ミスターシービーに捧ぐ

ミスターシービーが12月15日、亡くなった。21歳だった。
この事実を耳にした時、僕の中に大きな虚脱感があった。それは何なのか? 答えは見つかっていない。
ただ、無性に彼のことが書きたくなった。 いや、書かずにはいられなかったと言う方が正しいか・・・。

ミスターシービーは、1983年の3冠馬である。そして、翌年の秋の天皇賞を制し、4冠馬となった。
実績をあげればそういうことになる。しかし、人は彼をその実績よりもむしろあの鮮烈なレースぶりによっ記憶にとどめるのだ。
しんがり一気。
競馬に常識というのがあるのかどうかわからないが、勝つために何をすべきか?
という命題の答えには、明らかに反発したレースのパターンである。
そして、彼のレースを見れば、全く競馬を知らない人でも競馬のひとつの醍醐味がわかると言ってもいいだろう。
そのぐらいドラマチックなレースをしたのがシービーなのだ。
そして、何をかくそう僕自身が、全く競馬を知らない状態で彼のレースを見、そのレースぶりに魅了された当人なのだから。

あれは、1983年11月13日、菊花賞のレースだった。
ちなみにその当時の僕は競馬を知らなかったため、その時の彼のレース自体の凄さは全く分かっていない。
その時にテレビで見たときに 杉本アナウンサーの 
「大地を揺らして ミスターシービー先頭だ!! シンザン以来19年ぶりの三冠!! 
 そして、最後に、ミスターシービー、ものすごいレースをやりました〜!!!」 
という言葉が耳に飛び込んできたのだ。
その言葉で 僕の中に、ミスターシービーが凄いレースをしたんだ という言葉の断片と少しばかりの知識ができた。
ただし、その時はたったそれだけのことだった。(まだ、彼の存在や凄さはその時点では分かっていなかった。)
そして、僕の中で、彼の存在がしっかりと確認できたレースが翌年、行われた。
1984年10月28日、秋の天皇賞である。
彼はそのレースで、いつものようにしんがりにおさえる。団子状態の馬群の後ろでシービーは待機する。
ここまではいつものことだ 観客もそのことでは騒がない。観客がどよめき始めたのは3コーナーからだった。
シービーが動き始め、前方の馬群に近づく。
そして、とても前が開けていないようなうちラチ沿いの窮屈なところに入っていく。
観衆がどよめく。。
しかし、シービーはその狭い内ラチ沿いをまるで馬群をすり抜けるように まさに〔スッー〕っと前のほうに上がってくる。
その時の上がり方がまるで一頭だけ別空間を疾駆しているような感じに見えた。
(真空の中を走っている感じがした。うまく説明ができないがそんな感じがしたのだ。僕にはね(^.^))

そして、最後の直線。内から上がってきたシービーがいつのまにか先頭集団のうしろに取り付いている。
そして、そこから外に出し、あとは追い比べ。凄いたたきあいを見せつける。
しかしこうなればレースはシービーの物。きっちりと抜け出して栄光のゴールへ・・・。
いつものようなミスターシービーのものすごいレースぶりだった。
そして、このレースのテレビの実況で奇妙なことが起こっていた。
最後の直線で実況アナがレースの状況を伝えるのではなく、
ただ、やみくもに〔ミスターシービー〕という言葉を連呼したのだ。
何回叫んだのか分からなくなるほどその名前が連呼され、その間に、別の言葉は一切なかった。
これは明らかに、実況ミスだろうと思う。
レースの状況を冷静な言葉で伝えることが当然で、興奮したように馬名を連呼するだけというのはいかがなものか・・・
と正直、思う。
しかし、あのレースには、アナウンサーすら興奮の渦に巻き込んでしまうようなすごい魔力があった。
と、僕は思っている。
そして、あの実況により、シービーのあまりにもドラマチックなレースぶりが僕の中に刻み込まれたのだ。
あの時の自分の興奮を言葉に表すのは難しいが、
あのレースから僕の中で競馬というものが動き始めたのである。そのぐらいの衝撃があった。
逆にいえばあのレースをあの時に見ていなければ競馬というものを知りたいと思うようになったかどうかわからない。
そういう意味では、あのレースは僕と競馬を結びつけた運命のレースだったのだ。

 そんなミスターシービーが亡くなってしまった。そして、今、僕は彼の存在をあらためて考えている。
彼のこと、そしていつも彼の背中にいた吉永正人Jのことを・・・。
シービーがあんなレースを見せるようになったのは、この吉永Jの存在なくして語れない。
いつもは朴とつな感じだが、彼がシービーと演じたあのレースの数々は何だったのか?なぜあんなに人を惹きつけたのか?

僕なりの答えを書くとすれば、それはあのレースぶりのひとつひとつに〔強い決意と勝負に賭ける意気込み〕が
あったからではないかと思っている。
そして、吉永Jはシービーに乗っている時は、いつでもそういう強い気持ちを持ちつづけることができた。どこまでもシービーを頑なに信じつづけレースに挑んだ。そしてシービーもそれに応えた。
その2人の間にあったものは何なのか?偶然がこの2人を遭遇させたのか?

 いや、違うだろう。これは決して偶然ではなかったと僕は思っている。
間違いなくシービーは彼を認め、自分を信じてくれる男に惚れたのだ。
そしてどこまでも一緒に駆け上ろうと決意したのだ。
だからこそ、あんな凄いレースを見せられたのだ。
馬は人間の思うようには動かないものだ。シービーだって自分の感情がある。
自分が動きたくない時は動かなかったはずだ。しかし、吉永Jが仕掛けると彼は瞬時に反応し、
馬群のなかでも飛び込み、時には3コーナーからの無謀とも思えるようなまくりのレースでもやってみせた。
おそらく、彼は吉永Jの気持ちを信じていたに違いない。決して自分を裏切ったりしない男を・・・。
そして、その結果、生まれた数々のレースの中で、僕たちファンに、その固い絆と、お互いの決意に満ちた姿を見せてくれたのだ。
見ている人が興奮しないわけがない。彼らは最高のパートナーだったのだ。その2人が築き上げた〔シービー伝説〕は不滅である。
そして、そんなシービーの記憶を僕は辿りながら、サラブレッドの宿命に対する僕なりの考えを添えてみたい。
サラブレッドは人間が作り出したものである。いい悪いは別にして、人間のエゴがそこに介在する。馬は人間の思うように動くべきだ という思いがどこかにあるものだ。しかし、その馬の持つ心まではコントロールなど出来ない。しかし、その心を走る方に向かせてあげなければ
その馬に明るい未来はないのだ。そのために何をするのか?答えはいろいろあるのだろうが、信頼という言葉は、その数ある答えの中のひとつだろうと思う。馬が人を信頼する。そのために如何に人は彼らに対して信じることを諦めないか ということ。そして、そういうことの結晶が
ミスターシービーと吉永Jのレースに表れていたように思えてならないのだ。お互いを認め合ったこのコンビを決して忘れない、そして、涙をこらえて、そのご冥福を祈りたい。 ありがとうシービーよ 本当にありがとう。そして、安らかに・・・。


最後に余談だが、今年のジャパンカップダートの勝ち馬、ウイングアローは、ミスターシービーの孫になる。(母の父がシービー)
あの脅威の追い込みにシービーの姿を重ねてみるJUNでありました。
サラブレッドは、こうして血を後世につないでいくのです。(^^)