J-League Division 1 , 1st Stage , 14th Match Day 

Urawa Red Diamonds (3-1) JEF United Ichihara 

Scorer : Adriano (7') , Oshiba (9') , Ono (47') , Tuto (63')

2001/7/14 , Komaba Stadium , Attendance [19,978]


Reds

GK : 1.Ando

DF : 2.Yamada , 3.Ihara , 27.Ikeda , 19.Uchidate

MF : 6.Ishii , 4.Tsuchihashi , 20.Abe , 10.Adriano

FW : 11.Tuto (31.T Tanaka 77') , 8.Ono

JEF

GK : 17.Kushino

DF : 29.Tabata , 5.Milinovic , 13.Yoshida

MF : 2.Nakanishi , 8.Hasebe (15.Ibata 69') , 7.Muto , 19.Murai (23.Sakamoto 41') , 11.Mujcin

FW : 9.Oshiba , 10.CHO Yong Soo   


 遙かなる駒場

 この日、いつものように駒場に行く準備をしていると、突如激しい雷雨が自宅を襲った。さらに我が家は一時停電するまでに陥り、ベランダの排水溝からは水が逆流して溢れ出ている。そんな中、遅れてはならぬと自宅を出たのだが、駅に着く頃には全身ずぶ濡れ状態。さらに電車が止まっていて、これではどうしようもない。一時間ほど待っても電気系統に落雷したらしく、全く復旧の見込みが立たないとか。最悪、キックオフに間に合わないという事態も想定していたが、ここでなんとか救いの手が差し伸べられた。

 待ちぼうけを喰らう僕の前に、中学校時代の友人が現れたのだ。ヤツはK大学の二部に所属し、これから留年を賭けた前期テストを受けにに行くところであった。電車が止まっている事に対して僕以上に焦ったのがヤツ。そこで自宅から駅まで車で通っている(車はパチンコ屋の駐車場に毎日不法駐車)ヤツは、電車が動いている区間まで車で行くと言いだしたのだ。これは僕にとっても正に「渡りに船」というもの。これによって何とか遅れながらも18:20頃、駒場に到着した。ちなみに電車が復旧したのが17:30頃だったそうで、普通に駅で待っていれば完全にアウトであった。

 パペットマン見参!

 プレスの特権でジュースをゴクゴク飲んだ後は、駒場では最後となる小野伸二をはじめとした、両チームの選手入場を見る。いつもよりもプレス、ゲストの数が多い気がするし、多くのプレスがフラッシュをたいて伸二を撮影していた。その伸二はジェフのキャプテン、長谷部と握手を交わした後、選手数人と笑顔で談笑。ここで僕が注目したのは、ドラクエでお馴染みの「パペットマン」ことチェ・ヨンス。レッズに知っている選手が見当たらないのか、しばらくは一人で足を伸ばしたりしていた。しかし、遅れて出てきた「アジアの壁」こと井原を見つけるや否や、すぐさま近寄って笑顔で固い握手を交わす。これまで日韓戦で、何度も激しいぶつかり合いを演じてきた両雄のスマイル。これは伸二の駒場最終戦という陰に隠れた、密かな見所であった。ちなみに生で見る「パペットマン」は、やはりかなり大きくて迫力がある。また肌が浅黒く正に「パペットマン」という感じ。ジェフのユニフォームのダサさにも驚いたが、それに見事にマッチしているパペットもさすがであった。

 小野伸二!オレ!

 試合が始まると、前回の札幌戦に引き続き、またアウェイ側のベンチ裏で試合を見守る。すると7分、押せ押せのレッズはアドリアーノが放ったCKを、GK櫛野がそのままゴールインさせてあっさり先制点を奪う。全日本入りの声も出ている櫛野だが、この失点シーンを見る限りでは物足りない感は否めなかった。すると今度はディナモ・ザグレブから市原へとやって来た刺客、ムイチンが左サイドからニアに鋭いボールを蹴り込んだ。これにあっさりと振り切られたのが井原正巳。一昨年までは甲府で「ほうとう」を食っていた大柴にヘディングを合わせられ1−1。ボスニア・ヘルツェゴビナからザグレブ経由で、市原の「ダイオキシンに汚染された土」を踏んだムイチン。この見事なクロスボールを見る限りは、まだ汚染された影響が体に現れてはいないようだ。その後、しばらくすると取材をしに一旦スタジアムの外に出て、バックスタンド側の入場口へと向かう。そこにいるスチュワードの人達に話を聞いて目的を達成すると、そのころにはもう後半が始っていた。また外をグルッと回って例の場所に戻ろうとすると、スタジアムの中からは「ワァ!」という大きな歓声が耳に入った。「きっとゴールだ!」。僕らが関係者用スペースにあるTVまで慌ててダッシュすると、伸二のFKがリプレイされていた。DFに当たって角度が変わったとはいえ、紛う事なき駒場への惜別ゴールだ。本当に嬉しそうな彼の姿が印象的だった。

