の方は歌舞伎の不等辺三角形のひっぱり。不等辺三角形でも(ゆえに)美しい、そんなバランスが必要なのかな?と今ふと思いました。全くの思いつきです失礼しました。


■遅ればせながら 2000年5月13日(土) 9時39分

(標準的なF3の概念:そういうのがあるかどうかも不安ですが)
世界で一般的なF3についての定義を自信持って私が答えることはできません。名前からDF3人がフラットな形に並ぶことが特徴的な守備の形態であるという極めて大ざっぱな推測しか持ち得てないからです。オランダの試合は私も情報量が制限されるTVでしか見たことがないので、私の能力ではオランダの守備については語ることはできません。CSで親善試合やユーロ2000予選を見る限りにおいては↑の大ざっぱな推測の範疇だと思います。素人目にも分かるくらい真っ直ぐならんでいるからです。

(トルシエがやろうとしていたF3についての私見)
彼がインタビューで語った内容を信じるのであれば守備であれ攻撃であれ効率的な組織を目指していたと思います。ゴールまでの手数を少なく出来うる高い位置でのボール奪取そしてDFが肉体的なスタミナを無駄に使わないように。

そうするための具体策がF3でありラインの形成はオフサイドというルールを利用してゲームスペースのコントロールの為にDFがソフトな盾を兼ねることであって、オフサイドの量産自体は第一義ではないと思います。とはいえ、ある程度狙ってとったオフサイドがないとラインが盾を基準とした障壁として機能するとは思えませんのでオンプレー中にラインにユニットとしての能動的な動きが見られず敵に押し込まれるままずるずる下がったりオフサイドがとれるケースに走り合うのはそれに反した動きだと考えています。

しかし、試合中そういうずるずる下がる時間帯やオフサイドがとれるケースがひとつでもあったらF3にあらず。とは申しません。そんな事は不可能だと思っています。だから、どのくらいやれたらF3と言えるのかという量の部分は非常に規定が難しいと思います。その線引きを恣意的であると指摘されたら身も蓋もないからです。けれどだからといってその判断を避けるのも思考停止、議論の打ち止めに繋がるのでリスクを承知で自分の考えを申し上げております。

基準はラインコントロールを意識しているかいないか、だと考えています。もちろん意識だけでなく意識されたラインがどれくらい形成、統率できるかがF3の成否だと思っています。他人である選手の意識を量ろうとは何とも無謀な試みだという自覚はあります。ちなみ選手のプレーからそれを測ろうとすると不遜な試みをするとやっぱり、丹念にプレーをひとつひとつ見るほかなくなります。ボールがないところの動きもサッカーでは重要ですのでそれを見ようとすると私の低い処理能力では守備を中心に見ざるをえません。F3に限らずサッカーにおいて攻守は表裏一体。それを殆ど守備面からのみ語るのは手落ちでしょうがご寛容下さい。

話し戻ってラインコントロールに対する意識で判断するならオランダのF3のように守備の形状から判断することは難しい。その前にはラインの形とはなんぞやとかラインコントロールについての定義も必要になってくるかと思います。

ここでいうラインはソフトな盾を兼ねたDFが形成するのですから常に真っ直ぐなラインを形成することは無理だと思います。DFの仕事はラインを形成する或いは敵FWを牽制するだけではないのですから。その一方で先に申し上げたとおりオフサイドで敵攻撃陣を牽制する為には真っ直ぐなライン、一つのユニットとして動ける器量はケース必ず必要だと思います。だから、F3の成否の判定には狙ってとったオフサイドの数だけではなく敵攻撃陣がどれぐらいオフサイドラインに牽制されていたか
という視点もありかと思います。これも判定が難しいですけどね。

また、目的が効率的な守備、効率的な攻撃が主眼であるならDFの誰かが前に出てボールを奪ったケースで、そのまま前に攻め上がるのも大変有効な方法となり得ると思っています。けれどそこはリスクと表裏一体ですので、攻め上がった事だけで評価するのはどうかと思います。その結果途中でボールを失って自軍のDFが走り合いになっているのであれば成功とは言えませんし、とはいえゴールに到らなかったからといって全て失敗と言っていては攻撃において大事なリスクチャレンジができません。ここも、恣意的との誹りを受けても長短を総合的に判断するしかないと思ってます。

