• のんびりいきましょう
    「がんばれ!」は自分もよく使うセリフ。
    でも頑張っている人に「がんばれ!」は辛い。
    その人なりに既にがんばっているんだ。
    それは病気に人に限らず、子供に対してや、色んな悩みを抱えている人も同じだ。

    自分も「がんばれ!」と言われてこれ以上どうすればいいのかわからなかった。
    その時、同じ病気を経験した義父の「まあ、病むだな。仕方ないよ」の言葉を聞いて
    心が洗われました。
    もちろんがんばることは大切です。
    でも励ますのだったら、どれだけ相手の立場に立って気持ちを和らいであげられるかです。

    苦しみや悲しみ、痛みは口で「分かるよ、分かるよ」と言っても
    その辛さは本人しかわかりません。
    「がんばれ!」はどうも突き放しているような気がします。
    ではどんな言葉がいいのかは、その人の性格もあるでしょうし一概には言えません。

    突き放してついてくる人もいれば、おだてながら自信をつけさせついてくる人もいます。
    子供に対しても老人に対しても、押さえつけたり、強要するのではなく
    同じ目線で見下すことなく接していけたらいいな。

    人と向き合って付き合うのは簡単じゃないですね。

    「ゆっくり、のんびりいきましょうか」
2002年12月06日 19時52分06秒

  • 健康でいられる幸せ
    今現在、週1回の通院をしています。コルセットはクリスマスには外れそうです。
    その後ムチ打ちなどの時に使用するカラーを3ヶ月ほどつけます。
    今はコルセットによる肩凝りがひどく、PCに長時間座っていられません。
    そういって暇なので休み休み打っておりますが・・

    健康でいられることはとても幸せだと思いませんか?
    健康でいられるから、喧嘩も出来るし、妬んだり、羨んだり・・
    幸せの中にいると、自分が幸せなのかわからなくなる。
    そして、もっともっと望んでしまう。

    人生はいいことばかりじゃない。良い事も悪い事もある。
    でもやまない雨はないよ。
    幸せの中にいる時は、みんなにお裾分けするんだ。
    そうすれば自分が苦しんだり、悲しんだりした時は必ず誰かから
    幸せのお裾分けを貰えるさ。

    私も自分がしっかりしなくちゃ、迷惑掛けちゃいけないと強がっていました。
    オレは強い!大丈夫!って。でも簡単に潰れてしまったよ。
    そうじゃないんだ。甘える時は甘えなくちゃ! 頼る時は頼らなくちゃ!

    ギブスベットでの生活は二度としたくありません。
    でも寝たきりの人の気持ちはたった3週間ですが痛感しました。
    妻や夫に介護してもらうならまだしも、どちらかが先立った後、年老いて寝たきりになり
    子供に世話してもらう。娘が看護しれくれるのか、はたまたお嫁さんか・・
    どちらかにしても、申し訳ない気持ちだろうね。
    食べれば便になり、飲めば水分となる。迷惑を掛けたくないから控える。

    入院中TVで「おじいちゃんが恋をした」という番組を観た。
    みんなどちらかに先立たれ、それを乗り越えこの先の人生を楽しもうと前向きだった。
    1人の女性がこんなことを言っていた。
    「あの人はいいわよ。私に看護されて先に逝っちゃったんだから。残された私はどうなるのよ。私が恋をして人生を楽しんだって文句言わないでしょ。」
    その通りである。人生は一度きりなんだからさ。
2002年12月06日 19時47分39秒


  • 今回の病気で妻には大変心配させてしまいました。
    結婚して11年。いつも一緒に居て、居るのが当たり前になっていました。
    それなりに感謝もして、思いやっているつもりでしたが
    キャッチボールが減ってきていた時だったような気がします。

    11年目の結婚記念日の朝、妻は私の排便の処理をしていました。
    「結婚記念日なのにすまんな」って言いましたが
    こんな記念日もいいんじゃないって笑っていました。

