美ら一日

あの熱病のような思いをカラダに感じた瞬間を今も思い出す。
「とことんトライアスロンがわかる本」
という題名のムックを眺めていた2000年だと思う。
なんだか妙な胸さわぎを覚えたのだ。
そのころの自分は、
トライアスロンそのものが
漠然としたイメージしか持っていなかったし、
ロングのトライアスロンなんて夢の夢の話だった。
しかし、あのときのイメージは強烈な引力のような感じだった。
いつかは宮古島へ・・・

宮古島について聞きまわると、
日本で一番人気が高い大会で、
1回の申込みでは絶対採用されない、
2回目でも確実ではない、
しかし申し込み実績は考慮されるというものだった。

01年の秋、
申込書を取り寄せた。
ロングそのものの経験がない自分には過去大会実績が書けなかった。
02年の秋、
佐渡を完走した実績を書くことが出来たが、
案の定選外だった。
そして03年秋、
2回目の申し込みは合格。
クリスマス兼誕生日祝いの席での家族への発表となった。
息子から冬用練習スーツを誕生日プレゼントでもらう。
中学から陸上をやっている彼はスポーツアパレルに対する目利きがいいようだ。

さっそく元旦から冬の練習を開始。
今まで経験した条件よりは厳しいものとなった。
何度か足の先が冷たくなったし、
下腹が冷えて下痢気味になった。
普段なら絶対外にでないだろう天候でも、
合い間をみて練習した。

その中で気持ちの支えを一つ見つけた。
自宅から200mほどの距離に代々のお墓がある。
練習の終わりには必ず本日の無事を感謝することにした。
一人では心細くくじけそうな練習だったが、
なぜか一人ではない感覚になった。

2月になって水泳のフォームが少しわかりかけてきた。
スピードはどれほども変わらないが、
力が抜けて疲れなくなったのである。
肩の軸を回転させるイメージがカラダに染付いてきた。
昨夏の八尾クリニックのときは
力任せのフォームで泳ぎにならなかった。
そのときから比べると一段ステップを踏めた感じである。

バイク練習は3月から数えるほどしか機会がなかった。
しかし、1月2月の走り込みの成果なのか、
以前よりも力強いものを感じていた。
以前は厳しく感じた登坂が、
ギア1〜2枚高くても進めるのだ。
155キロに対応するために1回の距離は100キロ以上と決めていた。

宮古島大会1週間前、
ようやくバイクの送付を完了する。
仕事上のトラブルや締切のある作業があって、
憧れの大会が近づいてくる感覚がなかった。
家内はそわそわしているようだが。



4月23日(金)

8時35分小松発JTA035便で那覇へ、
さらに宮古島へ向かった。
私や家内は沖縄県へ初めて足を踏み入れる。
荒川会長は5度目の挑戦だと言った。
平良市体育館で受付を済ませ、
宿舎にチェックインした。
宿舎はダイバー教室もやっているムーダイバーズイン
梱包を解きバイクを組み立てる。
体育館で開会式とワイドーパーティに出席した。
やっとこの大会にやってきたという実感がわいてきた。

4月24日(土)

午前中、会長に連れられて砂山ビーチまでバイクツアーする。
砂山ビーチはその名の通り大きな砂山を越えて海岸に下りていく。



波が異常に高く明日のスイムを一時案じたが、
その後思い過ごしであることがわかる。
パイナガマビーチでひと泳ぎして南国の半日を楽しんだ。

午後のバイク預けの前に会長の案内で家内と
来間島までバイクで出かけた。
来間大橋から眺めるコーラルブルーの海は
あいにくの曇り空で鮮やかさは半減だったが、
その後の前浜ビーチでのオリオン生ビールは最高だった。
その上太麺の宮古そばがおいしい。
ビーチバレーで戯れる若い男女、
来間島と大橋の風景、
雲の切れ間から夏の日差しが顔を見せ、
南国の雰囲気が盛り上がる。
経験の豊かな会長のお陰でリラックスできている。

