<質問3> ガンの告知についてどのように考えますか? <考え方3> 出来れば本人には告知したほうが良いと考えます。 【本人や身内の方を含め告知はすごく悩んで判断されていますのでその気苦労たる や計り知れないものがあります、そのことを理解した上で告知しなかった身内の方 々を責めるものでは決して無いことをご理解ください。】 なぜなら、自分自身の命ですから。治療方法も自らの責任で選択してほしいのです。 私事ですが、義父が胃がんの宣告を受けたことをお話させていただきます。義父は 若いときからお酒好きで60歳を過ぎて胃潰瘍が出来るようになって、やっと注意し て毎月胃カメラの検査に行くようになりました。それでもお酒の量は減ったものの 止めることはありませんでした。ところが3年前の検査で異常が見つかり細胞検査 の結果胃がんが判明したのです。医師も気軽に潰瘍がガン化してまだ早期発見なの で本人告知をして、すでに胃の3分の2を切除する手術を本人に勧めていました。 それから私の妻に連絡があった次第です。 7年前に十二指腸ガンで親友を亡くしている私にとって、悪いところさえ切り取っ てしまえばよくなるのかについて疑問をもっていました。親友の話は後述すること として、義父に切らないで治った事例もたくさんあるで選択肢の一つに加えられる か検討してはどうかと勧めました。義父に限らずほとんどの方が医師の勧めること であれば100%間違いないと思っていますので、胃の切除を選択してしまうと考え たからです。特に高年齢の方は医師を「お医者様」と読んで神格化している方が 大変多いのです。 結論としては本人がまだ力仕事をしていて切除すると仕事にならなくなるので、 「まずは切らないで治るか試して見よう」 「それでもだめだったら切除しよう」 と柔軟に考え素直に受け入れ、その後の定期検診でガン腫瘍が消え、安心していた らまた別のところに発見され、治療をきちんと続け現在は目立ったガン腫瘍が無い 状態です。話が少しずれました告知の話の戻します。問題はそのときにかかわる人 たちの精神状態なのです。じつは義父が治療をはじめてしばらくして妻の姉から 「お医者さんの言うとおり切除したほうがいいのではないか」と言ってきたのです。 私はビビリました。胃が縮み上がる思いでした。 「身内でもないのに余計なことを進言してしまったのではないか。」 「切除しないことが手遅れになってしまったらどうしよう」 「死亡してしまったらまだ見ぬ身内の方たちからなんて非難されるのだろう。」 早速妻にまた相談しました。妻の父親ですからね。 妻いわく「父本人の選択なのだから問題ないよ。」 義父も改めて「まず切らない方法でやってみてダメなら切るよ。心配するな。」と 言ってくれましたので、その場は安心したのです。でも、その後二度にわたって再 びガン腫瘍が表れたときはやっぱり心配はぬぐえませんでした。 ここでなくなった親友のことをお話します。私もガンについての知識が全く無いこ ろでしたので、胃潰瘍で手術すると聞いたときは「早く良くなって退院したらまた 飲みに行こう」という程度で気軽に考えていました。親友の奥さんも良く知ってい たため奥さんの言葉に明るさもあり全く心配していない表情でしたので疑いも持ち ませんでした。 ところが実際は奥さん自体もガンのことは知らされていなかったのです。告知を受 けていたのは親友の実家だけでした。まもなく退院後に会うとげっそり痩せていた ので聞いてみると「胃の全部と十二指腸を摘出した」とのこと体重もその臓器の重 量を考えても十数kg体重が減っても不思議はありません。でももう酒も飲めると いうのでのみに行くことになり量は気にしながらも飲んでいました。 その間実家ではありとあらゆる「ガンに効くと言われる健康食品」を奥さんには内 緒で試しますが効果はなく1年後に二度目の手術を迎えます。その時初めて奥さん も告知を受けるのです。私は聞いたのもこのとき奥さんからでした。 振り返るとはじめの手術で開腹したときには転移が激しく手遅れかもしれなかった のですが、本人には胃潰瘍と説明していた手前、医師と身内との相談で切除に踏み 切ったそうです。二度目の手術は食べ物が通らなくなったための手術でした。 