    ドジでおっちょこちょいでのんびり屋。自分では物事を決められず
    いつもどうしたらいいって相談される。自分がついてなくちゃコイツはダメだなって
    思っていても、いざという時はテキパキ動き決断力が早い。
    実は手の上で遊ばせているようで、ホントは遊ばれているんじゃないかな。

    初老の患者さんから「一生掛けて恩返ししないとな」言われたように
    大切にしなくてはと思うよ。

    とりあえずすべてが完治する4月に、全室露天風呂のある旅館の予約を取りました。
    まだ妻には言っていませんが。2人で旅行するのは8〜9年振りになるでしょうか。
    もちろん、こんなもので済ませるつもりはありませんが、後は日々の生活の中で思いやりの
    キャッチボールが出来ればと思っています。
2002年12月06日 19時44分37秒

  • 信頼できるお医者さま
    今回の病気でN先生には大変お世話になりました。
    いつもニコニコしていて、患者さんの話を最後まで聞き優しく接してくれる。
    腕はもちろんだけど、人間的にも良く出来た人だと思いました。

    評判は良く、朝は4時から順番待ちの列が出来る。
    大勢朝から並ぶので、朝の病室の回診後、いつも診察時間より早く診察を始めています。
    夜は21時、22時までの診察はざらで、21時までに診察が終われば夜の回診があるの
    ですが、遅くなり回診に来れない日が多くありました。
    看護婦さんからの信頼も厚く「あんなに多忙で倒れないかしら」と逆に患者さんが
    心配してしまうほどです。

    いままでは先生ならどこも同じで言う事は正しいと思っていましたが
    はやり今回の事でそうではない先生もいることは事実です。
    あれほど痛がっているのに、診察時間を過ぎても見てくれないO整形。
    おまけに重いものをもったか捻ったかだと言い、痛いのは仕方ないと言い切った。
    思えばここで行った牽引が原因なのかもしれない。

    大病院の若い先生。自分では判断が出来ず、行き着けの医者がそういったのなら
    そうでしょうといい、とりあえず様子を見ましょうと逃げてしまう。
    あの若造は経験を積めば立派な医者になってくれるのでしょうか。

    これは夏、息子が髄膜炎になった時も同じで、行き着けの小児科では症状が風邪に
    似ている為「風邪」と診察されてしまう。でも頭痛と嘔吐があり、自分が以前髄膜炎に
    なった時と症状が似てる為、他で診てもらったところやはり髄膜炎で、紹介状を書いて頂き緊急入院することになりました。
    無菌なのでよかったものの、もし悪性で頭に菌が入り込んでいたらどうなった事でしょう。

    風邪が風邪だと言われたが、どうも様子がおかしいと病院を変えて診てもらった時には
    手遅れで植物人間になってしまった友人もいます。

    結構初期症状が風邪に似ている病気はあるという事です。

    信頼できる医者に辿り着くのは、大変なことだと痛感しています。
    不安になったら違う医者に診てもらうのも必要だと思います。
    情報も大切です。
    大病院なら設備が整っているから大丈夫とは言えない。
    どれだけ親身になって、患者の立場になって接してくれるかです。

    N先生にめぐり合えて本当によかった。
2002年12月06日 19時42分19秒

  • 晴れて退院
    ついにこの日が来た。
    過ぎてみれば、短かったような長かったような・・

    部屋の仲間と各部屋に回り、挨拶と餞別にまんじゅう(笑)を渡した。

    「入院中・退院時のお心つけは一切ご遠慮していますのでよろしくお願いします」
    このような張り紙があるが、お世話になったからそうはいかない。
    でも看護婦さん達「あれ!〜どうもすいません。」と素直に受け取る。
    あの張り紙は御体裁なんだな・・・。