トラジション会場にバイクを置いて、
スイム会場の下見とシミュレーションを行う。
砂山ビーチとは違ってベタなぎだった。
明日のスイムは問題ないことを確認して、
スイムゴールから動線を追ってゆく。

前回の佐渡とは異なり、
トラジションが二箇所あるので若干勝手が違う。
着替えバックにすべてのアイテムを詰めて
選手の移動に応じて輸送される。

会長と家内は15時のシャトルバスで宿舎に帰る。
私は、宿舎で家内が借りたMTBに乗って帰ることになっていた。
来間島が気になったので道草をすることにした。
来間大橋を渡りきると最初の集落までは登坂になる。
南国の農家の風景を泳ぐようにしながら進むと展望台が右手に現れた。
遊歩道が集落を海岸側にバイパスしているとの図があったので、
バイクを転がすことにした。
上下左右、適当にくねる石畳の道は、
誰かに紹介したくなる雰囲気を持っている。



家内や会長がいっしょだったらもう少し探索したかったが、
適当に切りをつけて来間島をあとにした。

宿舎への帰り道、雲行きが怪しくなってきた。
若干の雨をかぶって宿舎にたどり着いた。
明日の準備を完成させたあと、夕食、9時ごろ就寝。



4月25日(日)

4時15分起床。
4時半から朝食をいただく。
力うどんをはじめとする完走祈願メニュー。

5時半にはシャトルバスが出迎えてくれた。
補助席を倒して小さく座った。
車内は心なしか口数が少ない。
戦地への兵員輸送、
そんな空気の中に置かれた感じだ。

不安はないと言えばうそになる。
200キロ余りの行程中
何が起きるかわからない。
天候が気になっていた。
夜明け前で観天望気ができない。
テレビの予報は午後から雨だった。
風が出てくるかもしれない。
いろいろと胸中をよぎる。

東急リゾートには1500人足らずの選手が集合してくる。
みなめいめいの準備に忙しそうだ。
あらかた着替え袋の配置を終えると
最終チェックインと用足しに並ぶ。

スタート30分前にウェットスーツを着用する段になった。
会長によると、スタートから沖の方へ潮の流れがあって、
第一のコーナーで沖に流されないように注意しようとのこと。
また午後3時から雨になる予報らしい。

家内がデジカメで写真をとっている。
私は会長とスタートゲートへ向かった。
ここで一服バーム粉を飲む。
会長が驚いていた。
でもこれって結構実績がある。
先日のハーフ自己ベストのときもスタート前に一服やった。
多少量が多いので気管に入らないように飲むのがコツなんだが。

スタート場所はさすがに前がわからないくらい
たくさんの選手で埋め尽くされている。
若干のアップのあと家内がいるフェンス間際で会長と7時半のスタートを待った。
まずはここに帰ってくることだ。
ゆっくりとした動作で泳げば、
いつかは3キロにたどり着く。
制限時間はたっぷりある。
気にしなくてよい。



家内がフェンス越しに叫んでいた。
会長と握手をしたり、
何度か家内に手を振ったり、
撮影のポーズをしたり、
そうこうしているうちに乾いた号砲が鳴った。

目の前の選手たちは、
あまり急いでいない。
ゆっくりと砂浜を下りながら波打ち際におりていく。
既に先を多くの選手が波しぶきをあげていた。
いよいよスイムが始まるなぁ。
前に進むしかない。
泳ぎ始めた。

ゆっくりと肩をまわしながらひとこきひとこき意識して進む。
前回の佐渡のときは方向がわからなくてあっちこっちした。
今回は左のキャッチをする前に前方の様子をちらりと見て息継ぎをすることにした。

二度目の屈曲地点(1800m)までは難なく辿りつけた。
大きくカーブするとあとは岸に辿りつくだけだという安堵感が漂う。
が、そうは問屋が卸さんと、
左右、前方から他の選手が接近してくる。
けっこうわずらわしい。
ここで力んで力をロスしてもいけないと思い、
なるだけフォームに気を配って肩をまわす。
こんな混雑した状態が続くのかと思うと、
人影がなくなるときもあって不安になる。