その後の奥さんの気持ちと身内の方々の気持ちを察するとこれ以上はお話する必要 は無いと考えます。 今回の経験で告知は大変難しいものであると実感しました。感情的なこと医学的な こと世間体などその状況判断は関係者の色々な意見が飛び込んできて迷いに迷うも のだということも知りました。義父のケースはたまたま本人に告知しましたが、 問題となるのは本人ではなく身内に先に告知するケースです。医師としては進行度 合いが高いのでそのような選択になるのですが。身内で告知を受けた方はすぐには 直接本人には話せないので、身近な方に相談し家族または親戚会議となり本人に 告知すべきかを相談します。その結果本人に告知することになった場合は本人の 意思が反映されますので良いのですが、大変なのは告知しない場合です。 どんなことが予想されますか。まずそのがん治療に実績のある病院や腕のいい医師 をあらゆる方面から情報を収集します。病院、費用、治療方法、療養場所、どのよ うに本人に話すのかなどなど、さまざまなことが話し合われます。 こんな中で必ず「ガンが治った本」を読んだり、人づてに民間療法や健康食品で ガンが治ったことを聞いてきて会議の場で話をする人が現れます。しかし信頼性の 話になり否定され、はたまた「治らなかったらどうするの」と言った本人が質問さ れその意見はかき消されてしまいます。 結局のところは「病院の医師の勧める治療方法が良いだろう」という意見に落ち着 くのではないでしょうか。たしかに日本の西洋医学は世界でも最先端を走っている と言っても過言ではありません。その最先端の医学を学んだ医師の助言ですから 信用するのは当然なのですが、もう一つ言葉にはあまり出さない理由があるのです。 それは「医師の勧めるとおりに治療していれば死亡しても身内親戚で責められるこ とは無い。」「病院での治療であれば身内親戚の気苦労や世話をする労力が減る。」 「病院で死んだのであればご近所からは何も言われないし後処理も楽である。」な どです。みな一生懸命治ることを願って相談をしているので、誰一人として当事者 を責めるわけには行かないのですが、自分に責任が降りかかってくるのは嫌なもの です。 でも、現実に目を戻すと手術前、手術中、手術後、治療方法などその都度本人にわ からないように説明しなければいけないのです。治療ですから快復していけば安心 できるのですが、むしろ悪くなってしまったのではないかと思われるケースも多々 あります。医師の説明もだんだん不信感からかぎこちなくなります、医師に任せた はずなのにどうしてなのだろう。こんなときハタと気づくのです。「医師ははじめ から一つの選択肢を提示しただけで、それを最終的に選んで医師に託したのは本人 以外の関係者であることを。」それにしたがって医師は治療をしてだけなのです。 だから承諾書が必要になるのです。 このころから慌てて民間療法や健康食品にわらにもすがるつもりで大金をはたいて 色々と試してみますが、手術、抗がん療法、放射線療法などで痛めつけられた体は なかなか元には戻りません。このころから病室も個室に移ることになります。 ガンも末期になると本人が痛みを訴えますので、それを見ているのがつらくて医師 に相談に行きますとモルヒネを勧められます。麻薬とわかってはいても使用を承諾 してしまうのです。 医師もさじを投げた瞬間です。モルヒネは痛みも忘れさせますが命も奪います。 医師によってははっきりと伝えますが、普通の人でも6ヶ月も打ちつづければ心臓 が止まってしまうほど強い薬なのです。打ち始めればあと数ヶ月の命なのです。 その理由は麻薬ですから少しづつ量をふやしていかないと痛みも取れないのです。 このようにはじめは西洋医学。それでダメなら免疫療法や民間療法や健康食品とい う順番に考える方がほとんどなので、ここに「免疫療法や民間療法や健康食品では やっぱりダメだ!」という誤った解釈が生まれてしまうのではないでしょうか。 もともとこれらの治療方法は病気の予防や体の自然治癒力の回復が目的で、時間を かけて行うものですので、そもそも考え方が異なるのです。ここまで体を痛めつけ られてから気づいても良いものでも効果がでないのはあたりまえだと考えます。 「だったら体を痛めつける前にやればよかったのに。」 と考えてしまうのは私だけでしょうか。