1.
突きつけられたJの現実
だが決戦はこれからだ
11月5日、天皇杯4回戦。味の素スタジアムにて、バンディオンセ神戸(以下B神戸)は、J1のFC東京に0−7と一方的な大敗を喫した。3回戦では、J2の首位を走る横浜FC(当時)を相手に、後半途中出場のFW吉沢秀幸のゴールを守りきり、1−0の大金星を挙げた。橋本雄二監督曰く「狙い通り」というこの試合は、NHKのBSで全国にも放送され、一躍脚光を浴びることになった。だが、FC東京を相手に2度目の金星はならなかった。
「現実を見せつけられた。これを真摯に受け止めたい。言い訳のできない、レベルの差を見せつけられた」(橋本監督)
たしかに、難しい試合ではあった。なぜなら2週間後には、彼らにとって本当の実力が試される「地域リーグ決勝大会」の1次ラウンドが控えているからだ。この一年間、すべては「地域リーグ決勝大会」で優勝して、JFLに昇格するためだけに戦ってきた。ケガはもちろん、退場など許されない。ましてや、FC東京に飼っても、JFLに昇格させてもらえるわけではない――。
日本のアマチュアのトップリーグであるJFLの下には、北海道から九州まで9つの地域リーグがある。その優勝チームが集まって、JFL昇格を競うのが「地域リーグ決勝大会」である。11月の最終週に1次ラウンドがある。1次ラウンドは4つのグループに分かれ、その中で1抜けしたチームだけが結晶ラウンドへと進むことができる。10日間で5試合もしくは6試合、チームとして持てる力全てを尽くさなければならない。個人にかかるそのプレッシャーと疲労は、想像を絶する。 |
2.
昨年の決勝ラウンドでは、4チーム中3位までが、JFLへと昇格できた。決戦の地となった岡山に集まったのは、FC琉球、ロッソ熊本、ジェフ市原千葉アマチュア(現ジェフクラブ)、そしてB神戸だった。
その中で、唯一悔しい思いをしたのが、B神戸だった。決勝ラウンドでの成績はPK戦負けを含め、1分2敗。昇格の夢は絶たれてしまった。
04年から本格的な強化
二人三脚でチームを牽引
B神戸は元々、兵庫教員チームだった。76年に関西社会人リーグに昇格し、翌年には早くも優勝している。88年からは教員選手が少なくなったこともあってクラブ化し、「セントラル神戸」を経て05年、現在の「バンディオンセ神戸」となった。バンディオンセとは造語で、山賊の“バンディッド”に、スペイン語の11“オンセ”を加えたものだ。
オーナーであり、GMでもある松本満生が語る。
「実際に強化を始めたのは04年から。監督に橋本を迎えてからですね。以前から知っていたこともあり、声をかけて来てもらったんです。」
99年からは、松本が監督としてチームを引っ張ってきた。元々は所属選手のひとりだったが、年々入れ替わる選手たちに刺激され、「もっとうまくなりたい」と精進し続けた。そして、その思いはいつしか「俺をJに連れていってくれ」へと変わり、自らがオーナーとなった。昨年、チーム名で有限会社を立ち上げ、サッカースクールと中古車販売を二本柱にして、運営資金を確保している。選手のほとんどは「社員」であり、やっと今年から、練習時間を午前中にすることができた。 |
3.
