震えました。

シドニーオリンピックが終わった。さまざまな競技の中で心に残るものがあった。
その中で、ひとりどうしても語らなければいられない選手がいる。
その選手の名は、柔道 吉田秀彦選手である。
今回の柔道は、田村YAWARAちゃんはじめ、野村選手の連続金、井上選手の鮮やかな、そして感動的な1本勝ちなど、
すばらしい実績を残してくれた大会であると同時に篠原選手の試合の例のミスジャッジ問題もあり、話題には尽きなかった。
しかし、大事な選手を忘れちゃあいませんか?
最高のアスリートを見過ごしちゃあ困りますよ。 そう一言、物申したい心境である。
吉田選手は今回、メダルには手が届かなかった。しかも、序盤で敗退という屈辱的な敗戦であった。
しかも、最後は腕を脱臼するという最悪のアクシデントに見舞われた。
そう、吉田選手は相手の投げをこらえる為に、腕を畳についてしまったのだ。その結果、再起も危ぶまれるほどの
脱臼をしてしまう。苦渋に満ちた吉田選手の表情が印象的であった。
事実を述べれば、それだけであった。体力の限界だったのかもしれない・・。実際、僕自身もそう感じていた。
ところが、その直後、ある発言が聞こえた。実際には、誰が言ったのか定かではなかった。テレビから聞こえたその声に
私は激情した。
「ああ 残念ですねえ 手をつくようなことがなければ3位決定戦にまわってメダルの可能性もあったのに・・・」
その声を聞いた後、何度かまわされるビデオシーンを見ながら、何故か不思議と悔しさがこみ上げてきた。
吉田選手は、何故、あの場面で手をついたのか?
あれは、無意識であろう。手が出てしまったのだ。何故か?何度も考えてみた結果、
〔負けたくなかった。負けるわけにはいかなかった。〕
そういう心の叫びが聞こえたような気がした。
大会前だか、最中だったか忘れてしまったが、古賀選手が吉田選手のことを聞かれてこう答えていた。
「秀彦は、必ず、なにかをやってくれますよ。」
共に世田谷学園時代からバルセロナの栄光、そして、その後の苦悩まで、同じように味わってきた二人。
いつも、私の中では、二人は共に歩んできたイメージがあった。
しかし、その一方の雄、古賀選手が一線を退く。平成の三四郎が決断したこと 残念だが仕方がない。
それに対し、吉田選手はどうか?
彼は、現役の続行を選択した。満身創痍。勝てない日々。まわりの見る目が変わってくる。おそらく、なにもかもが
苦悩の連続だっただろう。しかし、それでもあえて彼はシドニーに向かった。まるで、なにかにとりつかれたように・・。
それはなんだったのだろうと私は考えた。
そして、こう思ったのだ。
バルセロナは古賀選手のこともあり、自分だけのことを考えてとった金メダルではなかった。
吉田秀彦の奔放な柔道ではなかったのだ。
その後、怪我もあり、なかなか勝てない時期が訪れる。自分との戦い。思うようにならないもどかしさ。
痛々しいほど そのころの吉田選手は自分自身を追い込んでいた。そして知らず知らずのうちに本来の自分を
忘れてしまったのではないかと思うほどに・・。
少なくとも私にはそう見えた。厳しいのかも・・。正直、そうも思った。
しかし、その男が戻ってきたのだ。そして、シドニーの切符を掴んだ。
なにかがふっきれたんだ よかったなあ。そんな感じだった。
しかし、そんな私の考えは、シドニーの今回の試合で吹っ飛んだ。
あの壮絶な姿を見たとき、はっとした。吹っ切れたんじゃない!!追い込んで追い込んでその末に到達した境地。
吉田秀彦の柔道の集大成。「これが俺の柔道だ!」 そいつをみせてやろうじゃないか という心意気を持つに至ったのだ。
そして、目一杯自分の形にこだわったシドニーだからこそ、負けるわけにはいかなかったのではないか。
だから、3位にはいるとか そんなんじゃないのだ。金メダルを取りたいっていうのも違った。
負けたくなかった・・。
それだけのために 戦った。自分自身のために。そう感じたとたんゾクッと身震いがした。
古賀さんが言っていた「なにかをやってくれる」という意味。自分なりにそう解釈してしまいました。
そして、古賀さんもそんな吉田選手の決意がわかっていたのかも知れません。
結果は、敗北でした。でも、その姿勢は、
これぞ、吉田秀彦。 かっこよかったです。 のひとことでした。
その姿全部がめちゃめちゃかっこよかったです。
これぞ、JUNの考えるアスリート像。いや、真の武道家魂を見た思いでいっぱいだった。
けっして忘れることのできないシーンであった。