そうこうするうちに砂浜が近づいてきた。
前方の選手が立ち上がるのをみて
自分の番が回ってくるのを確かめるように立ち上がる。

多少ふらつく。
ジッパーを下げ上体のスーツをはぎながらスイムゴールに向かう。
タイムは1時間10分を表示していた。

テント内は二列で右腕のチップを読み取る。
だがここでトラブルになった。
私のチップが何度装置にかざしても反応しない。
隣の列に分け入れて試みても同じだった。
結局、口頭でチェックを入れることに。

たいしたロスではない。
それよりも疲れていないことがうれしい。
東急リゾートの園内の歩道を辿って着替え袋を取った。
大会側の指示では、
着替えをテント内で行うこととなっていたが、
適当に人の空いた場所を見つけて
ウェットスーツを脱いだ。
バイクシャツを着るとバイク置場へ走り出す。

既に多くのバイクがスタートしていた。
まばらにあるバイクから自分のバイクを見つけるのはいとも簡単だ。
バイクの前では既に福本さんがスタートの準備をしていた。
挨拶して自分の準備を完了する。

バイクをこいだ。
前方に歩行者がいて危なかった。
ホテルの玄関をあとにするとすぐ公道にはいる。
バイクのアップ中なのか、
周りの速度は緩やかだった。
次々とパスを繰り返し、先へ進んだ。

平地32キロ〜33キロが今のところ自分の標準になっている。
国道390号線を平良市に向かって緩やかな登坂をすると
やがて海岸に向かって右に大きくカーブする下り坂になる。
この坂の途中に宿舎がある。
砂山ビーチへ通じる道を分かれると福本さんと出会った。
また挨拶して先へ進む。

池間島への道路に入った。
直線も多いのでDHポジションで進む。
追い風だった。
快適に距離を稼いでいく。

自分は雑誌をあまり読まない。
だから常識になっていることを知らない場合が多い。
昨夏の八尾さんのトライアスロンクリニックでは
自分にとって驚天動地のことがあった。
大腿四頭筋よりも大腿二頭筋を使うのだという。
なぜならカラダで一番大きな筋肉だから疲れにくいのだという。
それからの練習は、
常に大腿裏側の二頭筋を意識する練習になった。
ランでも同じだ。
ちーさんによると、
それは常識らしい。
やはり少しは雑誌を読んだほうがよいみたいだ。

池間大橋とコーラルブルーの海の構図が美しい。
池間大橋を渡ると池間島を周回する道にはいる。
灯台が右手に見えると島の人が応援の踊りを踊っていた。
太鼓の音が若干のドップラー効果で通り過ぎる。
これを境に向かい風になった。
登坂との組合せに少々あえぐ。

コースは気持ちよい直線や緩やかなカーブがある。
過去のどの練習や大会よりも
DHポジションを多用することになった。
今は風の中をくぐっていくことになる。



宮古養護学校を通過すると大きく左手に折れて、
東平安名岬までのコースに入る。

依然として向かい風だが、
細かい上下で下りでは休むことが出来た。
二週目150キロのバイク右折地点に家内が黄色い声を上げていた。
快哉をあげて通過した。

東平安名岬までの距離表示がじょじょに減っていく。
依然として逆風だが、
岬までたどり着ければ先は明るい。
視界が広がったような感じがした。
東平安名岬が近い。

灯台からの見下ろすショットが岬のイメージだった。
コースがヘアピンでそのまわりのエイドや旗が選手を出迎えてくれる。
バイクコースが先にあって周りの景観をくっつけた、
そんな風に思えるほどお誂え向きなのだ。

県道から左折すると約2.5キロ先の突端まで逆風をくぐっていく。
舗装の色まで途中から茶色に変化した。
粘りの足で何人かパスしていくと、
ヘアピンにたどり着いた。
風景を見る間もなく帰りを急いだ。
こんどは風が運んでくれる番だ。
僅かな時間だったが気持ちよかった。
あの憧れ風景の風の中にいることが満足だった。

