2002 Korea-Japan World Cup , European Qualifying
Romania
(0-2) Italy
Scorer : Inzaghi
(26,30)

2001/3/24 , Stadionul Ghencea ,
Bucharest , Attendance [24,000]
Romania
GK : 1.Stelea
DF : 2.Contra , 3.Prodan ,
4.Filipescu
MF : 6. Radoi (16.Serban
71) , 8.Codrea
, 5.Galca (15.C Munteanu
60) , 7.D Muteanu
1.5 : 11.Irie
FW : 9.Moldvan (17.Ganea 78) ,
10.Niculae
Italy
GK : 1.Buffon
DF : 5.Cannavaro , 6.Nesta ,
3.Maldini
MF : 7.Zambrotta
, 8.Tommasi , 4.Albertini , 2.Pancaro 
1.5 : 11.Fiore (15.Tacchinardi
61)
FW : 9.Inzaghi (18.Montella 86) ,
10.Del Piero
重苦しい街ブカレスト
3月24日、パリには多くの日本人サポーターが集結していたであろう頃、僕はゲンチャイ(ステアウア・スタジアム)にいた。かつて「東欧のパリ」と呼ばれていたルーマニアの首都、ブカレストである。もっともコミュニズムの時代を経た現在、そのような街の面影は残っていないが・・・。
イスタンブールでの10日間の後、僕はブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォで3日間を過ごし、そこからブカレストへとやって来た。イスタンブールからブカレストを結ぶボスポラス・エクスプレスという電車があるのだが、これが全く当てにならない。スピードは遅いし国境では止められる。トルコ−ブルガリアの国境よりもひどかったのがブルガリア−ルーマニアの国境。ブルガリア側の国境駅ルセに到着するやいなや、車内にストリート・チルドレン、闇両替屋が乗り込んできてしつこく迫って来るという状態。さらにどうしようもないのがルーマニアの国境警備だ。鞄の中身を全て開けさせられた上に、僕のパスポートを3分くらいライトをいろいろな角度から当てて凝視したのだ。その上、日本製の乾電池を黙ってジャケットの内ポケットにしまい込もうとするのだから、「あんた本当に警察か?」と言いたくなってしまう。そんなこんなでブカレストに到着したのは、定刻より8時間ほど遅れて午前2時前だった。
夜のブカレストはとにかく治安が悪い。後を付けてくる野犬に注意するだけでなく、「コカインや女はいらないか?」と近寄ってくる者に一言でも(「ノー」でもダメ)答えるとすぐにトラブルが発生してしまう。即座に数名の警官(偽物)が現れ「パスポートを見せろ!」、と僕の肩を押さえつけ、すごい形相で怒鳴りつけてくる。そしてその後は闇両替をしていないか確認させろ、と財布を要求してくるのだ。もちろん彼らの狙いは金。もしかしたら財布だけでは済まないかもしれない。気合いで手を振り払い必死に逃げたからよいものの、昼間でさえも1日3回くらいは怪しい人間から声を掛けられるのが平均。僕の滞在中、町中で日本人を見ることはなかったが、実際ブカレストは興味だけでは行かない方がいい街かもしれない。
ゲンチャイへの冒険
さて今回のチケットはさすがにWC予選の大一番だけあって前売り券を購入した。僕がゲンチャイに行ったのは試合の2日前だったが、スタジアムまでの道のりがまず一苦労。ホテルを出てから怪しいヤツに肩を叩かれても、ひたすら無視をし続けやっと着いた地下鉄駅がまた暗くて薄気味悪い。スリらしきヤツから逃げ、物乞いを無視しやっとGorjului駅まで到着したものの、駅を出ると頼みにしていたトラムなど走っていないではないか!このときばかりは「ラ*ガイド・European Football」に一杯食わされてしまった(笑)。そこからは来たバスに適当に乗り込み、乗客にジェスチャーで僕がゲンチャイに行きたいことを伝える。その後、降りろと言われた場所で降り、また人に数回聞き、徒歩とトラムの1時間ほどの旅の末、やっとゲンチャイへとたどり着いたのだった。
