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2003年09月10日 16時26分54秒 |
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(株)肝臓日記 12 生まれ変わった日 一年前の 今日 私は 発症した。 いや、発症したというより 自分の体が 「自己免疫性肝炎」 である事を 知った日である。 それまでの私は 10代の終りから20代の殆どの時間を費やし 「妊娠する事」に 全力を注いでいた。 それが 私の生きるすべのように・・・ かなり 無茶な事も していたように思う。 それで 罰が 当たったのかな? 私にとって 「生きること」を 改めて 試練として 考えさせられた日々でした。 両親から五体満足な体で生み、育ててもらい 穏やかで幸せな生活をしていたはずなのに・・・ 当たり前に思っていた事が 私の発症と共に 一気に一転した日です。 この一年は 私にとって とっても 長く 大変な一年でした。 でも、 こうして 私は今日も 自宅で ぷ〜家族と暮らせています。 一見 何も変わらないようにも見えるけれど 当たり前の この生活に とても 感謝しています。 今日の日を 穏やかに 迎えられて良かった。 明日も 私が 私でありますように・・・ 私を支えてくれる 皆さんへ ”ありがとう” |
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2003年09月10日 16時25分18秒 |
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(株)肝臓日記 11 肝機能を 抑えるには?? 私の ”自己免疫性肝炎” との付き合いは 昨年5月からですが、 それまでにも 兆候?と思われる 肝機能の数値が上がったことが 何度かありました。 初めは 平成8年の春。 2週間位の 胃痛が続いた後、いきなり高熱と過官気症候群で 入院。 そのときは 膵臓のなんたら言う(朦朧としてて 聞き取れてなかった)数値が異常で、すぐ家族が呼ばれたほどだった。(らしい) 結局 精密検査で 無事疑いは晴れたが、肝機能の数値は高いままだった。 当時、全く肝臓病には無知だったので、言われるまま、結局 レントゲン・CT・エコー・胃カメラなどの お決まりの検査を受け、原因不明のまま 少し下がったから、と 退院した。 10日程の 入院だった。 その後 数ヶ月間通院したけれど、「ウィルス性ではない」としか わからなかった。 それから 2年後、妊娠中に流産しかかり入院中にも肝機能が高くなった。 妊娠中だったため、積極的な治療はモチロンのこと、婦人科の個人院だったので、詳しい検査はせず。 数値的には 200〜300台で、その後 下がった記憶がある。 一番最初の 発症?の時、長年の不妊治療に関係が無いだろうか? と 医師に言われたのを覚えている。 検査結果を持って、婦人科へ行くように勧められた。 婦人科では、使用していた薬との因果関係は 全く無いと言われる。 で、それから去年の発症。 自己免疫だったと 最初からわかっていたら、去年のような、命に関わるまでには ならなくて済んだけれど、だとしたら、 今 私は ぷ〜ママでは無かったに違いない。 本当に、絶妙なタイミング! |
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2003年09月10日 16時24分10秒 |
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(株)肝臓日記 10 カミング・アウト 暖かくなってきて、買い物へ出かけても、春物・夏物が出回っていて、見てるだけで ウキウキしてしまう! でも、薄着は 私には チョット辛い季節なのよねぇ〜〜〜 昨年は 外出できるようになったのは 秋になってからだったから、それほどでもなかったけれど・・・ それでも、通院以外には 殆ど外出しなかった。 全身の浮腫みきった体で 外に出る勇気がなかったのだ。 数ヶ月間、自宅を空けていたため、帰宅してからは 何かとご近所さんが 尋ねてくれていたけれど、なかなか お誘いに乗る気持ちには なれなかった。 そう、自分の病気の事を 話す気持ちになれなかったのだ。 ”恥ずかしい” とか そういう感情ではなくて、何と言うか・・・ 同情されたく無かったというか。 今 思えば、なんて思い上がりだろうと 思うのだが、当時は 自分の中でも 病気を受け入れるのに、納得していくしかないんだ、 としか 思えてはいなかったから。。。 きっと、私が逆の立場になったら、皆と同じ態度を とったであろう。 でも、 嫌で 嫌で仕方が無かった。 自分を 知らない人の中には 抵抗なく居られたのに。 でも、今の私は 違う。 病気の事も、必要ならば、話すことも出来るし、 こうして HPで赤裸々に 話すことも出来る。 今は 素直に そんな自分が 好きだ。 毎日 これを見て、私の生活を見守っていてくれている 私の大切な人たちの お陰だと思う。 今もって、堂々!とは 言いがたい体形で ”ホントに病人?” という感じだけれど、今年は 明るく、 お日様の下へ 出られそうだ♪ |
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2003年09月10日 16時21分42秒 |
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(株)肝臓日記 9 これって、再発!? そうして、数ヶ月が過ぎた頃・・・ それ は 突然やってきた。 とにかく 目が回る〜〜〜 毎日 子育てと家事に追われる日々で 少し気が緩んでいたのかもしれない。 担当医の受診日では無かったし、時間外だったので 電話で翌日の 受診予約を入れて 様子を見ていたら 目の前が 真っ暗になって、気づいたら床の上だった。 背中を ぷ〜パパがさすってくれていて、いつのまにか ぷ〜も・・・ うっ☆ さすってるの? 乗っかってるのぉ?? 結局 時間外に病院へ駆け込み、アッサリ 「過労です!」 とほほ。。。 でも、数週間後には 数字となって 現れてきた!!! やっちゃった〜〜〜!!! 肝機能が 3桁まで上昇。。。 体の不調が な〜んとなく(それでもまだ、なんとなく程度☆)わかってきたけれど・・・ 相変わらず 気づくのが 遅い。。。 結局 下げきっていた 投薬数を上げることになってしまう。 あぁ、この数ヶ月の苦労も 水の泡。 ショックだった。 でも、考えようによっては、薬の単位を上げるだけで済んだのである。 根本的に 楽観主義なので、 そう 思うことにした。 やっぱり 副作用も出てきたし。 減ってきてた 体重も元に戻ったし。 嫌んなること ばっかりだけどねぇ〜〜〜 そして 今回も言いましたさ! 「 入院だけは しない〜!!!」 転勤間近の担当医、 「わかってるってば!」 きっと 困った患者だった と思い出すことでしょう。 てへ。 |
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2003年09月10日 16時20分10秒 |
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(株)肝臓日記 8 社会復帰 退院後の 肝臓はすこぶる順調。 予定通りに 検査もこなし、 薬の単位もグングン下がった。 でも、1泊外泊のとき 考えていた 漠然とした不安が 押し寄せてきた。。。 子育て以外のことは、実家に居たので 家族に協力してもらい、何の不自由も無かった。 なのに・・・ 突然、”一人になりたい” という、訳のわからない強迫観念みたいのが 襲ってくるようになる。。。 短いときで、数分の出来事なので、当初は トイレや 1人きりになれるとこを 探して しのいできた。 でも、それも 長くは続かず・・・ 途中、ぷ〜 が泣いたりすると、 ハッとわれに返れるんだけど。 結局、家族の知ることなり、 居心地悪い思いもした。 モチロン、家族は 精一杯理解を示してくれていたんだけれど、 私のほうが ダメなのだ。 そう思ってしまう 自分のほうが もっと 嫌だった。 以前のように 動けない自分、不安定な自分。。。 殆ど 鬱 だったと 思う。 母は、薬に関係してるのでは? と 言う。 そんな生活を 数ヶ月にわたり しているうちに、 リミットとなる 家族行事があり、 自宅に戻る決心をする。 3人きりの 生活。 嬉しさと 不安と・・・ でも、そのとき 帰っていなかったら 私の「社会復帰」 無かったように 思う。 大して 難しいことが無いように思えて、体力の低下は色んなものを 奪っていってる。。。 痛感した 数ヶ月だった。 |