    先生にも挨拶を済ませ、病院を後にした。
    久しぶりの我が家だ。なにか新鮮でね。

    食べたい物ベスト3はラーメン・カレー・お好み焼きという庶民的なもの。
    それに大好物の生姜焼き!
    ビールも飲みて〜

    晴れて入院から35日目、大安の日に退院することができました。
2002年12月06日 12時06分31秒

  • 無理矢理だが・・
    入院生活も1ヶ月を過ぎ、レントゲンでも移植した頚椎の状態も良いようだ。
    体力も若いから回復が早いと言われた。

    最初の計画では6週間という入院期間だったが、5週間で退院のお許しが出た。
    と言うより、自宅に帰っても安静にしているという条件で無理矢理みたいなもんだが
    なにしろ暇だったから。
    妻は家に帰ってきても同じだから、それなら病院に居れば安心だし、入院保険もその分もらえる。
    まあその通りだけどさ・・

    「だって、お家が恋しいんだもん」
    またまたいい年こいて、甘えん坊である・・
2002年12月06日 12時01分57秒

  • お散歩
    歩行器で院内を徘徊して1週間、足取りも軽やかになってきた。
    ようやく歩行器なしでOKと許可が出た。これでまた1歩回復に向かってる。

    散歩の許可も出た。もちろん、病院のまわり見える範囲という条件で。
    1ヶ月ぶりの下界。風が冷たい。
    10月半ばに自分が運ばれた時はTシャツ・短パンだったのに、外は秋を飛ばして
    北風が吹いている。
    散歩の初日は土手を散歩した。1Kくらい歩いただろうか。
    夜は筋肉痛でシップをバシバシ貼った。
    看護婦さんに「初日から無理しちゃだめ!」とお叱りを受けた・・

    でも4日目くらいには筋肉痛もなくなり、見えるとこまでという条件を破り
    2Kくらい先のコンビニに雑誌を買いに行ったり、もっと遠く往復で5Kくらいの
    行き着けの床屋に暇つぶしに行くようになってた。
    それには妻から大目玉! コルセットを付けているから左右の確認もうまく出来ないし
    目立つ。「あんたね、交通事故でもやってまた入院長引いたってもう知らないからね」って。

    どうもいい年こいて、叱られることが多くなったような・・・
2002年12月06日 11時57分57秒

  • いびき
    ギブスベットから外れても、装具をしていない夜は、上を向いて両サイドを砂袋で
    固められる。上を向くから気道が開きいびきが大きくなる。
    大部屋に移った時も状態を皆さんに話し「いいよ、気にしないから。お互い様だよ」
    って気を使ってくれた。

    夜になりそのお方の地響きの様ないびきのひどいこと。
    そりゃお互い様だなって言うわな・・・

    次の日から装具を付けたまま寝る事にした。肩を凝るがその分昼間外して休めばいいし
    寝返りも打てるし、夜中にトイレも行ける。
    それに横向いて耳が塞がれて、もう片方の耳はTVのイヤホンを差し込んでれば
    地響きが聞こえないからだ。
2002年12月06日 11時55分42秒

  • 差し入れ
    皆色んな差し入れを持ってきてくれた。
    雑誌やプラモデル、CDにパズルなど。お陰で時間を潰せたよ。
    中でも「みこすり半劇場」というちょっとソフトHな4コマ漫画は、いつも自分が
    お見舞いに行く時必ず差し入れてたので、まさか逆の立場になるとはね。

    やはり老人患者の割合が多く、差し入れは甘いものが定番みたいだ。
    でも皆さんあまり動けないのでお腹も減らない。
    で、お裾分けとなり次から次へと色んな部屋から頂くことになる。
    ベットサイドには、まんじゅうやケーキ、シュークリームやらお供え状態・・
    それをみた妻が、もらってばかりじゃと皆さんでどうぞとまた差し入れる。
    悪循環だな・・
    いつも妻にテイクアウトしてもらってたよ。
2002年12月06日 11時53分12秒

  • リピート
    さてさて、個室でのギブスベット安静状態では、身内とごく親しい仲間以外の
    面会は遠慮してもらっていたが、晴れて起き上がれるようになったので、
    お見舞い解禁となり大勢の人が励ましに訪れてくれた。
    ホントにありがたい。ほんとにありがたいのだが・・

