「だいだいクラブ」代表 太田 泉(おおた・いづみ)とは

1932年(昭和7年)2月8日,九州・別府に生まれ,生後3か月目から東京に住む。
                   敗戦前後3年間,福島県白河に疎開。
                61年から北海道に定住。

  55年,東京大学農学部農業経済学科を卒業。
  55年,
日本経済新聞社入社,記者として本社経済部〜札幌支局〜本社社会部に。
  61年,
札幌交響楽団の設立時から7年間,事務局次長。
  67〜69年,音楽事務所自営。
  72年,
フロンティア研究所を設立。
  91年,
和泉書房を設立。
  91年12月5日,モーツァルト没後200年の命日に
札幌モーツァルト協会を設立,
           94年1月まで会長。その間,コンサート<モーツァルト全曲を聴く>
           第1回から第9回まで開く。
  96年,
「だいだいクラブ」を設立。会報「だいだい」(02年1月から「PPK」に改題)を創刊。
  01年5月,日本ホリスティック医学協会認定の「生活習慣病予防指導士」の資格を取得.
  02年6月,日本ホリスティック医学協会の運営委員と北海道事務局長に。
  02年,メールマガジン「その気になれればPPK(ピンピンコロリ)」を創刊.
  03年,ホームページ「だいだい Online」をスタート。
  03年5月,uhb大学で゙「PPKのすすめ」について講演。

《教育》
 フロンティア研究所で,
発想法(KJ法)のセミナーを主宰,子どもから大人までの
    創造性教育にあたる。
 84〜84年と96年〜98年末まで,
小さなカルチャー教室を主宰.
   『モーツァルトを聴く』 『音楽の魅力をつかみだす』,『自分史づくりでもう一人の
   自分に会える』,『自分の目で写真を撮る』などを開講。

《編集・執筆》
 61年,札幌交響楽団で定期会員向け機関誌『札響だより』を創刊〜第50号を編集。
 83年,
第2回潮賞ノンフィクション部門に自分史『駆け出し記者,七年の曲折』を
       応募,二次選考通過。
      札幌市教委の依頼で
さっぽろ文庫『明治の話』の一部を執筆。
     個人や会社団体の依頼で自分史・社史などを編集・執筆。
 85年から3年間,夕張に住み,
ブックレットゆうばり3冊を執筆・刊行
       1.さよなら国鉄夕張線〜石勝支線の95年―そして民営化
       2.三菱鉄道76年の軌跡―炭鉱と鉄道とまち
       3.真谷地炭鉱83年目の閉山―そして 夕張から北炭のヤマがなくなった
 91年,
雑誌『さっぽろ わが街』を創刊,第25号まで発行。
 94年,
『北の“交響史”―札幌交響楽団30年の全演奏記録』を刊行。
 95年11月〜97年9月,北海道新聞木曜夕刊別刷「おふたいむ」に

   
  『街角不思議発見』を連載。
 97年6〜10月,北海道新聞生活面に市立札幌病院内分泌代謝内科医長(現在・北大講師)・
     吉岡成人さんとの
対談『語り合う糖尿病』を連載。
 03年1月14日 読売新聞(全国版)生活面の連載「エージレス時代」が,ぼくのPPKを写真入りで紹介

《その他》
 86年,
トヨタ財団第4回研究コンクールに夕張学研究会を組織して応募,
   『住環境としての炭住街が夕張の精神的風土をどう育んだか―再生に向かう
   いま,改めて問い直す炭鉱の心と暮し―」をテーマに予備研究を行う。
 90年,妻の郷里・石狩管内浜益村に住む間,
NHKテレビ「北海道中ひざくりげ」の
   『にしん番屋に灯をともせ!』の企画に協力。
 93年,
HTB(北海道テレビ放送)の北海道朝までナマ討論第10弾『札幌VS北海道!!』に出演。
 94年,札幌キヤノンサロンで
『写実と幻想の間―デジタル版画展』を開く。
 97年,
HBC(北海道放送)のテレビ番組・夏休み特集「札幌フシギ探検ツアー」および
   「気になるパンプキン」の札幌不思議発見コーナーに出演。

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