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2003年09月10日 16時19分10秒 |
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(株)肝臓日記 7 退院はしたけれど… それから それから。。。 色々 詳しい説明を受け、聞く副作用というそばから 次々掛かりながらも、常用している薬の単位だけは、予定通り落としていくことが 出来ました。 せめてもの 救い。。。 桜咲く、とっても 美しい時期だったのに、繁華街にある病院では、木々も 見えませぬ。。。 そんなこんなで 1泊外泊から初めて 外の空気に触れ、 何度か 繰り返した後、 それは突然やってきた。 「祝! 退院 ♪」!!!!! 入院も突然なら、 退院も突然。 担当医も、 あまりの「帰る!」 攻撃に、仕方ない、出してやるよ ってな 気分だったのでありましょう・・・ でも、子育て中なことは 百も承知だったので、実家に療養生活するという 約束付き。 いいさ、いいさ、なんでも!!! そうして、日常生活の 始まり始まり。。。 ・・・でもね。 そう 浮かれてばかりも いられませんでした。。。 長期入院のせい? 肝臓病のせい?? 体が 動かない!! 自分で 唖然とした。 チョットの動きが 体に堪える。。。 浮腫みまくって 体重増えまくった とっても「病み上がり」には 見えない 体のせいもあるのかもしれないけれど・・・ いつのまにか 動きがついた ぷ〜の後を追うにも 一苦労(汗) どうしょう〜〜〜 どうなっちゃったのぉ〜〜〜 自分の体じゃ ないみたい。。。 私の 社会生活復帰は 不安だらけから 始まったのでございまする〜〜〜 |
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2003年09月10日 16時18分18秒 |
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(株)肝臓日記 6 治療は 医師次第?! 色々 病院を見てみて、病院形態そのものも そうだけれど、担当の医師によっても 違いが出てくる気がする。。。 モチロン、相性だって 大事!! その事に 気づくまで、どちらかというと「医者の言った事は 絶対だ」 みたいに 考えていた。 時として、そんな場面ももちろんあるが、患者側にも 自分の体なのだ、 意見や質問を言う機会(というか 雰囲気)が あったって、いいじゃないか??? 以前の 私は 言えなかった。 ただ、言われた事を もんもんとして 考えていた。 今は、 多少五月蝿がられたとしても、開き直って 全てのことを 聞く様にしている。 そして、担当医も、私の性格を把握しつつ 精一杯答えてくれている。 がっ! しか〜し!!! 4月は 別れのシーズンでございまする〜〜〜 行っちゃったわよぉ〜〜〜 隣町に!! でも、車で5時間よ?! 諦めるしか ないかぁ〜〜〜 一時期、ぷ〜パパは 私の通院のために、引越しまで考えてくれていたようですが・・・ 幼子を抱えて、転職までしてくださいとは、言えませぬ。 気持ちだけ、ありがた〜く受け取っておきます。。。 そうして、今月から 新担当医に代わるのじゃ〜〜〜 さて、相性は いかに??!! |
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2003年09月10日 16時15分10秒 |
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(株)肝臓日記 5 自分の体を知ること… 今回の入院で、私が 肝臓病だったということが、家族も含めて 初めてわかった事だが、その前にも 自分なりに 自分の体を知る機会が 私には 多々あった。 婦人科検診も その一つで、長年の不妊治療で(別記 「不妊治療日記」 参照)私は あらゆる検査を受けていた為、別口での 年1回程度の人間ドックでは 簡単な検査だけで済ませていた。 それでも、検査には限りがある。 自己免疫は、素因性というからには、やはり気になって、発症後、直ちに兄弟への 精密検査を勧めた。 自分の 今の体に、自信が持てなくなってはいるものの、私は どうやら 特異体質気味(?)