また現実にオフサイドを狙ってとるには最終ラインと敵攻撃陣の関係だけでは語ることができません。一般にボランチを主とした中盤のプレスの効いてるか否かがオフサイドを狙ってとる以外にも高いラインを維持できるかどうかも合わさって中盤のプレスが考慮すべき要素とされています。ボランチとの連携、3人が一つのユニットとして動ける器量と言えば抽象的ですのでここを思うままに語ると、理想的には反復練習や全員の高い共通意識に基づいて選手が的確な同じ判断を同時に共有できれば申し分ないのですが今の日本代表には当面無理だと思います。

現実の試合で選手間の判断が逆、あるいはタイミングがズレてるケースが多くあります。ラインの上下に限らず、マークの受け渡しや、ボランチとの連携どれをとっても全員が的確な同じ判断はまだできていません。日本でF3をやろうとすれば最低数年はラインの統率者というより守備の交通整理をする役目を誰かが果たす必要があります。某選手が「オフサイドを取りに行くかどうかはお前が決めろ」とトルシエに言われたというコメントがあるように現段階では大方の判断を各個人に任せるとF3は機能しないとトルシエも見ているのではないでしょうか。とはいえ、プレー中に複雑な指示などできるわけがないし守備の統率者の意志を味方数人に素早く伝える事も難しい。やはり理想的にはボールの位置、持ち方、敵味方の状況によって守備陣が同じ判断を自分で出せるようになることだと思います。

しかし、その理想に到る道は問題が山積みです。山積みの問題を片づけていくよりも現段階では統率者をおいたほうが効率が高いと思われます。だからトルシエサッカーのひとつの仕上がり品である
Wユースでも手島という守備のリーダーがいました。

(トルシエの守備組織)
ひとつの完成品として評価されるWユース代表チームや完成に近づいていた五輪代表チームにはあきらかにラインコントロールに対する意識があったと思います。そしてWユースではラインがコントロールされている時間帯に効率の良い攻撃が見られたと思います。ですから私は一般に流布するトルシエ=F3(冒頭の大ざっぱなF3に含まれるトルシエ↑がやろうとしていたF3)の図式に疑問を持っていませんでした。しかし日韓戦のサッカーは上で述べた(トルシエがやろうとしていたF3についての私見)(標準的なF3の概念:そういうのがあるかどうかも不安ですが)に該当しないと思っています。でも該当しない、するが短絡的に優劣に直結するとは考えていません。大事なのは「効果」なのですから。

(日韓戦評)
トルシエ流に限らずF3という戦術のカテゴリーを考えた場合名前からフラットなラインディフェンスというイメージが支配的だと思います。田村修一がSサッカーでトルシエのイメージはメキシコとオランダと述べていましたがオランダのF3そのままではないと思っています。日本代表で見る限りトルシエ流のF3のラインは割合ルーズだしどの代表でもDFはゾーンに始終しばられている事もありません。

それは組織としての柔軟性を持つという面でメリットだと思っています。それでは日韓戦の守備もその柔軟性を活かしたトルシエ流F3のひとつではないかという疑問もあろうかと思いますが、私はトルシエ流F3の私見の本質が満たされていないので違うと思いました。一般にマスコミから流布する高い真っ直ぐなラインというF3の特徴は一面で正しいと思っていますが、それが殆ど見られなかったからF3ではないと思っているのではありません。最終ラインがリアクションに終始している時間が長かったというのも判断材料のひとつです。(リアクションが常に悪いわけではない)もうひとつが、守備の統率が不足していたことです。例えば失点シーンですが韓国お得意のロングスローから振り返るとTVで見るかぎりでは稲本がその場面に見あたりません。一見守備の人数は足りていますがロングスローの後の日本選手のポジショニングが悪く人数が足りているのに一カ所に固まっていてゴールを防ぐことができませんでした。ハ選手のシュートが素晴らしいのを差し引いてももし、あのシュートがゴール前ファーにこぼれても結局蹴り込まれています。こぼれたボールをケアするように指示が出てなかったことスローインではボランチであるのに戻ってなかった稲本個人にも問題がありますが彼を呼び戻さなかったコーチングの不在も指摘したいと思います。

