変わってきた日本人の味覚
グルメブームといわれる一方で、人工栽培による季節感の喪失、
うま味調味料の発達、インスタント食品やファーストフードの流行、 さらにダイエットや偏食などによって、亜鉛欠乏症や味覚異常が増えている。そこで、味覚の面から現代の食生活の問題点を考えてみました。
味覚は食物の良否をチェックする関門
まず、味覚とは何なのか考えてみたい。人間が感じる味にはさまざまなものがあるが、その中で基本味とされているのは甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の5つ。甘味はエネルギー源となる糖質のシグナル、塩味はミネラルのシグナル、うま味はタンパク質のシグナルで、酸味は主として食物の腐敗を、苦味は毒物を示しているという。
味覚は単においしい、まずいを判定するだけのものではなく、生きていく上で必要な栄養素を体内にとり入れ、有害な物質を排除する大事な役目をしているのである。「人間は口、脳、そして腸管の3ヵ所で食物を受け入れるかどうかチェックしており、味覚はその最初の関門」なのだという。
「味覚は生後すぐに現れてきます。赤ちゃんは甘味に対してはニコニコし、酸味にはためらいを見せ、苦味には拒絶反応を示します。甘味を喜ぶのは、それが糖質のシグナルで、赤ちゃんにとって一番必要な栄養素だからです」。 基本的な味覚は生来備わっており、さまざまな食物を口にし、味を経験することによって鍛えられていく。「南米のボリビアに、苦味に対してとても鋭敏な感覚を持った種族がいます。彼らはジャガイモを主食にしており、その芽に含まれている毒を見分けるために、苦味に対する感覚がとぎすまされたのではないかと考えられています。味覚を訓練するには小さい頃からいろいろな食物を食べること。子供にとっては甘味が最も心地よい味ですが、好むものだけを与えていたのでは健全な味覚は育ちません」。
確かに最近の若者は甘味嗜好が強い。お茶代わりに甘味のついた清涼飲料水を飲んだりするのは、いまだに子どもの味覚を引きずっているためだろう。また、彼らが好むコンビニやファーストフード店のメニューは、油を使った、こってりした味付けのものが多い。甘味、油はともに多用すると味覚を鈍らせる。甘味や油には食品の味をカバーする作用があり、質の低下した素材でも油で炒めて甘辛く味付けすればおいしく食べられる。逆にいえば、食品自体の持ち味はわからなくなってしまうわけで、味覚の育成という面からみると好ましくない。味がわかるというのは微妙な苦味がわかることだといわれるが、濃い味に慣れてくると微妙な苦味は感じとれなくなってしまう。
それにハンバーガー、フライドポテト、コーラという食事では、タンパク質とエネルギーはとれてもビタミンやミネラルは不足する。彼らの味覚や健康状態は正常なのか。女子栄養大学の学生95人を対象にして行った興味深い調査データがある。「0.6%と0.7%の食塩濃度に調節した5種類の試料(食塩水、清し汁、味噌汁、米飯、ジャガイモ)を使って、塩分濃度を識別する検査を行ったんです。普通はこの差はわかるはずなんですが、すべてに正解した学生は45.3%しかいませんでした。そこで、原因をいろいろ調べたところ、正解率の低い学生の中に血液中の亜鉛濃度の低い学生が多かったんです」味覚に狂いが生じた原因の一つとして、亜鉛の不足が考えられるというのである。
最近ふえている亜鉛欠乏症とは?