らしいことが、気のせいではなく、ホントらしいと確信に変わり、それだけでも、自分の体なんだ!! 誰よりも知っとかなきゃ! と 思えるようになっただけ マシかも?? 私は 全くお酒は飲まないし(て、いうか、体質的に合わないと思う・・・)、喫煙もしない。 たいてい、「肝臓病」 なんて いうと、 「飲みすぎたんじゃーないの??」 な〜んて 言われちゃいますが、 かえって、飲酒する方のほうが、肝機能下げる原因ハッキリ出来て 早いと思う。 (まぁ、自己免疫の場合は、そんなん、完全な原因ではないから 意味ないけど。) そのせいか? 私は 麻酔がメチャメチャ 効きにくい・・・ 過去 数回の手術経験があるが、1度として、すんなり効いたためしがない・・・ もう、最悪。 全身麻酔なら、知らんうちに イタイの通りこせるったってー 局部麻酔の時なんざー 恐怖!恐怖!!恐怖!!! 何たって、効かなくて焦る 医師が視界に入りますからねぇ〜〜〜 そんでもって、今度は麻酔が抜けにくい・・・ 予定してた 時間は大幅に遅れること、当たり前。 今回は、さすがの ぷ〜パパも、状態知ってるから、なかなか覚めなくても 動じていませんでしたが・・・ 個室に入っていた私は、2人部屋へ移される事になってたらしいんだけど、 予定の時間が過ぎても まだ覚醒してなくって、さすがに移動するのは あきらめたらしいけど・・・ 意識が 朦朧としながらも、 移動しようとしてる 婦長に”おい おいっ!!” って、突っ込みたくなりましたわ!! それと、もうひとつ・・・ 異常に 痛みに強い(鈍い との声も・・・)らしい。。。 これはね、もう〜 ひじょ〜に 危険です!! なんせ、 倒れるまで、本人が自覚できないんだもん。。。 でも、さすがに ニブチンな私でも 最近は「疲れる」とはどういうことか、理解できましたです、ハイ。 入院するまでは、てっきり育児疲れだとばっかり思っていましたからねぇ〜〜〜 気をつけませう〜〜〜 皆さんも、自分の体、知ってますか??? |
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2003年09月10日 16時11分54秒 |
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(株)肝臓日記 4 軟禁状態な入院生活 黄疸が 消えるまでに4週間。 ピッタリ 初見通りだった。 体が 元の肌色に戻ったとき、全身湿疹だらけ、体は浮腫み、顔はまんまる。。。 でも、慣れてくれば、 こんなもんかなと思える自分がオソロシイ。 体も うんと楽になってくる。 でも、気持ちの アップ・ダウンに ついていけなくなる・・・ これも、副作用の一つだと言う。 最初は、自分がこんな病気になってしまったこと、一生付き合う覚悟を決めなくてはいけない 自分に ただ、受け入れるのが辛かった。 自分に いつか寿命が来るだろう事は わかりきっているけれど、こんな形で 先が見えるかもしれないなんて・・・ どうしたらいいの。 頭が グルグル。。。 ただ ただ 「たすけて」 誰かに 言いたくて、仕方が無かった。 でも・・・ 言われた方だって、苦しむだけよね。 冷静な私と パニック状態の私が いつでも突然襲ってくる。 寝ても 覚めても そんな状態が続き、 毎朝 薬を服用したら 1日何もしない生活が 辛くなるばかり。 こんな状態から 抜け出さないと・・・ 気持ちばかりが あせる。 そこで、ぷ〜の妊娠中に作りかけの キルトを持ってきてもらい、一心不乱に作り始める。 プレイマットのつもりだったのだが、入院中に ぷ〜はドンドン成長していき、寝返りしか 打てなかった筈が コロコロと転がっているし、歯も生えてきたし・・・ こりゃ、プレイマットなんか、お呼びじゃない! ベットカバーに 変更 変更・・・ ドンドン 大きくなっていく〜 出来上がったら、「退院できるぞ!」 と、一人で願掛け。 でもまずは、外出許可が出るまで 頑張ってみよう。 週末、外泊する人が多く、寂しく病室に取り残される時には、羨ましながら、そう 目標をたてた。 やがて、待望の許可がおりる!! でも、実家に帰ること、子育てはほどほどに、というキツーイお達しのもと、許可証 ゲット!!! そうして、私の 社会生活復帰計画(?)は着々と進んだのでありましたとさ・・・ |
| (株)肝臓日記 3 |
