□□医療の本質をえぐる箴言集□□誰かにケンカを売るつもりはありません□□ |
意地(医事)版悪魔の辞典 |
| 会報「だいだい」への連載 |
【医】 い |
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古来,医は仁術であった。それが“算術”になり下がって,久しい。そのままであってくれれば,それはそれで良かった。 なのにいつしか医療ミスが日常茶飯となるにつれ,患者を殺してしまう“死術”もめずらしくはなくなり,そこまでは至らぬ“誤術”はほんとに珍しくもなんともなくなった。落語の「一目上がり」のような可笑し味なんぞ薬にしたくもありゃあしない。とにかく新聞を開いてこの手の記事を見ない日のほうが珍しいのが現実なのだから。せめて“詐術”とか“戦術”にはしないことを願う。 「地獄の沙汰も金次第」,金の遣り取りで済むならば,命を遣ることはなかったのだ。そのためなら,医者の金儲けにも目をつぶろうものを。 ああ,「医が“算術”」であった時代が懐かしい。[太田 泉] |
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| 「内容や字句の誤りを“正しく”直すこと」を訂正というのに対し,「字句を“勝手に”改めること」を改竄という。02年9月19日の新聞は朝刊で一斉に「某女子医大事件」の初公判を報じた。一紙の見出しに「執刀医,改ざん認める」とあった。記事によると医師である被告が「字が違うな。どうせだったら…全部書き直せ」と証拠隠滅を指示したという。この医師が「改竄」を“正しく直す”と理解していたことから間違いが起きた。修正・更正・補正・訂正などの区別は医学以前の教養の問題であろう。立花隆「東大生はバカになったか」は,東大を象徴として扱った名著だ。だから他の大学もバカ化は免れ得ない。この本の題名には「―知的亡国論+現代教養論」の10文字が付く。必要なのは医学生のための類語辞典か。[太田 泉] |
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| 白衣の天使の卵たちが人を救う術を学ぶところであったのが,卒業後もかつての密室性を利用して人を殺すという悪魔的な相互学習の場になっていた,とわかって,腰を抜かすところであった。しかし冷静に考えれば,人を生かすか殺すか紙一重の差といった趣きがあるのだから,驚くのにはあたらないのかもしれない。 糖尿病の公開講座で思わぬ勉強をすることがある。先日札幌で「どちらが悪い?」との設問で「和歌山カレー事件と奈良薬物混入殺人未遂事件」の容疑者の比較を,W県立大学第一内科のN教授から教示された。共通点のひとつが「看護婦を目指すこと」であったとは…。 カンゴフガッコウ実はカンゴクガッコウの謂い,という舌足らずで幼稚な俗説な ど,まともに取り合っていられるものではない。[太田 泉] |
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| この言葉をはじめて聞かされたのは「だいだいクラブ」ができたころ,取材で会った糖尿病の専門医からだった。直訳すると「根拠に基づいた医療」というのだろう。筆者が勉強した生活習慣病予防指導士の通信講座によると,定義は非常にむずかしい――「入手可能な範囲で最も信頼できる根拠を把握した上で,個々の患者に特有の臨床状況と患者の価値観を考慮した医療を行うための一連の行動指針」。2年前に勉強して,覚えにくい定義だったのを思い出した。 そんなことはどうでもいい。単刀直入にいえば,それ以前はいってみれば「E(いい)加減な根拠による Medicine」だったことになる。しかし,その後も病気を診てもらった医者からこの言葉を聞いたことがない。だとすれば,いまだにどっちのEに基づく医療なのかわからない状況か,と疑いたくもなる。 横文字の言葉には,よほど気をつけないと騙される。たとえば,いま流行りかけている「インフォームド・コンセント」もそうだ。このままでは,「説明と同意」とか「納得同意」といういいE加減な訳が幅を利かせて,「治療の方法は患者が決める権利を持つ」という重大な意味が忘れられそうで,困ったことだと思っている。 [太田 泉] |
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| 近ごろ流行っているという「名義貸し」を理解するためには,まず「名義」がわかっていることが必要となる。角川書店版・類語国語辞典を引くと,「名義」にはふた通りの意味がある。ひとつは「名称」=他と区別するために付けた呼び名としての「名義」で「書類上などの表立った名前」,つまり「名前」「呼び名」の類である。もうひとつが「人道」=人として踏み行うべき道としての「名義」で「人の行うべき道。義理。儒教で,その教えの中心となる仁と義がもとの意」,つまりこちらは「大義」「名分」の仲間である。同じ「名義」でもずいぶん違った意味で使われることがわかる。 「名義」を気安く「貸し」た原因は,どうやら「貸し」た医者が単なる「名称」と考えて,「人道」問題にはまったく気がついていなかったことにあると思われる。医者の国語力の低下については前にも指摘した。しかしこれは単に言葉の問題ではすまされない。金が動いたとなれば明かに倫理の問題である。医科大学の講座制みたいに一人に多大な権力が集中する場が,どこの世界にあるというのか。権力が必ず腐敗するのは歴史に見るとおりだ。この問題に端を発し,講座制の解体が起こっている。歓迎すべきことだと思う。[太田 泉] |
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| 「栄養」とは,この文字が見えると料理が不味くなる・不思議な力を持つ,あるもの。ワイル博士の研究によれば,「元来,おいしいものを愛する人ではない」のが原因とされる。その栄養を司るのが「栄養士」。保健婦・助産婦・看護婦がそれぞれ保健師・助産師・看護師になっても栄養士は「士」のままだ。士にはさまざまな意味がある。「つわもの」「学徳のある人」「専門の道を修めた人の呼び名」「さむらい」「称号や職業に添えて用いることば」等等,よりどりみどり。どれと思うかは,当事者に任されている。ちなみに「師」は「人々を教え導く者」という「士」にはない意味を持つ。 「反『栄養主義』栄養士」を名乗る幕内秀夫氏の提唱する「粗食のすすめ」が"料理が不味くなる・不思議な力"を持ち得ないというこの反語的意味こそ,栄養士に最も考えてほしい事柄なのだ。[太田 泉] |