「味を感じとるのは舌と上顎の奥に多く存在する味蕾で、ここにはたくさんの亜鉛が含まれています。亜鉛が不足すると味蕾の再生がスムーズにいかなくなり、味覚障害が起きます」。
亜鉛はミネラルの一種で、鉄、銅、マンガンなどとともに必須微量元素とされている。一日に必要な摂取量は成人で15mg。1991年の日本口腔咽頭科学会の集計では、全国で年間14万人の味覚障害の患者が発生しているが、原因としては亜鉛の欠乏によるものが最も多く、全体の3割近くにものぼるという。
「亜鉛欠乏症の症状は多様で、成長不良(小児)、皮膚炎、脱毛症、爪の異常、貧血、免疫力低下、夜盲症、嗅覚異常などが起こります。そして、成人で最初に現れる症状が味覚障害です。鉄が不足すると貧血になることは皆さんよくご存じですが、亜鉛でも貧血は起きるし、亜鉛についても、もっと関心を持つべきだと思いますね」。亜鉛欠乏の原因について「日本人の亜鉛摂取量は一日9mgで、もともと不足気味だったのに加えて、加工食品のはんらんが亜鉛不足に拍車をかけている」と指摘する。加工食品に使用されている食品添加物の中で、ポリリン酸、フィチン酸などは亜鉛の吸収を妨げたり、体内の亜鉛を排せつしたりする。
ダイエットや偏食も亜鉛欠乏の一因になっている。食生活を調査した結果、一日の亜鉛摂取量は6.5mg、エネルギー摂取量は1648キロカロリーで所要量を400キロカロリーも下回っており、ダイエット指向の食習慣が影響しているという。
日本人は繊細な味覚を持っていた
こうしてみると、日本人の味覚に注意信号がともっているといえそうだ。「日本料理は四季折々の旬の素材を使い、その持ち味をいかして薄味に仕上げます。日本人は本来、繊細な味覚の持ち主だと思いますね。それが変わり始めたのは高度成長が始まった頃でしょうか。
従来の淡白な味付けではお客さんが満足しなくなり、バターや牛乳を使ってコクを出すようになったんです」。経済的に豊かになり、外国料理が浸透してきたせいもあるが、日本の食材の質の低下も見逃せないという。
「野菜に季節感がなくなり、魚も養殖や冷凍ものがふえて味が落ちています。どうしても味付けを濃くしてカバーせざるをえない。最近では料理店でも、うま味調味料を使っていますから、どこでも似たような味の料理になってしまう。それに、今の若い人はもう本物の味を知らないんですよ。鶏肉でも柔らかいブロイラーに慣れてしまっているから、本物の地鶏を出すと、固くておいしくないと言うんです」。日本人の味覚が変化し、均一化してくるのはやむをえない状況にあるようだ。
すぐれた食文化を次の世代へ
「品種の改良や栽培技術の進歩、外国からの輸入などで旬の幅が広がっています。同じ食品であっても、野菜などは味や栄養価に差があります。たとえば夏場のホウレンソウは冬場のものに比べてビタミンCは三分の一、ベータカロテンは70%程度。味もかなり落ちます。輸入野菜は安価ですが、ブロッコリーは国産ものに比べてビタミンCは80%程度。それでも選択肢が広がるのはいいことです。こうした食品の特徴をよく理解して賢く選択し、味や栄養価がたりない場合は他の食品を組み合わせて補う工夫が大切です」とアドバイスする。
基本的には旬の露地もののほうがハウスものより味もよく、栄養価も高いが、今は栽培技術が進歩しており、トマトや温州ミカンなどは、ハウスでも質のよいものができる。冷凍ものの魚もきちんと温度管理されたものであれば、味や栄養価に大きな差はなく、食べ比べてみて初めてわかる程度だという。技術の進歩に対応するためには、消費者もそれに見合った知識が必要になる。
「技術の進歩による恩恵は素直に受け止めていいと思います。夏においしい温州ミカンが食べられるなんて夢のような話。風味調味料や加工食品も忙しい時には重宝です。ただし、そうした便利な商品に振り回されてはダメ。便宜的に使用するもので、常用するものではありません。食品や健康に対する正しい知識を持ち、主体的に取捨選択してほしいですね」
伝統的な日本料理の長所を見直し、家庭料理のレベルアップをはかるべきだと強調する。グルメとは有名店を食べ歩くことではなく、家庭でおいしいものを食べることだと思います。
「日本の食文化は世界に誇れる素晴らしいもの。私たちの祖先が長い年月をかけ、それこそ人体実験を重ねた末に築き上げた貴重な遺産であり、日本の風土、日本人の体質に合った食物なんです。それを次の世代に伝えていくべきです」
アメリカのミネソタ州を訪れたとき、農家の若い主婦が祖母の代からの料理ノートを使っているのを見て感動したという。祖母から母、母から娘へと味が受け継がれていく。残念ながら、日本ではそうした伝統は失われてしまった。次の世代に伝えるべき味は何なのか。それを問い直す時期にきているのではないだろうか。