 僕が駒場で最も輝いた日

 いつもなら試合が終わる前に駒場を去る僕ではあるが、この日は伸二のさようならイベントが行われるということで最後まで残っていた。試合が終わり選手達が引き上げてくると、それに代わり業者が急いでピッチの中央に雛壇を用意し、赤絨毯を敷いていった。そのどさくさに紛れて僕らはピッチ脇まで進出し、各社カメラマンや記者達と共にフィールドを見つめる(本来、僕らのパスではピッチには出られない)。ここでレッズのチッタ監督の息子を発見。まずはここでヤツと握手をかましておいた。フィールドに伸二が登場し、サポーターに別れを告げ始めると、チッタの息子は感動したのか伸二を見つめたまま動かなくなった(笑)。その後、伸二のフィールド一周が始まると、フィールド脇に選手達が出てくる。その瞬間、この機を逃してなるものかと、レッズ関係者の目を盗んでチッタ、アドリアーノ、ツゥットと堅い握手を交わす。そして忘れずに「オブリガード!」とお礼を言っておいた。さらにその後、フィールド内で選手、スタッフが伸二の胴上げを始めると、一斉に各社カメラマン達がその輪を取り囲んだ。そして僕らはそこにまたもや紛れ込んだのだった。テレビカメラ、高そうな望遠のカメラが沢山並ぶ中、貧相なデジカメでパシャパシャと撮影することに成功。非常に嬉しい瞬間だった。

 それはさておき、この伸二のフィールド一周は本当に感動ものだった。車椅子席のお客さんには一人一人握手を交わす伸二(車椅子と言えば音武君もこの日は来ていた)。その後に続いた「出島」こと市原サポーターのスタンドからも、「小野伸二!オレ!」の大コールが沸き起こる。これには駒場にいた誰もが感動し、その瞬間スタジアム全体が幾重にも重なり合った拍手と歓声に包まれたのだった。

 フィールドを伸二が去った後は記者会見となる。ところが残念なことに僕らは会見場に入る権利を持っていない。だが、ここで非常においしいチャンスが巡ってきた。先に記者会見を終えたチッタが、ロッカールームからチームバスへと乗り込むために、この関係者用スペースへと姿を現したのだ。そこでバスへと向かうチッタの腕を捕まえた外人記者がいた。その「ASAHI Evening News」の記者は、おそらく日本語だけの会見では分からないため、ここでチッタを捕まえたのだろうが、僕にとっては正においしいチャンスの到来である。すかさず僕はそこに便乗し、その外人と僕によるチッタの二社(者?)独占インタビューを取ることに成功した。その様子は以下の通り。

−今日の試合の印象は?

<チッタ> 「(プリントされた公式記録のシュート数を指さして)このデータが示す通りさ。うちは22本のシュートを打っているのに彼らは6本だけ。でもうちはまだ守備を改善させる必要があるね。」

−さっきフラビオさん(全日本のフィジカルコーチも勤めたコンディション専門のコーチ。白いひげが有名)が「ブラジルにだって今は小野のような選手はいない」と言っていたが、小野抜きでセカンド・ステージは戦えるのか?新しい選手が必要ではないのか?

<チッタ> 「まだ来週の広島戦がある。そこで小野抜きのセカンド・ステージに向け、いろいろな選手を試すつもりだ。新選手の獲得についてはクラブが決めることだから私には分からない」

−小笠原(鹿島)はどうか?

<チッタ> 「分からない。私からは何とも言えない。それよりチームバスが私を待っているんだ。だからもう行かないと。悪いね。」

−(帰り際に一言)小野伸二に何かメッセージは?

<チッタ> 「(親指を立てながら)Good Luck!」

 と言うような感じであった。それからすぐに伸二が出てきたが、関係者用スペースの中から前後に警備が付いていて、プレスもコメントを取ることはできなかった。直後「WE ARE REDS!」の大歓声に包まれながら、レッズのチームバスがスタジアムを離れていった。伸二にとっては駒場に別れを告げる瞬間であった。

 その後、外に出ると、さっきの外人記者が市原のバスの前にいた。今度は市原の監督、ベルデニックのインタビューを取っている。すかさず近寄り、またまたコメントを聞こうとするが、一緒にいた我々の「社長」こと村田要に「もう行こうよ」と言われ、渋々その場を後にした。ベルデニックはチッタに比べてかなり英語が堪能で、随分知的な印象を受けた。さすが加茂周にゾーンプレスを伝道しただけのことはある。まあそうはいっても、ベルデニックの加茂への貢献は、あまり評価出来るものではないかもしれない。なぜなら、かなり単純と思われる加茂は、その後取り憑かれたように「ゾーンプレス」信者となり、日本を98年フランスWC予選敗退の一歩手前にまで追い込んだのだから。

 伸二が駒場のピッチを去った日。それは僕が駒場のピッチに足を踏み入れた記念すべき日となった。

  

   2001/07/15

 

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