以上が判断理由の解析です。
けれどいささかこれは理屈っぽくてトピと自己矛盾を起こしていますね。試合を見た直後の、未分化の感想が「Jリーグでよくみる3バックみたい」でした。Jリーグの3バックにもいろいろあるので乱暴な意見ですがね。(試合中は望月名波の守備への参加に気づいて岡田ジャパンみたいと思った。)あとトルシエ流F3特有の3mを保ったディレイがあったかな?と。ラインが低かったから元からディレイをかける距離がなかったと思いますがオンプレー中最終ラインはスイパーシステムに近かったと思います。

ビデオを何回か見直してみましたがオンプレー中のラインが高い時間はほとんどなく日本ペースの時間帯のボール奪取も最終ライン組織との関係からボールが奪取できたケースは少なかったように思います。そして韓国戦の守備で良かったところを語ると組織より個人能力の手柄が目に付きます。松田の身体能力の高さを活かしたカットや服部のカヴァーリング。試合全般ではスカスカの中盤ではありましたが両アウトサイドの献身的なフォローもありました。

だから日韓戦は古典(←いつの時代でも存在しうる、普遍的に価値のある)的な3バックであり、そういう見方をすると悪くない思いました。あの日の韓国の作に対するF3での対処を考えてみましたが理論上は高いラインを保って敵FWを牽制しヘディングで競ったボールがこぼれたらカヴァーというのが基本でしょう。また、予め引いておいてロングボールを蹴りそうなときにラインをあげるというのも対処法のひとつであるかと思います。オフサイドをかけ損ねてもDFが前を向いて処理できる可能性が高いですし。しかしどちらもリスクに対する効果が低いように思えます。ラインコントロールを意識しなかった事でDFの労が軽減されたメリットもあったように思えます。そしてトルシエのコメントを読むとトルシエは3バックに不満を持ってないようです。だから日韓戦の3バックはトルシエの意図する守備からそんなに乖離してないと思いました。それで、今までのトルシエ流F3をあきらめたのだなと思いました。私はトルシエを自分の戦術に向いた選手を選んでその戦術の型にはめてチームを作る監督だと思っていました。それが作られたイメージから私が間違った見方をしていたのかそれともトルシエにあった型にはめてチームをつくるという姿勢を変更させたぐらいの選手がいたのかは分かりませんけどね


■RE:中断された間奏曲。 2000年5月18日(木) 21時9分

>ひとつの懸念でもありますが、
>オートマティズムが日本のサッカーに定着したとして、
>それを見る観客が殆ど理解不能に陥入り、
>見当外れの監督・選手批判をする可能性があるかな、と思いました。
>いくつかのサイトでも、この議論の入り口のはるか手前で話が止まってしまう
>(読者が理解できない状態?)傾向を感じます。
理想論でしかないのですがオートマティズムが行き渡ったときのゲームの面白さが、理屈を超えてる、
そんな状態になれば見当はずれの批判はないと思います。分析したり議論するのは大変だと思いますけどね。

私は長い間(一寸自慢かも?)漫然とサッカーを見ていました。J開幕の予兆もない頃の大阪では、あまりの寒さに耐えかねたおっちゃんがフェンスにワンカップを一列並べてぐいぐい呑みながら見ていたり、同じく寒くて端っこで用を足す無法者がいたり、たまにTV中継があったら客数を多く見せるためにTVカメラの視野に入るよう集まって座らされたのはいい思い出です。その頃の私を連れていた父は試合を説明してくれるでもなく、感想もあまり語らなかったので、肝心の試合内容は全く記憶にありません。そんな私が多少なりともシステムを意識しながらサッカーを見るようになったのは
U-21アルゼンチン戦以来ですね。ドーハ、ジョホールバルからの中継も手に汗握りながらもボールのあるせまいエリアとボールの軌跡ばっかり追いかけてた。遠国田舎(おんごくでんしゃ)の私にでさえ届いた面白さは本物だと思います。利休の茶が秀吉という遠国田舎を揺さぶったように、高度なオートマティズムによるサッカーは今よりもずっと多くの観客を楽しませる事ができるかもしれません。

ところでオートマティズムというよりもF3を語る上で、私はしばしばゾーン感覚という言葉を使います。あるいはあの選手はゾーンディフェンスができてない、できていると。F3に関する評価をするうえではゾーンは重要な概念だと思いますが、ゾーンディフェンスができているできていないの評価が同じプレーを見ても、千差万別なような気がします。ゾーンディフェンスに関して私はかなり厳しい査定をしています。ゾーン感覚に優れた大人の日本人選手はまだまだ少ないなぁと見ています。トルシエの3バックを担ったからといってそれでゾーンディフェンスができる選手というような評価は納得できません。マークの受け渡しや侵入者への対応の選択を含めて評価するにはビデオで繰り返し見るのは便利ですね。でも必要な情報が画面から切れている事がしばしばあって辛いです。以前にも書いたのですがビデオ観戦の達人者さま!ひとつ御指南よろしく。トルシエなら「バックミラー」と言うのだろうか?