県道に戻ると、
バイクスタート地点までの距離を稼ぐ。
七又海岸沿いの大きい上り下りの繰り返しは
ローラーコースターのようで楽しい。
七又海岸を離れて2回ほど登坂であえぐが短い。
登り坂以外は追い風が心強い。

来間大橋を渡る。
もう先は見えた。
あのコースをもう一度楽しめばバイクは終わる。
大橋の帰りは逆風。
東急リゾートを横目に100キロの表示を見る。

スペシャルドリンクのお陰だと思う。
佐渡と同じようにあのレシピで調整した。
足に粘りを感じる。

下りながら高速で宿舎前を通過する。
家内がデジカメのファインダを覗いていて視線が合わない。
大きく手を上げたがフレームには収まっていなかった。

少し疲れを感じてきた。
あまり先を急いでランに支障がでても困る。
走行中にバナナをほおばる。
トイレ休憩する。

池間島を過ぎて、東平安名へのコースへ再び入る。
1周目から左足に違和感が続いていた。
足裏のアーチのへりが痛くなった。
足首のストレッチだけでは回復しない。

競技場へのコースにはいる。
ランへのトラジションへ間もなくだ。

競技場の周りを奥に進むとトラジションエリアだ。
家内が待ち受けていた。
何か叫んでいるがあまり聞こえなかった。
中学生に案内されて自分のバイクラックへ進んだ。

ランの準備をする。
カーボショッツ4本に
ヴァーム1袋を後ろポケットにいれた。
両面ファスナ付のシューズはア社から提供を受けたもの。
冬の練習を支えてくれ、
今まさに最終の仕上げをお願いする。

ランチェックにまたひっかかる。
発信機が故障していることを告げて
手動でチェックがはいった。
14時30分ごろ通過。



最初のエイドで補給をしていると家内が後ろから
「大丈夫?」と聞いてきた。
「絶好調!」と大声で応える。
少しお腹がすいた。
多めに口にほおばると、
とぼとぼと駆け出した。

ランの最初はいつも違和感がある。
とぼとぼとしか走れない。
それに左足のアーチ周りが気になる。
しばらく様子をみることにする。
ほどなく大きな通りに出ると、
やはり違和感は痛みになった。

完走はできると思う。
しかし、5〜6時間かかるかもしれない。
2度ほど足裏のストレッチを行うも、
改善されなかた。
ぼちぼちいくしかない。

ステップのたびに痛いわけではない。
何度か試みるうちに痛さが和らぐ足の角度を見つけた。
これでとりあえず経過観察。

それほど疲れがあるわけではない。
痙攣を起こすとか、
そのような兆候もない。
様子をみれることが少し余裕を生んだ。

日差しは後ろから、
風は前からやってきた。
風に押されるなら、
しょうがない。
押されるままにいくしかない。

10キロの表示を過ぎた。
約1時間が経過している。
まだ違和感があるが痛みはなくなっていた。

エイドのたびに頭に冷水をかけてもらった。
レモンや梅干を補給した。
日ごろ、レモンなんてほとんど口にしないが、
薬だと思って我慢する。

18キロ付近を過ぎてふと気が付くと
左足の違和感が消えている。
試みに通常通り走行しても問題なかった。
あとは折り返しまでの逆風。
こればかりは我慢するしかない。
折り返しのエイドまでにカーボショッツは消えていた。
折り返し前の坂を上って
あとは坂を転げ落ちるようにゴールしたい。



帰り最初のエイドでヴァームを補給。
走り始めると往きよりも軽かった。
18キロ前後で福本さんと会長と出会った。
大きな声でエールを送った。

追い風にも助けられ、
何か乗り物に乗っている感覚がある。
速度が自分の代謝回転とあっているような感じだ。
あとは神に任せるしかない。
もう自分の意思ではなく。

ランに入ってから往きと帰り2度涙で前が霞んだ。
応援がすばらしい。
この風景、家族、職場、ご先祖様、
いろんなことが一度に来て
いまここにいることが途轍もない
偶然の産物に思えてくる。
しかし、人生が一本の道ならば、
これも必然ということか。