    とりあえず「どうしてなった?」から始まり、初期症状から現在に至るまで同じ事を何回も説明しなくてはならない。
    1日に5組お見舞いに訪れてくれた日は、さすがに口が疲れてしまった。
    テープに状況を録音して「はい。とりあえずこれを聞いてくださいね」
    ってできたらなぁ〜。
    そんな失礼なこと考えてた・・
2002年12月06日 11時51分46秒

  • どんな奴だ!
    入院から21日目、歩行許可が出た日に個室から大部屋に移った。
    「よろしくお願いします」
    さてさて、暇を持て余している他の患者さんから質問攻めだ。
    「どうしたの?」「いつから?」「ここはどうやって知ったの?」
    「どこからきたの?」「年いくつ?」などなど・・

    この日から食堂に行ってご飯も食べ始めた。
    松葉杖や車椅子、さまざまな整形の患者さん達。
    ここでも、首にコルセットを着けて、歩行器で登場した自分に
    他の部屋の人から質問攻めに遭った。


    「あんたかい!あの15号室の個室にいた奴は」
    いきなり怒ったような顔で初老の患者さんが問い掛けてきた。
    なんだこいつはと思いながらも、「そうですよ。よろしくお願いします」と返した。

    「ホントに奥さんが献身的に看護しててな、中にいる奴はどんな顔してるかと
    思ったがお前だったか」
    こんな顔だよ〜・・

    するとニコッと笑って「あんたは幸せモンだな。奥さんに大きな借りを作ったな」
    「元気になったら、いっぱい恩返ししないといかんよ」

    その通りだ・・  
    「いやいや、いままでの分を返してもらってるだけですよ」なぁ〜んて強がったが、
    まさに一生掛けて恩返ししないといけないんだな。
2002年12月01日 17時40分03秒

  • フラフラ・・
    ついに歩行器での歩行許可が出た。
    忌々しい尿管もようやく外れた。外す時の痛いこと!
    しばらく血の小便が出たんだ。

    部屋から出て、病棟をフラフラと歩いた。
    ナースステーションの前の体重計に乗った。
    6K体重が落ちている。たたでさえ体脂肪率はほとんど無いのに
    これだけ落ちてるってことは、6K筋肉が落ちたってことだな。

    トイレに行っただけなのに、既に筋肉痛になってる。
    おいおい。体育会系じゃなかったのかよ〜
2002年12月01日 17時38分03秒

  • ガンダムみたい
    ギブスベットでの悪夢の2週間がようやく過ぎた。
    この日を何度待ちわびたことか・・

    自分のイメージではすぐに起き上がれると思ったが甘かった。
    初日はベットを30〜45度まで起こした。
    体内の血流の動きが変わり、30分ほど目が回っていた。

    翌日、90度まで起き上がった。ここで初めて部屋の雰囲気を知った。
    天井ばかり見ていた毎日だったからね。
    この日からようやく自分で食事を取るようになった。
    やはり起きて食べるご飯は美味しく、半分くらい食べた。
    何もしてないから、相変わらず食欲はあまりないが
    いつも2〜3割しか食べずに、果物と水分ばかりだったからさ。

    次の日は首の装具を着けた。
    なんともゴツいコルセットでこれで首が動かないように、がっちりガードしてる。
    息子は「ガンダムみたいでかっこいい!」
    う〜む・・・・・・
    そして、ベットサイドに腰掛け・起立と1日ごとにおわずけ状態に進歩していった。

    約3週間歩いてなく、足の筋肉もすっかり落ちている。
    最初の起立は立つ事が出来ず、自分の体重を支えられなかった。
    足の裏の感覚も自分の足ではない感じだ。
2002年12月01日 17時36分17秒