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恐るべし! 黄疸!! 治療が始まり、副作用も慣れ(?) さぁ、お次は なんだ? 全身の、黄疸、黄疸、黄疸!!! 歩行許可が出て、少しづつ 病棟をうろうろ出来るようになり、思い切って、売店まで 足を運んでみる。 ん〜〜〜??? すれ違う人の視線が イタイ・・・ はて? なんぞや?? 何故に、目をそらす??? そう〜 この時、私はみかん色を通り越し、曇ったオレンジ色?になっていたのだぁ〜 全身というからには、目の白目の部分も もちろんオレンジ。 (黄疸とは、大抵が目の色からくるのです。) そりゃ、 怖いわな。。。 でも、オレンジ人間だって、呼吸して、動けりゃ 何だっていいのさ♪ 私は、病棟から見る高い視線からの 町並みでは無い景色に ルンルン気分♪ でも。 突然、「帰りたい。」 入院してから、毎日「帰る」と騒ぎ、看護士の要注意人物となっていた 私。 その内、騒ぐ気力も モチロン無くなってはいたのだけれど・・・ 生後7ヶ月の ぷ〜を置いての入院なんて、離れるなんて、考えられなかった。。。 抑えていた気持ちが、外来の玄関を行きかう人並みを見てしまったら、溢れ出してきた。 「私は、ここから出ることが 出来るんだろうか???」 ちょっと 散歩のつもりが、重くのしかかって来て、最悪の気分で病棟へと帰る羽目に・・・ この頃の 私は、黄疸を示す”ビリルビン”という 数値が18まで 上昇していた。 通常、平常値は1 目の白目が変色する頃を4〜5として、排尿・便に変色の頃8〜9(かな?) 一時期 ダイエット食品で騒がれた、「劇症肝炎」までは20以上からが 非常に危険地帯。。。 いかに、瀬戸際だったかが数字で示され、理解した。 辛くも 劇症肝炎を免れた事は、心から担当医の迅速な判断に感謝したい。 |
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2003年08月27日 15時37分41秒
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治療は始まったけれど… 治療は 始まったけれど、入院前2週間と入院してから1週間の計3週間、殆ど食べ物を口にしていなく、「食べろ」攻撃が始まる・・・ 辛うじて 水分だけは何とか取れていたのだが、それもここ数日は怪しくなり、ついに点滴のお世話となってしまう。。。 血管細くて看護士泣かせ だんだん 腕も痣の無いとこが無い位になってくる。 それでも、気持ちの上では「助かる?」と 希望が見えてきていたので、ずっとよかった。 その後の検査で、数年前からあったポリープと、腎臓結石が新たに見つかり、とりあえずは このままに。 担当医曰く 「命に 別状ないから。」 ムム。。。確かに。 この頃になると、重要度の高いものの 治療しかできない状況になっていたので・・・ 殆ど、合言葉のように、「命に 別状ないから。」と 担当医との 会話に出てきていた。 少しづつ 食欲の回復と共に、やってきました!!! 副作用の オンパレード! もう、これでもかってなくらいの、医師の説明通りに 次から次へと〜。。。 もう、やんなるくらい。。。 朝、起きると顔がパンパン! 鏡を見なくても、視界に頬の膨らみが見えるんですよ?! 信じられる?? 足も 腕も浮腫み放題〜 こりゃ、女捨てろって事だわさ。 それでなくとも、産後の授乳期で、ダイエットもままならず 通常の体系とは程遠い状態だったのに〜〜〜 食事も、最初のおかゆから 普通のご飯になっていたけれど、何か違うぞ?? あれ?? そう! 肝臓食なるものが存在していた〜 全く、肝臓病に無知な私。。。 (肝臓がどんな働きか、どこにあるのかすら 知らなかったんだもん!) 毎日、高たんぱく質の食事。 量も少な〜い。 食事が 味わえる頃には、副作用で 食欲増進していたのです。 寝ても覚めても「お腹空いたぁ〜」って状態。 後にも先にも、あれほど 食べ物に執着してた事はありません(笑) 治療とは、漏れなく付いてくる いらぬ副作用〜 |
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2003年08月20日 15時54分23秒
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2003年08月19日 00時56分14秒 |