日は傾き始めている。
今朝の天気予報を思い出した。
午後から雨だったが見事に外れている。

何度か応援の子供たちの小さい手を順にタッチした。
兄弟4人くらい、小さい手と大きな手、
高さもまちまちでならぶ。
楽しかった。
この子達も将来同じような体験を重ねるのだろう。

あと5キロほどになると
競技場からのアナウンスが聞こえてくる。
どの方向かわからない。
自分の進む方向ではないらしかった。

平良市の市街にはいる。
大弾幕の連続を潜り抜ける。
これから1キロ1キロが厳しい。
あと2キロ付近で大きな坂が現れた。
1歩1歩いくしかない。
なかなか競技場の全景や一部が見えてこなかった。
でも残りの距離からあと5分程度だろうという予想が
最後の支えになる。

住宅街を抜けると
右手からやっと競技場が現れた。
最後のゲートのところで家内が
「すごいすごい」と叫んでいた。
デジカメをもって走ってきたが、
私は勢いを調整できず、
そのまま最終コーナーを回った。

家内が人を縫うようにコーナーの内側を走ってきた。
人とぶつかると思い「危ないから気をつけて」と言った。
ゴール直前も走りぬけようとした。

ゴールした。
人が多かった。
手作りの花の冠が頭の上に載せられた。
タオルと443番のパーカを手渡された。
最終のチェックを終えると
家内が「早い早い」と言ってきた。
芝生のスペースを見つけてしばらく横になった。






家内がうどんとかあるけど何がほしい?と聞いてきた。
うどんはいらない飲み物をくれと言った。
不思議だったのは、その後だった。
普通に歩けるし、
行動できた。
困憊の佐渡のゴール後とはえらい違いだ。
25度の気温に距離も約26キロ短いが、
若干の改善もあるのかもしれない。

会長を待った。
福本さんが元気にゴールされた。
競技終了1時間前の花火が上がった。
ずっと入り口付近で待っていた。
気持ちは充実していた。
会長に感謝のことばを
いくらささげても言い尽くせない。

会長が競技場に入られた。
写真を写したがぶれてしまった。
いっしょにゴールまで走った。
「会長のおかげです」と言った。
途中で会長が昨年ボランティアされたご一家が合流された。
5回目の宮古のゴールを踏まれた。



帰りのタクシー待ちの列で競技終了の花火を見上げた。
胸にどーんと響き渡る大きな美しい花火だった。



その夜は、
会長・家内・福本さんの4人で祝宴を上げた。
泡盛の酔いが回るのが早くて、
早々にベッドにもぐりこんだ。



4月26日(月)

午前中、会長とバイクを取りにいき、
パイナガマビーチまで家内の様子を見にいった。
先に泳いでいるという連絡で宿舎から歩いていく。
小一時間ゆったりとしたスイムと魚観察を楽しんだ。

午後の表彰式には前から2列目のテーブルに陣取った。
小原さん、女子優勝の岡さん、
日本人で最高の成績だった田村さんと写真をとった。
城本さんや宮塚さんも間近に拝見した。

何と会長と相部屋になったのは
あの高石ともやさんだった。
小原工さんの部屋は私達の部屋の隣だった。
その夜も会長と家内の3人で居酒屋とカラオケで盛り上がった。



4月27日(火)

空港チェックインのあと地元紙のインタビューを受けた。
また来たいし、島の人の熱い声援がすべてですと答えた。
家内は応援の途中で道に迷ってしまい、
応援場所までMTBごと送ってもらったことを感謝していた。



スイム:1時間11分11秒(1235位)
バイク:5時間47分53秒(585位、通過691位)
ラン:4時間14分01秒(286位)
計:11時間13分05秒(448位1314名完走1434名出走)

(了)