>全体的に抽象的な感想で申し訳ありませんでした。
いえいえレスありがとうございました。
私自身が途中からずいぶん抽象的な話をしてますしね。サッカーの試合を見て、そこから物思うことを語るのは楽しいですしね。ついつい脱線傾向にあります(笑)


■日韓戦から 2000年5月22日(月) 12時24分

こんなに真摯にレス頂きまして光栄に思います。

>言葉やイメージの問題が大きいようなのでとりあえずそれのすりあわせ。

>「ゾーン・ディフェンス」H−ICHIJYOさんの書き込みでは
>ポジションバランスを優先するもの「のみ」を指していますが、
たしかに私がこのトピの俎上に乗せたのはポジションバランスが多いですけど以下の「も」の部分もあると思っています。

>「ゾーン・ディフェンス」には選手一人一人にゾーンを設定して
>そのゾーンに入ってきた選手にマンマークし、
>ポジションバランスにそれほど拘らないやり方「も」入っています。
>ただ、このやり方には当然受け渡しが必要で、
>この部分にも駆け引きが存在します。
ですからマークの受け渡しに言及している部分もあるのですが、私の文章は非常に齟齬が多く、分かりにくいので自分のイメージを伝えられなかった責任は私にあると思います。ポジションバランスを優先するもの「のみ」では結局ポジショニングの問題に近いですからね。私はプレー中に担当するゾーンは変化して、その変化に対応するポジショニングバランスが基本にあって個々の対応はシビアゾーンのケアであったりゾーンに侵入してきた敵のマークであったりすると思っています。ポジショニングバランスだけではDFは敵に当たれませんし。

>どこからどこまではどの選手の分担であるかが決まっているわけですが、
>そうなるとゾーンが重なる部分が出来、受け渡しが曖昧になって
>フリーでボールが持てる場所があるわけです。
>例えば最近ではセレッソの森島なんかが
>そういうところにポジショニングしているといわれています。
>その対処法としてよく使われるのがマンマークで、
これは非常に分かりやすい説明でした。前述の個々の状況ごとの対応だけでなく戦術の中でゾーンディフェンスの中にマンマークを担当する者がいるという事でよろしいでしょうか?

>報道によれば今夜の試合でも
>アルディレスが森島にマンマークさせるようです。
ごめんなさい、ちょっと本題とずれるかもしれません。T.KさんはFマリノスの3バックをゾーンディフェンスとお考えなのでしょうか?森島対策のマンマークはゾーンディフェンスのチームでも有効な対策に成り得ると思っていますが、それがFマリノスについてもゾーンディフェンスのリスクを回避するため、というのはよく分かりません。ついでにお伺いしたいのですが後藤健生氏はFマリノスの3バックをF3に分類していましたが、T.Kさんも同様ですか?

>代表でも当然そのような駆け引きは行われているわけで、
>マンマークしているのは選手の個性でもあるだろうし、
>必要な駆け引きでもあるわけです。
これはおっしゃるとおりだと思っています。でも、このトピを書く元ネタになった現実の試合、日韓戦に摺り合わせて平たく言うと、F3の戦術の中に最終ラインが下がりっぱなしで殆どマークの受け渡しも行われず、一人が競って一人がカヴァーの形に終始してサイドハーフが恒常的に最終ラインのアウトサイドや中央にまで顔を出し中盤が間延びしている形があり得るという事になるのでしょうか?

そして、↑の解釈どおりあの日韓戦のスタイルがF3の範疇に入るならどういう駆け引きでF3としてあのスタイルを取ったのか私には分かりません。同じく戦術としてマンマークを担当する選手がいたのであったのなら主に誰がどの選手に付いていたのかが分かりませんでした。また、選手の個性でマンマークを多用していたのであったのなら、そういう個性の選手を起用するとF3をやりにくくしませんか?