チケット売り場に行くと、すでにPeluzaと呼ばれるゴール裏の席しか残っておらず、しかたなくそこを購入。ゲンチャイには個室でモニターもありエアコン、バーまで完備してある特別席、Zona Fotoliiという席が700席あるらしいが、やはりそれは一般売りはしていないようだった。
ゲンチャイの周辺、つまりブカレスト郊外もこれまた混沌とした世界が広がっている。老朽化した集合住宅が建ち並び、有害そうな煙を吐き出している工場などが隣接して立っていたりするのだ。また運が良ければ、自分がお金を落としたことに気付いていないお年寄りがいても、それを拾い上げニヤッとしただけでポケットにしまい込む若者や、ボロボロの車を三人がかりで押してエンジンをかけている光景まで目にすることができる。郊外は郊外でまた身が引き締まるのだ(笑)。
背筋の凍るような空気
真っ昼間のブカレストでさえ気の抜けるときがないというのに試合のキック・オフは21:30。デイ・ゲームにしてくれよ、と思いながらその3時間ほど前にスタジアムへと向かったのだが、夜の郊外はさらに怖い。街灯が日本や西欧に比べて全然少ないのである。その中を大勢の男達が肩をすくめてスタジアムへと向かい、さらにその脇では警棒を手にした警官、銃を肩から下げた軍隊が二重の警備を敷いている光景というのは、正に異様という以外表現のしようがないものであった。また当日は、警察がスタジアム周辺の交通を全てストップさせていたので、それが尚更寒々しい空気にしていた部分もあったと思う。
そして警察によるボディ・チェックを受けた後、ついに僕はゲンチャイへと足を踏み入れた。
スタジアムの中もまた独特
ゲンチャイは大宮サッカー場を3倍くらいの規模にしたものと考えてもらえれば分かりやすいかもしれない。スタンドの裏が土手になっていて、そこにゲートがあるところもまた似ている。屋根が付いているのはメインスタンドだけだが、このスタンドだけはイングランドスタイルの屋根がしっかりと付けられている。ただやはり経済的に苦しい(ステアウアはチャウシェスクの寵愛を受けていたが、民主化後は国家からの支援がストップされたらしい)のか、屋根の破損部分はそのまま放置されていた。
ルーマニアのファンは少し変わったところがあるようだ。一応今回のチケットは全席指定となっていたのだが(といっても席番は手書き)、自分の席に他人がすでに座っていた場合は、無言で他の空席を探すのである。というわけで観客には僕も含めて、適当に見たい場所に陣取るタイプと、自分の指定された席に座るタイプの両方が存在しているらしく、なかなか興味深かった。またヘルメットや編み上げのブーツまで身につけた軍隊(?)らしき人間達もかなりスタンドには陣取っていた。
とはいえスタンドの中は町中ほど危険ではなく、隣に座っていたファンは親切にもひまわりの種やタバコを僕に沢山恵んでくれた。またチアホーンやホイッスルを多くのファンが持ち込むため、スタンドはうるさいくらい賑やかになる。さらに言えばルーマニア国内ではオフィシャルのレプリカがなぜか手に入らないため(フランスやスペインのものはアディダスのオフィシャルショップで見つけたが、ルーマニアはなし)、スタンドでは誰もが偽物のレプリカを着用している。また国旗を身にまとった者も多く、中には共産主義時代の国旗で中央にあったシンボルを切り取って、現在の国旗に改造している者までいた。89年の革命の際には、このように市民が当時の国旗のシンボルを切り取ることによってチャウシェスク体制と決別した、と聞いていたので、僕にとってこれは非常に印象的な光景だった。
完璧すぎるアズーリ
さていよいよ試合である。チアガールが日本の感覚で言うと低レベルすぎる踊りでスタンドを湧かせた後は、いよいよブラスバンド隊が入場しての国歌斉唱。歌詞の意味は全く知らないが、ルーマニア国家の切ないメロディを元々好きだった僕はこれをかなり楽しみにしていたのだ。実際、生で聞くとやはり迫力があり、周囲のファン達の大声からは十分に彼らの愛国心を感じることができた。