  • 毎日の過ごし方
    1週間が過ぎ、1日に1時間ギブスベットから外れ横になることができた。
    自分は首を支え、看護婦さん3人がかりで身体を横にしてくれる。
    目を閉じていないと、止まっていた血液が動くので目が回る。

    妻がその間に、水の入らないシャンプーで頭を洗ってくれる。
    とても気持ちいい。
    この1時間を楽しみに後1週間過ごした。

    TVもなんとか見れるようになった。
    でもやはり反射しているので、すべて反対に映る。
    日本シリーズも打ったバッターが3塁方向に向かって走ってる・・

    することがないので、TVは見なくてもつけっぱなし。
    お陰でワイドショーには詳しくなった・・・

    整形で心電図とかはないので、携帯も使えてよかった。
    普段はめんどくさくて、返信などしないのに
    この時ばかりは、すぐにメールの返事を打っていた。
2002年11月29日 17時10分29秒

  • いてて!!
    珍棒に20cmほど差し込んでいる尿管が痛いんだな。
    あたたかいタオルで拭いてもらったときなど
    自分の意志とは関係なく、少し元気になってしまうんだな、これが。

    そうすると、ものすごく痛い!!
    「ちょっと刺激するのやめてくれ」しばらく収まるのを待つ。

    尿管が入っている人に、刺激は禁物だな・・
2002年11月29日 16時53分39秒

  • 恥ずかしいなんて言ってられない
    看護婦さんが手術日と日曜日以外は毎日身体を拭いてくれる。
    もう隠すものもないし、恥ずかしいものないが
    やはり下半身を拭いて頂くのは、ちょっと抵抗がある。
    「妻に後で拭いてもらうのでいいです」
    上半身のみ拭いてもらっていた。

    ギブスベットで安静にしている時の一大イベントは排便である。
    排尿は尿管を入れているため心配はいらない。

    どう踏ん張っても寝ながらでは便意がない。
    3日ごとに浣腸をしてもらった。
    「10分我慢してくださいね」
    冗談じゃない!1分と持たず肛門を刺激してくる。

    排便の処理は妻にいつも頼んだ。
    オムツをあて、3〜4分で我慢も限界で3日分の排便をした。
    あたたかいタオルでお尻を拭いてもらった。
    寝ているだけで体力も落ちているので、排便後はぐったり・・・

    ホント、恥ずかしいなんて言ってられない。

    妻は以前内科病棟で働いていたので、老人などが多く
    下の世話はとてもうまく感心した。
    便が固く、浣腸しても出ない時は、ラップを指に巻いてお尻の穴に指を入れてくれて
    排便を促してくれた。

    自分にこことまでしてくれる人間が妻の他にどこにいるのか。
    「ありがとな」
    「当たり前でしょ」

    当たり前か・・
    すべてをさらけ出して、ようやく妻のありがたみを痛感したよ。
2002年11月29日 16時46分45秒

  • ようやく受け入れた
    強がるのをやめることにした。
    かっこつけるのをやめた。
    自分が今置かれている現状をようやく受け入れる余裕がちょっとずつ出てきた。
    甘えることにした。いや、もう既にかなり家族に頼っているし、甘えている。

    自分が精神的に不安定になっているのを励ましてくれて、毎日泊り込みしてくれる妻。
    子供の世話をしてくれて、ご飯やお風呂、園の送り迎えまでしてくれる親父やおふくろ。
    がんばれ!と書いて折り鶴を作ってくれる7歳の娘。
    遊びに行きたいのを我慢している5歳の息子。

    みんなみんな、頑張ってくれている。

    しっかりしなきゃ。
    1週間経った夜、ようやくぐっすり眠ることができた。
2002年11月29日 16時19分14秒

  • お前はだれだ?
    頭がかゆくてもギブスベットの中ではかくこともできやしない。
    ああ〜頭洗いたい。ボリボリかきたい!
    仕方なく割り箸で届く範囲まで突っ込んで、ボリボリかいた。