そして、できましたら理論から先に入るのではなく試合(日韓戦)に則してご説明頂けたらと思います。日韓戦は既にF3ではないという相違点についてですが、相違点の根源はトルシエのF3に対する間口の広さがかなり違うということですよね?そこでトルシエのF3とはなんぞやという私見を
長々と書き散らしていたのですが、短くするとゲームエリア設定の為の手段がライン、ラインをやりながら守りきる為の方法のひとつがディレイやボランチ、サイドハーフの戻りだと思っています。でもそれはラインが形成され機能した上での話だと思っています。ラインが殆どできていないのにボランチやサイドハーフが戻ってくるからF3とは思えないです。(ボランチやサイドハーフが戻ってくるからF3とはどなたも仰ってない事は弁えてます。これはボランチやサイドハーフが戻って来る事全てがF3だけで起こることではないという事を言いたい)だからラインについて色々と思うところを申し述べておりました。

>「フラット3」僕の場合これはDFラインのみを指すものではなく、
>「組織全体の共通認識」を表すものとして使っていると思います。
私もそう受け止めて読んでいますし

>(DFラインのみの場合もあったかもしれないけど)
>例えば僕が書いたフラット3の本質は
>「ラインコントロール、ロングボールの対処、ディレイ作業」
>(議論の流れの中でこう書いたんだけど)でしたが、
>ディレイ作業以外は状況によって
>(プレスの有無やボールの位置、状況)
>DFラインのやり方が変わってくるし、
全くそのとおりだと思います。そして

>DFラインのやり方が変わってくるし、
私はここが最大の争点になるかと思います。私は日韓戦はラインを形成できてないと見ています。

>ディレイ作業にしても約束事に基づいた
>サイドハーフやボランチのポジショニングや戻りが必要とされますし。
>RYUさんも指摘されてますがサイドハーフの戻りは約束事です。
同感です。明らかにそれは指示されたルールだと思います。ラインだけでは守りきることはできないという現実の前の明確な約束事であって私的にはオートマティズムとは言い難い。ブレイクにしても練習の中でやらせているのであればなおのことクラブチームでの約束事や岡田監督が選手の臨機応変に対応する力を殺がないようにと「共通理解」という言葉を使って緩やかな約束事をチーム内に行き渡らせようとしたことと、実態の上で何がどれほど違うのかよく分かりません。

けれど99Wユースで垣間見えたオートマティズムは、岡田ジャパンの「共通理解」を超えたオートマティズムがあったと思います。しかし、あれが現フル代表でどれぐらいやれるのか?という事を考えたときにゾーンディフェンスやボディシェイプ等基礎技術が今からでは十分補えないから実効性が薄いと書きました。その一方で私は現フル代表の選手に敬意を払う人間のつもりですから、99Wユースのやり方とは違うトルシエジャパンも存在価値があると思います。丁寧にかみ砕いてご説明頂いている好意に甘えまして、またまた質問ですが、T.KさんはJ-NETでお書きになったオートマティズムを達成するにはどれぐらいのタイムスパンをみておられますか?

>上のことを考えてもらえれば納得できると思いますが、
>訳わかんないところがあれば答えます。
>(僕はよく省エネするんで)知ってる範囲でですけど。
文頭でも御礼申し上げましたが、簡潔に手際よく書けない私の文章をお読み下さいましてそれにつきあって色々と考えて頂けてありがとうございます。ご厚意に甘えまして色々お尋ねしました。それではよろしくお願いします。私がよく知らない外国のF3の形態や世界的なF3の概念とかも教えて頂けると有り難いです。


■RE:書を捨て街に出よう。 2000年5月25日(木) 12時39分

迅速にお答えいただきありがとうございます
> >T.KさんはFマリノスの3バックをゾーンディフェンスとお考えなのでしょうか?ついでにお伺いしたいのですが後藤健生氏はFマリノスの3バックをF3に分類していましたが、T.Kさんも同様ですか?
>
> 同様です。
JでもF3をやっているチームが結構ある。というのはなるほど、と思いました。日韓戦を見た直後の感想がJリーグでよく見る3バックみたいと先に書き込んだとおりですからね。これからはF3という戦術の認識を新たにして試合を見ようと思います。

