AFC U-20 Championship 2002 , Qualifying Round , Group 7
Japan U-19 (12-0) Mongolia U-19
頑張れモンゴル!のどかなひととき。
2002/05/08 , Nishigaoka Stadium , Tokyo
サェン・バイ・ノウ!
前々から一度は行こうと思っていた西が丘に初めて出動。蓮田の「ミスター親の臑齧り」ことK沢祐一と赤羽の駅からバスで向かった。二ヶ月ぶりに会う彼は、最近スクーターを盗まれ(数日後無事発見)、また大学の卒業見込みが出ないのを親に言えないという悲惨な状況(三年間の取得単位が30台なら当然か)。スタジアムの周囲は思ったよりも賑やかなところではなく普通の住宅街。僕らの到着時は第一試合のラオス−台湾が行われていたが、平日の夕方、しかも第三国同士の対戦とあって、観客席はまばら。在日ラオス人らしき人たちが比較的多い中、僕らが発見した関係者はというと、国際A級審判の岡田正義と昨シーズンまで東京の監督を務めた大熊さん。まあでも、いくらワールドカップで笛を吹いたからって、あんなこの前息子から移植手術を受けた河野洋平を痩せさせたような、非常に濃い顔をしたおっさんなんかどうでもいいが。
さて、この日の目当ては若き日本代表なんかより、なんといってもチンギスハーンの末裔達、モンゴル代表だ。自分の知ってるモンゴル人は旭醜山だけだが、この日は蒙古民族の将来を担う若者達とあって僕らの期待は張り裂けんばかり。迷大図書館で「地球の歩き方」の旅行会話集をコピーして、コミュニケーションを図る気満々である。
まず最初にピッチに出てきたのはGK三名だ。早速ゴール裏から「サェン・バイ・ノウ!(こんにちは!)」と声をかけると、彼らは少々驚きながらもランニングの足を止め、それぞれ手を挙げてくれた。驚きの中に若干恥じらいの混ざったかのような表情は数秒で消え、彼らは再びランニングを始めた。僕は、そのときあたかもウランバートルの郊外で搾りたての牛の乳を飲ませてもらったかのような、さわやかでそして和やかな青春の味をかみしめていた。
神風に頼るまでもなく12得点
さて、キックオフが迫るにつれ、気温が下がり風が強くなってきた。半袖のユニフォームは若干寒そうだが、いよいよ両チームの選手達が入場。そこで僕らは入場ルートに最も距離の近いスタンド最前列に陣取って、「サェン・バイ・ノウ!」を連発。それぞれ選手達はさわやかな笑顔で「サェン・バイ・ノウ」と返してくれる。またチームの監督、ルヴサンドリュ(ホントにこう発音するかは不明)氏まで、笑顔ではないものの「サェン・バイ・ノウ」と返してくれたのは感動だった。こういった光景を見ていると「サッカーは戦争だ」などと、ワールドカップを盛り上げる(?)意図によって昨今使われる事の多くなった扇情的な文句が、自然と全くの詭弁に思えてくる。少なくとも日韓戦を除くアジアにおける全ての試合が、そのような「スポーツ以上の存在」としてサッカーを扱おうとするムードに支配されてはいないということが、自明となった瞬間だったのかもしれない。
国歌斉唱。やや長いモンゴル国歌を胸に手を当て歌うモンゴル人達。プレーの質はともあれ、その態度には非常に好感が持てる。モンゴル国民の民族性として、和やか且つ協調的な面が強いのかもしれない。チンギス・ハン以来、朝鮮半島からハンガリーに至るまで、あれほど広大なエリアを駆け抜け、そして支配していったのと同様の民族とはとても思えない。サッカーが下手だろうが、GNPが低かろうが、世界で最も人口密度が低かろうが、そんなことはさほど問題ではない。開発から取り残された国であると同時に、「世界システムの搾取から逃れている国」でもあるモンゴル。そういった世界を一口に「未開、すなわち低次元」と切り捨てるのはいかがなものか。極めて卑小な比較かもしれないが、同じサッカーに関わる者という物差しで見た場合、モンゴル人達の目は、最近スタジアムに行くたびに「もうこのチームの試合は二度と見に来ない」を連発する、浦安のダイオキシンに犯された岡田正義二世のそれよりも、確かに輝いていた。
2002/05/09