さて両チームのスタメンだがルーマニアはGKがスキンヘッドでおなじみのステレア、DFはコントラ、プロダン、フィリペスク、MFにはガルカ、ドリネル・ムンテアーヌらが入り、前線はお馴染みのイリエ、モルドヴァンが固めた。ここで残念だったのはアヤックスで活躍するヤングスター、クリスチャン・キヴーが怪我で欠場したこと。彼がいればもう少し違う結果が生まれたかも・・・。アズーリはGKブッフォン、DFは鉄壁の3バックス、カンナヴァロ、ネスタ、マルディーニ、MFは右からザンブロッタ、トンマージ、アルベルティーニ、カンポロ、そしてやや高めにはフィオーレが入った。FWはユーヴェでおなじみのデル・ピエロ、インザーギのコンビとなり、フィールドにはとても楽しみな面子が揃った。ピッチの状態は当日明け方に雨が降ったこともあり良好とは決して言えない状態。序盤こそそのピッチに足を取られる選手が続出するものの、15分もすればそんなシーンを見せなくなるところはさすがはアズーリ。そうなるとルーマニアは全体的にボールを支配する時間は長くても、ロングシュートやたまに出るセンタリングくらいしかチャンスがなくなってしまう。アズーリの誇る鉄壁の3バックスはシュートは打たせても、しっかりとコースを消して絶対にゴールを割らせない。さらに言うとDFだけでなく前線からの高度にオーガナイズドされたプレッシングがまた圧巻。極限にまでスペースを縮小化した中盤でほとんどのボールを奪い取ってしまうのである。そのためイリエ、モルドヴァンというルーマニアの誇る強力2トップにはほとんどチャンスボールが渡ることはない。とりわけフィオーレ、トンマージ、アルベルティーニというフィールド中央に構える選手達のポジショニング、プレスのタイミング、判断力たるや正に見事というしかないものであった。
そして26分にインザーギがカウンターから均衡を破るゴールを奪った後は、またしても30分に彼がGKの弾いたボールをヘディングで押し込んであっさり2−0としてしまったのである。完璧すぎるアズーリ。ルーマニアはドリネル・ムンテアーヌのドリブル、イリエのロングシュート、ガルカのロングパスなど見所はあるものの、アズーリの組織をうち破ることはできない。結局試合はアウェイながら、極限までに洗練された組織力を見せつけたアズーリが2−0と完勝を納めたのだった。
「灰色の街」を後にして
試合後、ホテルまでの帰路にもまた困ってしまった。試合が終わったのは23:30頃なのでトラムやバスはすでにほとんど終了。さらに地下鉄駅まで1時間ほどかけて歩いたところで、それも終了していることは請け合い(さらに正確な道筋も知らない)。周りの観客もそれは同様で、マイカーで来ている人間達を除けば徒歩かタクシーしか帰る術がないのである。ヨーロッパは路上駐車天国なのでかなりの観客はマイカーで来ているようだったが、自分も含めて幾らかの人間達は大通りまで歩いてそこでタクシーを拾っていた。ところがなぜ大通りまで徒歩で行かないといけないかというと、試合後には道の両側10mおきくらいに、軍隊や警官達が整列していたからなのだ。一人駆け足で道を横断しようとした若者がいたが、二人の軍隊に思い切りタックルされて追い払われていた。そういうわけでなんとかタクシーを拾い無事にホテルまで帰り着くことができたのだが、やはり深夜の中心部には悪そうな輩達が屯(たむろ)していた。
翌日、ロビーでTVを見ていた僕にホテルのスタッフが話しかけてきた。彼はブカレストの2部リーグに所属しているクラブで、8年間プロを続けたという強者である。「ヘイ、ミスター!」。その声に僕が振り向くと、「フランス−ジャポン!」と彼。「結果を知ってるのかい?」と僕。「5・・・、0!」。それが僕にとって「ブカレストに来てよかった」、と思えた数少ない瞬間だった(笑)。
その数時間後、ブカレスト・オトペニ空港からスイス・エアーでチューリヒへと向かう。真の民主化に向けて「産みの苦しみ」の続くルーマニア。そんなカオスの支配する首都ブカレストでの日々は、今回の旅のハイライトとして今でも鮮明に僕の記憶に残っている。