    「頑張れ!」「頑張れよ」
    家族はそう励ましてくれるが、前向きになれない。
    何を頑張ればいいんだろ?ず〜と上向いているだけなんだからさ。

    TVでは拉致家族の報道が連日流れている。
    妻が言った。
    「あの人達は24年間我慢したんだよ。あなたは2週間我慢すればいいんだよ。」
    それがどうした。首を動かせない辛さなんか本人しかわからないさ。

    こんなに自分は弱い人間だったのか?
    これくらいで精神的不安になってしまうのか?
    いままでは強がっていただけなんだな。
    心の中でもう1人の自分が問い掛ける。
2002年11月29日 16時03分13秒

  • ギブスベット
    術後はギブスベットと呼ばれる、自分の頭から腰までを型に取り、石膏で固めたものに
    スッポリと入り、2週間首を動かさず上を向いていなくてはならない。
    ボルトで止めたとはいえ、移植した部分がしっかりと固定されるまでは首は動かせない。
    動かせるのは手・足のみ。

    大変だけど、あの痛みに比べればこんなもの我慢できるさ。
    そう思っていたが。これはこれでかなり苦痛の日々だった。

    見えるのは天井の蛍光灯と換気扇と火災探知機のみ。
    まったく首を動かせないストレスが序々に溜まってくる。

    ご飯は横に取り付けられた鏡を使って食べるんだが、とてもそんな事出来ないし
    食欲もない。
    TVも鏡を使って反射させて見るのだが、すべてが反対に映るので
    すぐに気持ち悪くなってしまう。

    ギブスベットも手術前に急いで作り、自分の身体にフィットしてるか
    確認する時間は無かったため、あまりフィットしていない。

    お年寄りはこの2週間でボケてしまう人がいたり、
    精神的にやられて起き上がって俳回してしまう人もいるそうだ。
    その気持ちもよ〜くわかる。

    そして開放されたとはいえ、あの痛みで精神的に疲れきっている。
    すべてがストレスとなり、夜は眠れず精神安定剤と眠剤を服用するようになってしまった。
    情けない・・ 
2002年11月29日 11時16分13秒

  • 先生は魔術師
    酸素吸入されて、看護婦さんが何かを指示した。
    何言ったんだろう?と思って目を覚ましたら、もう手術は終わり個室に移されていた。

    横では妻が手を握って「無事終わったよ。頑張ったね。よかった・・」と泣いている。
    麻酔から覚める間際、うわごとで妻の名前を呼び続けていたそうだ。 ほんとだろうか??

    ハッと右肩と腕に神経を向ける。
    痛くない!あの激痛はもう味わわなくていいんだ!
    やった〜 手術は成功したんだ!

    こうして首の前からメスを入れ(後ろからだと神経を傷つける恐れがある)
    飛び出した椎間板を取り除き、代わりに蝶骨(腰骨)の一部を移植してチタンのボルトで止めるという
    想像もつかない、顕微鏡を使う
    4時間に渡った手術は無事済んだ。

    先生って神様じゃないだろうか・・
    いやいや魔術師か・・
2002年11月29日 10時54分18秒

  • まな板の鯉
    待ちに待った手術日。
    浣腸をして便をした後、ストレッチャーで手術室に運ばれた。
    麻酔が効きやすい注射を打たれてるせいか、痛みも薄らいでいてボーッとしてる。
    これがよくドラマで見る手術室かぁ。ライトがいっぱいあって・・
    割と冷静になっている。まな板の鯉である。

    もしかして神経を傷つけて脳に障害があったり、下半身付随になるかもしれない・・
    え〜い、すべては先生を信頼して任せるよ。

    これであの痛みから開放されるんだから。
2002年11月29日 10時35分41秒

  • とんちんかん
    ともあれ土曜日に入院はしたが、痛み止めの処置をしても激痛は治まりやしない。
    この病院の手術日は火曜日の午前中と木曜日。
    火曜日の午前中はこの先生の師匠(年配で執刀はしない)が診ているが、
    それ以外の診察・手術はすべて先生1人で行っている。
    この先年内すべて手術日は埋まっているが、なんとか木曜日に執刀してくれる
    ことになった。