「それなりの選手を抱えるには、実力だけでなく環境も整えなければならない。やっとここまで来たというころ。その環境を整えるのが自分の仕事ですよ。選手時代はFWで、何も考えていなかった(笑)。だからやる前からあれがダメ、これがダメじゃなくて、やってみてアカンかったら、また考えればいい。そう思ってここまで来たんですよ。JFLに行って、もっと困らせて欲しいですね(笑)」(松本)
この松本と二人三脚でチームを引っ張っているのが、監督の橋本だ。茨城の日立工業から東海大を経て、93年G大阪に加入。ハードなストッパーとして活躍した。その後は鳥栖を経て、佐川大阪で引退し、そのまま指導者となった。
「あの人(松本)を男にしてやろうという思いですね。それに僕自身、またJFLでやりたいという思いもあります」(橋本)
コメントは謙虚だ。ベンチ前からのコーチングに“熱さ”を残すものの、失礼ながらラフプレーが目に付いた現役時代とは打って変わった。「どういう結果になっても、次につながるもの。今やっていることを誰もが信じられるように、言葉一つひとつに理論性はあるか、エゴはないかと考えながら話すようになりましたね」と、橋本は語る。
試合に出なくても年俸が上がっていJ草創期、「あのことは勘違いをしていた」と振り返る。それは指導者になっても続き、「現役でやっていたのだから」と指導者というものに対して、驕っていたと橋本は認める。 |
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「僕の師匠は、ガンバ時代にお世話になった美濃部さん(直彦・現京都監督)。佐川印刷(JFL)の監督時代、あの人に『どこ見てんのじゃ、辞めろ』と言われたことがあったんです。監督になって3年目、自身があった時期です。コメント、やり方、見方、それこそ立ち位置……すべてを否定された。それまで指導者とはどうすべきかなんて考えて来なかった。それだけにショックで涙が止まらなかったですね。これがあって、もっと勉強しなければという気になって、こちらに来たんです」
『このチームに必要とされるプレーヤーになりなさい』
『試合に出る選手は、いいパフォーマンスをする責任がある』
橋本自身、中途半端だったと振り返る選手時代があっただけに、選手に投げかける言葉は当たり前のことが多いが、それでも、なかには辛辣になることもあるという。
「Jから来た選手は、プライドを持っています。でも、なぜ自分がここ(関西リーグ)にいるのか、もっと謙虚になって考えなければならないんですよ。僕は気付かなかったから、落ちていった。鳥栖に行って、今までどれだけ恵まれていたのかを知ったんです。例えば、和多田(充寿)の言うことは正論なんです。でも言い方がキツい。だから『おまえは完璧なんか?』と。今年は全社(全国社会人大会)で負けましたが、森岡(茂)に『責任はお前にある。ひたむきさが足らんかった』と言ったんですよ。このレベルでも、お互い厳しくやらんと勝てません」 |
5.
B神戸には、様々な意識を持った選手たちが集まっている。
「ずっとJ1で降格争いをしたこともなかったですからね……。最初は『とんでもないところに来た』と思いましたよ」
そう苦笑いをするのは、96年のアトランタオリンピック代表だったMF森岡茂。33歳ながら、その運動量は衰えず、チーム1と言っても決して過言ではない。
昨年、G大阪ではケガで試合に出ることができなかった。それでも終盤は試合に出してもらったが、解雇通告を受けた。行き場を失った。
「ケガがなくて試合に出られなかったということであれば、引退も考えただろうけど、まだできるという思いが強かった。地域リーグに関しては全く知識がなかったけれど、このチームは上を目指しているチーム。夢があるからJとあまり変わらない。ただ、入ってわかったけれど、JFLに上がるって簡単じゃないですよ(笑)」(森岡)
今年の1月、「弁護士になる勉強をしたい」と徳島を辞めたMF鎌田祥平は、地元神戸に帰ると同時にB神戸の門を叩いた。
「連絡したのは自分からですよ。去年、練習試合をしたときに『いいチームだな』と思っていたので。それだけです。
鎌田からの電話を受けた松本は驚くしかなかった。徳島でレギュラーだった男がいきなり自分から「入れてほしい」と来たのだから無理もない。さらに、2月、ヴィッセル神戸のスチュアート・バクスター監督(当時)も「あの6番(鎌田)をくれないか」と言ってきたという。そのセンスは誰もが認めるところだ。 |
6.