> >DFラインのやり方が変わってくるし、
> 私はここが最大の争点になるかと思います。
> 私は日韓戦はラインを形成できてないと見ています。
>
> いや、大した問題じゃないでしょう。DFラインといっても常にフラットである必要はないんですから。言葉の問題です。
>
> >明確な約束事であって私的にはオートマティズムとは言い難い。
> 僕は「オートマティズム」=「規律」と書いています。H−ICHIJYOさんの指摘されるようなものではないです。「コモンセンス」のことをそう書いたかもしれませんけど。
誤解については陳謝します。そしてオートマティズムが規律。これを読んで思いはじめてる事があります。

「人かわり、名かわれども、それはそれ」

監督によって
『約束事』『共通理解』『規律』『オートマティズム』と名前は変わっても実態がどれほど違うのだろうか?と自分がこだわってた微細な差に対する反動なんですけどね。トルシエの特徴として彼は『オートマティズム』という言葉を使う、ここまでは紛れもない事実だけど、中身を見た場合にトルシエ独自の問題として語れることはあまりない。『約束事』『共通理解』『規律』『オートマティズム』と名を変え、微妙に意味するカテゴリーを変えるモノは戦術を浸透させる上で必要なものだから。同じように『集団の中の個』も岡田監督が腐心していたことと何ほど違うのだろうかと思う。タイムスパンや本番前の状況をということを考慮してフル代表を比較の道具に考えたら、チームにどれほどの差があるのだろう。(こういう比較をすると誤解を受けそうだけど、私はトルシエに続投してほしいし、教育者として高く評価している。采配や戦術面では大満足とは言い難いが、今の日本人監督の誰と比べてもずっと優れていると思っている。自分のビジョンを実現するための具体的な手腕を持っているしサッカーへの情熱だって素晴らしいと評価しています。)

私には日韓戦のチームはトルシエ就任以降昨年までのチームとは異なった組織に見えます。今年に入ってから中国戦の中田この交替までは組織(チーム)が目指すモノがそんなに違うとも思えませんでしたがけれど韓国戦のあのチームなら今の日本人監督でもやりそうだと思います。オリジナリティが必ずしも良いわけではもちろんないのですがそれまでのトルシエのチームに特徴的だった要素は消えてました。
それでも日韓戦の日本代表がF3という戦術(←一般的な概念としての)の範疇の中での収まる話しだというご意見はともかくトルシエが日本就任以降、韓国戦での戦法をはじめから自分の戦術の中のひとつとして持っていたとは思えません。

もしも韓国戦での戦い方もトルシエの戦術の内に当初から入っていたのなら本大会を闘ったWユースで、バリエーションのひとつとしてなぜ韓国戦のような形がなかったのか?Wユース前にはまとまった強化時間がとれていました。本大会で一つでも先に進もうとするのならば、できるだけの対処法(戦術のバリエーション)を与えて臨むのではないのですか?一次リーグの緒戦などは韓国戦と比較が可能だと思いますがね。

またトルシエが就任した年のインタビューで「私のF3は真似の出来ないものだ」と言っていましたが、そこで自分の戦術のオリジナリティは「ラインを高く保つこと」であるとも語っていました。インタビュー記事を全面的に信用することもないと思いますが、今と違ってまだ様々な軋轢のない頃ですから本心に近いかと思われます。そしてトルシエは実際にラインを高い位置で保つよう指示を出しチーム作りもそれに沿った形でありはしませんでしたか?昨年の今頃、選手のインタビュー記事を読むと「トルシエはラインを高く保ちたいという考えを貫くだろう」とありました。

基本は高く、場合によって下がったり、予め下げておくというケースがあるという事なのでしょうがプレー中ほぼ下がりっぱなしというのはいかがでしょう?98年アジア大会で韓国に負けた試合ですらラインはもう少し高かったように思います。

このトピを立ち上げた趣旨は試合を虚心に見ようです。虚心に見た結果、意見の違う方もいるし同じ方もいる。大勢の人がいて、それぞれの人生の中でサッカーを見てきた歴史もあるのだから、言葉を尽くしても埋まらない溝は必ずあると思います。だからこそ少しでも溝を埋める為の努力が大事だと思います。