    しかし痛み止めの注射、6時間ごとの痛み止めの座薬を入れても痛みは増すばかり。
    段々気が遠くなってくるのが分かる。
    妻が泣きながら「頑張って!!」と・・
    でも「木曜日までは我慢できないよ・・」いつになく弱気になっちゃってる。

    この痛みを我慢するのも疲れた・・
    食べてないから体力も落ちてる。
    できればこの右肩から腕まで、根こそぎ切り落としてくれないかなと、とんちんかんなことも考えてる。

    その夜、先生の回診があり、痛さに悶えている自分の姿を見て
    「手術を早めましょう。火曜日に執刀します」

    大の大人が、涙で顔をぐちゃぐちゃにして
    「すいません・・ お願いします・・」

    自分の手術が早まるってことは、後日になる患者さんもいるんだ。
    申し訳ない気持ちで一杯だったよ。
2002年11月29日 10時22分32秒

  • なんでこうなるの?
    婦長さんがこう言った。
    「あんなに見事に飛び出しているのも珍しいわよ。なにしたの?交通事故?」
    事故ではない。 何年も患っていたわけでもないな。

    たしかに肩の張りはあった。
    肩凝り症でスィート・テンにマッサージ機を買ってるくらいだ。
    それもヘルニアの初期症状だったんだろうか?

    テニスのやりすぎ? 自転車? 仕事?

    自分でもわかんないや・・ 
2002年11月29日 10時13分41秒

  • 頚椎椎間板ヘルニアとは
    背骨は頚椎から仙椎まで椎骨と椎間板がつながってできています。
    その椎間板は軟骨のようなものでクッション的な役目をしています。
    それが何かの原因で飛び出してしまった状態をヘルニアと呼びます。
    ヘルニアは頚椎の他に腰椎にも起こり、割合としては腰が多い。

    症状は飛び出した椎間板が神経を圧迫する度合いにもよりますが
    手足のしびれ、痛み、歩行障害、排便困難などです。

    手術は状態により行いますが
    症状が軽い場合は、牽引などで頚椎や腰を5〜12K程の力で引っ張り経過を見ます。
2002年11月29日 10時09分39秒

  • ようやく辿りついたよ・・
    激痛がどんどん増し、食べることもできやしない。
    止まる事のない痛みに涙を流し、少しでも楽な姿勢で横になっている。
    子供達が「パパ大丈夫?」と寄ってきてくれるが返事もできない。

    隣の部屋では妻が伝を頼り、同僚の看護婦から情報を集めているのが聞こえる。

    そして医療関係の誰もが口にしたのが「R病院の整形はヘルニアの専門」との事。
    その中でも腕の良い先生は7年前に開業していた。
    その開業した「N整形外科」は家から車で5分くらいの場所にあり、いい先生で混んでいるとは
    知っていた。個人病院ながら入院施設もありMRIある。
    ここだ、ここしかない。これで原因が分かる・・

    翌日朝5時から初診に並んでもらい、レントゲン・MRIを撮り診断。
    ニコニコとした先生で患者の話を最後まで聞いて、丁寧に説明してくれる。
    これだけ混むのも分かる。開業時はR病院から婦長さんや看護婦さん、患者まで
    一緒についてきたそうだ。

    MRIの断面図を見ながらこう言った。「これが分かりますか?頚椎の5〜6番の
    間の椎間板が突き破って飛び出して、神経を圧迫してますよ。これは痛いでしょうね。」

    やはり頚椎椎間板ヘルニアだった。
    とんでもないことだが、ひとまず原因が分かりホッとした。
    自分が断面図を見ても良く分かるくらい飛び出している。

    そして激痛から4日目入院した。
2002年11月29日 10時04分27秒

  • 大病院(またも誤診、いや経験不足の若造〜)
    「設備の整った病院でMRIで診てもらったほうがいい」
    妻の言葉にうなずき、市内でも一番の大病院に向かった。
    もう立っていることが困難になっていた。痛みは人差し指まで走り腕も上がらない。
    ついでに人差し指がなにかに引っ張られているようだ。