「筑波を出た後、大塚(製薬/現徳島)で骨を埋めるつもりだった。そのチームのためにプレーするという気持ちが僕自身のモットー。移籍を繰り返すなんて性分に合わない。ましてや自分だけJ1に行こうとは思えなかった。だから選手としては、プロ向きではなかったんですよ(笑)。弁護士になってもサッカーからは離れないでしょう。指導者として、子どもたちを育てたいですね。どの舞台、どんな状況に立っても、穴居さやひたむきさを持って立ち向かえるように」(鎌田)
Jへの夢をつなぐ者もいる。
元横浜のFW森陽一は、10月にアルテ高崎から移籍してきた。いわゆる「地域リーグ決勝大会」に向けての補強選手だ。
「今年のホリコシ(現アルテ高崎)との契約は『前年からいる選手はとりあえず半年』ということだったんです。ですから、契約満了ということです。そこで自分からこのチームにアプローチして、拾ってもらいました。ホリコシには3年半いました。Jに戻りたい、チャレンジしたいという気持ちは、今も変わりません。また僕自身、一度決勝大会を戦っています。あんな厳しいなかでプレーすることは『もういいや』っていうのが本音ですが、高いハードルだからこそやりがいがあるし、自分のためになると思っていますからね。JFL昇格は最低条件であり、クラブにも僕にも、通過点にしか過ぎないんですよ」 |
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去年の悔しさを糧にして
今年こそ「Jのある場所へ」
同じく補強という形で、FW和多田充寿もB神戸に入ったひとりだ。ヴィッセル神戸を解雇された後、受け入れ先がなく、半年間は“浪人”の身だった。前述のFC東京戦dめお豪快なロングスローは健在で、相手にとっても脅威だった。だが、試合後は自分の抱くイメージと、チームが積み重ねてきたものとのギャップに悩んでもいた。
「もっとできると思うんですけど、ボールが来ないと……」
個人的にはもっとできるという自信はあっただろうが、いかんせん、自分ひとりですべてできるものではない。この試合では存在そのものはアピールできたが、決定的な仕事はできないままに終わり、コミュニケーション不足を露呈させた。
「この2週間で、(ギャップを)埋めなきゃいけない。伝えるべきことは伝えていかないと」(和多田)
時間はそれほど多くない。そんななか、キャプテンであるMF津山憲毅が試合を振り返ってくれた。
「ボールを受ける前に首を振って、今野との距離はまだあるなと思ってボールを受けたら、ガツンとやられちゃうんだもの。速い、速い(苦笑)。この2週間で劇的にうまくなるはずはないですよ。だから、一人ひとりが1タッチの精度やキックの精度とか、少しでも上げていこうという意識を持てるか。丁寧にできるか。そのぐらいだと思うんです」 |
8.
高校は桐光学園。高校選手権で準優勝した。中村俊輔を生かすために黒子に徹したひとりだ。近畿大学を経て佐川印刷に入社。04年、橋本とともに移籍してきた。
「佐川印刷時代にも地域リーグ決勝大会は経験しました。あのときは入れ替え戦も戦いましたし、あのときの喜びをこのチームでもう一度味わいたいですね。何でここまでやるかですか? 同級生の中で、俊輔は飛び抜けていて、佐原(秀樹・川崎)も頑張っている。そのふたりには及ばないですけれど、やれるところまでやりたいなと。そんなものプライスレスですよ(笑)。ただ去年、自分たちだけでJFLで行けなかった。あの悔しさがあるから、今年も頑張ろうという気持ちになったんです。とくに琉球との試合は、自分たちのつないで行こうというサッカーができていた。でも勝ちきれなかった。それが実力だったんです。今年はベースが変わらないまま、Jから選手が入ってきて勝負強さとかを与えてくれています。まだ成長課程ですが、いい準備はできつつあると思います。どれだけ主導権を握り、ボランチの僕と元気(川崎)が前を向いてプレーできるか。そして和多田と森を生かせるかどうかですよ」(津山) |
9.
去年の決勝ラウンド、一番いいサッカーをしていたのはジェフアマだった。上に上がるために、トップチームがやっているサッカーをしているからだ。次がB神戸だった。愚直なまでのサイド攻撃。ボールを奪ったら、まずサイド攻撃。ボールを奪ったら、まずサイドに預けて突破を仕掛ける。残念ながらFWの得点力が、他チームと明暗を分けた。
橋本がしみじみと言う。
「結局、自分の持っているものの6割を出せるかどうかでしょう。コンディション、メンタリティ、プレーの質……。でも勝ち抜くには、あと2割上乗せしたい。ルーズなミスは許されない。選手には、求めていきたいと思っていますよ」
今年は優勝すればそのまま昇格だが、2位ならばJFL18位とのホーム&アウェーでの入れ替え戦が待っている。となると、クリスマスまで気が抜けない戦いが続く。とにかくタフでなければ勝ち上がれない。
いよいよ、11月24日から1次ラウンドが開幕する。「Jのある場所へ」――昨年の悔しさを晴らすべく、B神戸の本当の戦いが始まるのだ。 |