日韓戦の代表がトルシエが来日以来一貫して取り組んできた戦術の流れを汲むという意見は私はいまだ納得が行きません。十分に言葉を尽くして説明できたとは思えませんが、ボールの状態(位置と向き)によるラインの上下はほとんどなかったし最小負担による最大効果を目指した「効率」的な要素も少なかったからです。逆に今までのチームと違うという見方に納得のいかない方も多いでしょう。埋められない溝があることを受容した上で論破を試みるなり、自説の展開や誤解の指摘ならいつでもお受けしたいと思います。


■どんどんトピ名と乖離しちゃってますが・・・ 2000年5月29日(月) 18時3分

>状況によってこうした方がいい、という考えを分かってもらえなければダメなんでしょうが
私もトルシエの戦術オプションにはいろんな形態があると思います。おととしのアジア大会から4バックの指示は出ていましたし昨年も選手達が自主的にF4をやった試合もありました。そういう目に見える持続性のあるシステムの変化だけではなく、個々の局面でのマンマークやカヴァーならかねてからのトルシエの戦術のうちだと思っています。だから上のほうのカキコで恣意的な解釈との誹りを受けても、量の問題だと書いております。


>> ボールの状態(位置と向き)によるラインの上下はほとんどなかったし
>↑プレスの有無は絶対に必要な要素です。
>何回もあったと思うんですが・・・。
全然なかったわけではないですが、それを言い出すとアントラーズの4バックにしても状況によって3人が一列に並ぶ瞬間があるわけで。それをもってしてアントラーズはF3とは言わないでしょう?これぐらいでという”量”とか、これは単に押し込まれているだけとかそうじゃなくて戦術上の下げという判断の部分がお互い随分違うのでしょうね。

>ディレイっていうのは相手と一定の距離を保って攻撃を遅らせることで、
>味方の戻りを待つことが目的ですが、
>僕は割合を出来るだけ少なくした方がいいような気がします。
>ディレイを行っている時にサイドチェンジをされるのが
>ディレイの一番の欠点で、ワールドユースの決勝や
>カールスバーグのメキシコ戦での危険な場面がそうでした。
確かにディレイの最中にサイドチェンジをされるとピンチになるでしょうが、上手にディレイをかけたらそうそう決定的なサイドチェンジはないのでは?と希望的観測も含めて考えています。トルシエによると3mの距離を保つのはどんな状況にも対応できるとのことですから上手にやれば3mの距離を保ったディレイでもサイドチェンジはある程度ケアできるのではないのでしょうか?実際カ杯メキシコ戦で中田こ選手が3mを保って追い込むべきだったところを云々と他のDFのディレイの修得不足を言及していましたよね。

>このような場面ではどうした方がいいのか、
>ということを考えたときの方法が現在のやり方ではないでしょうか。
>つまり厳しくマークして
>相手に前を向かせたりポストプレーをさせないことで
>サイドチェンジの起点を作らせず、
>もしもの時に備えてかは分からないけど
>サイドハーフを戻らせて4バックにする、というやり方です。
>こう考えた方が問題点の修正につながるし、論理的です。
>必要でなければあのようなやり方にはなんないはずだし。
ひとつの対処法として大変有効な手段だと思います。しかしディレイが不得手であるという現実にも根ざした対処療法ではないかと考えています。ディレイ中のサイドチェンジならU-21アルゼンチン戦からあった問題ですが中盤(主にボランチ)との連携がとれている時にはサイドチェンジをディレイ中に食らっても凌いでませんでしたっけ。ですからボランチとの連携がよくなかった時にディレイが苦手な選手が起用されている場合には仰る方法は活きてくると思いますし、韓国戦では効果的なやり方であったという点には異論はありません。しかしディレイをなるべくしないこととすれば、高いラインを維持すること、ひいてはゲームエリアの管理に支障が出てくるというデメリットも私は考慮すべきではないかと思います。

韓国戦ではロングボールに対する対処療法が、あの一人が競り合って一人がカヴァーだと思います。
そしてそれは堅実な手段であったと思います。しかし、来日以降のトルシエの戦術でロングボールに対してどういう対策を立てるのかといえば、FWがロングボールの出所をプレスすることだと思います。最低限自由に出させない。具体的には真ん中から蹴らせない。ロングボール全てを蹴らせないのではなく優先順位をつけて最前列からケアするということです。