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(株)肝臓日記 1 病気が 発覚!! 生後7ヶ月の”ぷ〜”との生活にも慣れたある日、ふと、体調の変化に気づく。 「あれ?生理が異常に長いぞ〜 食欲も無い。体も重い・・・」 でも、単なる育児疲れだろうと、半月ほどそのまま放置してしまう。 その内、本格的に動けなくなり、掛かりつけの産婦人科へ。。。 長年お世話になっている院長に会った途端、「採血!」と言われ、すぐさま検査結果を持って、総合病院へと廻される。 転院してみると、既に入院準備がされ、個室まで確保される始末。 訳のわからぬまま、母乳育児のぷ〜への授乳を止められ、お腹が空いたと泣き叫ぶぷ〜を病室に残し、それでもまだ 検査が終われば帰宅できると思っていた私は、検査室を次々と走り回りながら受けていたのでした・・・ ところが、結果は全身黄疸。 肝機能の数値も1000桁以上に跳ね上がり、「普通、動けないよ」と 言われるほどに重症だったのです・・・ ちっとも状況が飲み込めないまま、入院1日目が過ぎました。。。 ぷ〜は実家の祖父母へと預けられ、ぷ〜パパは、自宅を一人で守り、祖父母宅のぷ〜の世話、私の病院、仕事と、目の回るような生活へと 家族全員を巻き込む闘病生活の始まりでもありました。 翌日から、病名の追求の検査が本格的に始まり、肝臓の状況が厳しく、難しいけれど肝臓の組織を採って検査する「肝生検」しかないとのことで、もしもの時の同意書なるものを書き、麻酔を打たれる。 ・・がっ!効かない!! そう、私は、麻酔が効かない体質なのだ〜 医師にも伝えたのだが・・・ 局部麻酔なので、会話しながらであった。 結局、採りきれず2度体験する羽目になる。。。うぅ〜。。。 結果待ちまで1週間。 検査以外、治療らしいことが出来ない。 今思うと、この時が一番辛かった! その内、日に日に体力が落ちていくのが自分でもわかり、 4日目頃には箸を持ち上げることも辛く、起きている事も出来なくなる。 5日目。 目を開けて呼吸していることにも辛くなり、殆ど引きずられているかのように眠りにばかり落ちていた。 日に何度も看護士に起こされる(確認してたのかも?)ことが、何より辛い。 そっとしておいて〜という心境・・・ 6日目。 自分でも、もうだめだと観念していた。 自然に、そう思った。 担当医が、「もう限界だ」と言い、検査結果を待たずして、 治療を開始した。 予定より、1日早い 投薬開始だった。 直ぐにぷ〜パパが呼ばれ、治療計画なるものの説明があった。 治療法は、現段階では1種類しか無い事、投薬も選択肢が無い事・・・ 無い無いだらけで始まった、私の闘病。 難病というだけあって、治療の終りも、無い。 正直、治療が開始され、ホッとはしたけれど、 最悪は「癌」2番手に「自己免疫」と言われていただけに、 「もう、治りませんよ」 と 宣告されたに等しい。。。 現実の物とは思えぬまま、戦闘開始! |
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2003年08月19日 00時51分34秒 |
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(株)肝臓日記 ここでは まず私の家族紹介から… ☆ ぷ〜 パパ ☆ 温厚で 子煩悩。 でも、長年の不妊治療で、すっかり子供の居る生活とは無縁になっていた為、 ぷ〜が 無事生まれてくるまで 右往左往〜 結局 ぷ〜の出産に 自ら立会いを希望したという、輝かしい経歴の持ち主♪ でも、血を見るのが 大の苦手と言う・・・ ☆ ぷ〜 ママ ☆ このHPの管理人。 ぷ〜を出産するまで、映画三昧の生活を送る(笑) 今は、子育てが何より天職だ! と思っている かなりお気楽主婦♪ ☆ でっかい・ぷ〜 ☆ 体長30cmのクサカメ。 ぷ〜夫婦が 入籍記念に何故かペットショップに立ち寄り、 ぷ〜パパに 異様になつき、「私を連れてって〜」 オーラを出しまくり、 ついに 家族の一員となる。 ある意味、ぷ〜ママと一緒に お嫁入り?? 人間大好き!な 女の子♪ ☆ ぷ〜 ☆ 我が家の 王子♪ かなり 面白いキャラクター だけど、天然(笑) バナナとパウダービーズクッションをこよなく愛す♪ これから エンジン全開 活動予定中♪ |