    MRIとは身体の内面を色んな角度から断面を5mm間隔くらいで撮影することができる。
    レントゲンでは分からない神経なども映し出すこともできる機械
    人間1人が入れる筒状になっていて、閉所恐怖症の人にはちょっと辛い。

    レントゲンとMRIの結果を診て、20代前半の若い医者は首をひねっている。
    そう大病院は日ごとに担当があり、整形は総勢6名で診ている。
    名医もいるそうなのだが、この日は資格取りたてみたいなこの若い医者。
    かなり不安ながら「先生どうでしょう?」と聞いてみたが
    「う〜ん・・、掛かりつけのお医者さんがそういうのなら、多分もうすぐ
    痛みはなくなるでしょう」
    やはり不安は的中した。痛みをこらえて、レントゲンやMRIと撮り、長い間診察を
    待っていたのにこの答えとは・・・。

    妻がこう聞いた。「ヘルニアでは?」
    実はお義父さん(カミさんの親)も頚椎のヘルニアを経験しているのだ。
    お義父さんの症状は痛みではなく、手足のしびれが主であった。

    若い医者は「そうかもしれないけどなんとも言えないですね〜。
    もう少し様子を見ましょう。来週またきて経過を教えてください。」

    なんてこった!待ってなんかいられない。ひどい診察だ。
    これで150床以上の大病院は紹介状がないと、診察料に3000円加算される。
    とんでもない料金を払い、二度と来るかと病院を後にした。
2002年11月29日 09時50分29秒

  • O整形外科の誤診
    明け方、左肩の激痛で飛び起きた。
    そういえば昨夜、半年位前からの肩の張りがいつもより痛く感じてたっけ。
    でもこれは普通の痛みじゃない。筋肉注射をとめどなく打たれている痛みだ。
    妻を起こし、彼女も普通の状態ではないとすぐに分かり
    膝で通院していたO整形に朝一で診てもらった。

    この整形では膝の他に肩の張りで首レントゲンを撮ってもらっていた。
    その時は「若いのに首が多少曲がっているね。それが原因で肩が張るんだよ」
    それから2度、首の牽引をしていた。激痛が起こった前日も2度目の牽引をしていた。

    診断結果は「重いものをもったか、捻ったか。すぐに治ります」
    首との関連を聞いたが「いや関係ないね」と言い切った。
    それも自信たっぷりに。

    痛み止めの注射と座薬をもらい帰宅したが、痛みは増すばかり。
    序々に腕にも痛みが走り出し再度診てもらったが、急性期の痛みは仕方ないと・・

    その夜は止まる事のない激痛に泣きながら過ごした。
    「ホントにすぐに治るんだろうなぁ〜」
2002年11月29日 09時44分25秒

  • 辻褄が合うようになっている
    あるところに仲の良い夫婦がおったそうな。
    可愛い子供も2人いて、それはそれは幸せな毎日を過ごしていたんじゃ。

    しかしその夫婦はそれが当たり前のようになってしまい
    もっともっと幸せを望むようになってしまっていたんじゃ。

    ある日、見かねた神様が夫に言いました。
    「お前はワシの店からいい物ばかり選んでおるな。どうじゃろ、ここらで一度清算してれんかの」
    夫は言いました。
    「分かりました。まだまだ色んな物が欲しいので、清算しましょう。でもどうやって?」

    神様が杖を一回トンと夫に突きこう言いました。
    「世の中良い事ばかりじゃないぞ。良い事も悪いことも長くは続かない。
     どこかで必ず辻褄が合うんじゃ。ぬるま湯につかり過ぎて大切な事を忘れぬようにな」

    そういったと思うと夫の左肩に激痛が走り目を覚ましました。
2002年11月29日 09時39分23秒

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