ところがこれをチームとして日本はやろうとしてないし、やろうとしてもどれ程効力があったのか分かりません。やった場合にオフサイドが取れたかどうか?というのもありますが、それをやるとただでさえ得点力が低いのにますます得点できない。実効性とか効果を考えたら一人の敵とボールに二人で対応することは現実的な対応であったと思います。 だから従来のやり方とは違うけど、現実的な対応で確実に守れるなら良いことだと思いそう書きました。

とはいえ、そういう対応に終始することが来日以降のトルシエの戦術に一貫してあったかどうかが依然疑問なわけです。今までのチーム作りが進んだ結果の一形態としてあの試合内容を見るかどうかは意見の別れるところですが、私は違うと思います。守備組織以外に言及すればWユースや五輪予選では見られたセットプレーにおけるトルシエ流の特徴が未だに見られません。例えばCKでゴール前の密集地帯に出さずに少し離れたところからボレーシュートを撃つとか、同じくCKでゴール前の密集地帯を超えてファーのまだ遠くのスペースに出すのも、フル代表ではないですね。

逆に日韓戦では久々に名波のポヨンがあったわけで、トルシエが現フル代表では攻撃は未着手であることを示しているのではないかと思います。守備を一通りやってから攻撃に着手するのが、今までのトルシエのチーム作りのパターンであったとすれば、現フル代表では来日以降のトルシエの守備戦術の一通りができていないからではないのですか?基本なくして応用はあり得ないと私は頑固に考えています。ですから日韓戦のシステムが来日以降のトルシエの戦術の上での応用編であるというのはどうしても納得のいかない所です。

それと、韓国は中央のホン選手が余裕をもって意識的にかなり高いロングボールを蹴っていました。
そこには明らかな韓国側の作戦意図がありました。日本はそれに対するリアクションとして守備陣が二人で事に当たります。来日以降のトルシエの戦術の中でも局面によってはそうい対処療法もありだと思いますが、チーム力が互角の相手に対して、ほぼ90分を通じて相手の作戦意図自体をそのままにしていたケースが私には見あたりません。ここも量の問題はあっても来日以降のトルシエの戦術では守備においても主導権を握ること、能動的に動くことを目指していたと思います。

ラインには様々な見方があるでしょうがその中の一つとして主導権を握ることの道具であったとも思っています。無論、実力差がある中ではそんな道具になり得ないことは南米選手権やWユースの決勝戦で実証済みですが、日本と韓国の実力差は果たしていか程でありましょうや?

私はあのメンバーで来日以降のトルシエの戦術に沿って試合をするなら、最終ラインは森岡選手を真ん中に据えて残りの二人は中澤選手、中田選手、松田選手の中から選んだ方がやりやすかったのではないかと思っています。でも、それをトルシエは選択しなかった。それよりも森岡選手、松田選手、服部選手の個人能力の高さを基調にカヴァーリングで守ったほうが良いと判断したのではないかと考えています。

>あとは相手をオフサイドの位置に置くほどの高いライン設定で
>よりコンパクトにすることが入るんでしょうが、
>これはこれから出来るようになるかもしれないですからね。
自説が外れても、どんなに不見識が責められても、現フル代表で出来るようになってほしいと切実に願っています。とはいえ、まだまだ道は遠いのではないかと思っています。

>>埋められない溝があることを受容した上で論破を試みるなり
>>自説の展開や誤解の指摘ならいつでもお受けしたいと思います。
>お言葉に甘えて自説の展開をしてみました。(笑)
ディレイ中のサイドチェンジのくだりに色んな示唆を頂きました。


■私がこのトピで使っているオートマティズムの意味 2000年5月26日(金) 0時39分

オートマティズムという言葉の意味について理解が足りないまま、つらつらと長文を書いておりましたが私は「オートマティズム」を”能動的自動性みたいなもの”とサッカーマガジンの隔週連載「ジャポンの冒険」にあったとおりにそのまま理解しておりました。サッカーマガジンではその影響か”瞬時に全ての判断ができる自動性”としてオートマティズムという言葉を使っている記事が他にも
見受けられます。

しかし「ジャポンの冒険」は田村修一監修の記事でどれほどトルシエ自身の筆かは不明ですから
「オートマティズム」について、あの連載を拠り所にしたのは手抜かりであったと反省しています。