この三次的な愛は、科学を超越したと、感じざる得ませんでした。自分のためのことなら、他の人は助けてくれません。 ところが他の人のためとすると,他の人が助けてくれます。 不思議です。 |
私の悲しみ
私は平成10年から、現在まで6回の手術を受けております。新しい治療に
次々と挑みましたが
悲しい事に、現在でも副作用に悩まされております。
H12年に入院したときは、一度の入院で三回もの手術でした。
局所麻酔で確か、5時間以上,要したと思います。
あまりもの痛みで、途中で「止めて」と手術室で騒いでしまいました。
医師と患者との理想的な関係
1)Choice 2)Competence 3)Communication 4)Compassion
5)Continuity 6)No Conflict of lnterest
この理想に近づきたいと思ってはおりますが、全部揃ったということは
かつてありませんでした。
インフォームドコンセントとを耳にしますが、実は本当の意味で私は判りません。
医師がいくつかの治療法を患者に選択させ、同意するものとしか理解出来ませんでした。医学的なことに対して素人の患者は、医療の一切を医師に任せきってしまう傾向性があると思います。
そして質問などすると、医師の機嫌を損なうのではないかと言う方もおりますのも事実です。患者は医学・医療につての知識も違い、教育程度や知能程度
も違う上、生活程度や環境も違いますので、知識のみならず価値観も、今後の
人生目的も違うわけですから、医師が期待するような感受性と価値観で患者が理解するという保証はありません。
医師の価値観でベストと思う治療法が必ずしも患者にとって好ましいと考えられない場合もあると考慮して、決して、医師個人の価値観に基づく判断を押し付け
ないでいただきたいのです。
患者が同意した医療上の実施上の責任
患者がインフォームドコンセントの説明の後で、特定の医学的侵襲を伴う医療行為を自分にすることに同意した場合でも、その医療行為の実施上の責任は、実施した医師にあり、同意したからといって患者に責任転嫁することは赦されない。
私は手術の同意書の取り方にいささか、雑だと感じる事がありました。
看護師が病室に同意書を持ってくるのです。
そして署名、押印して看護師に渡すのです。このようなやり方が当たり前なのでしょうか?そのような事が度々ありました。
これでは、ただこの手術を受けるという事に同意しただけに過ぎないような気が
してなりません。そして手術室の看護師も術前訪問が無かった事もありました。
何のための同意書なのか判らなくなります。
うる覚えで確かではありませんでしたが、インフォームドコンセントは保険請求の
対象にならなかったような気が致します。
しかし前述のような同意のやりかたであって果たしてよいのでしょうか?
今でも疑問です。そしてそのようなやり方で通常手術が行われているとしたらとても危険な事だと思います。
私は日本の医療水準も、米国の医療水準とは大差はないと思います。
だだし米国のインフォームドコンセントはしっかりしております。
簡単に訴訟をおこす国だと言われればそれまですが、もっとしっかりしたものが
あってもよいと思います。
医師は極めて多忙だとすれば、米国の医師だって同じ事が言えるでしょう。
私の受けた手術は「ただ単に手術を受けます」のOKサインに過ぎなかったような
気がしてなりません。通常そのような同意の取りで方こう然と手術を実施しているのでしたら私は憂います。
手術室は沈黙を守るところなのでしょうか?最近の医療ミスを見ていると陰湿極まりなく、記録を改ざんさせたり何故このよう姑息なことをするのでしょうか。
病院の名誉のためか、自己保身のためか人一人の命の重さを感じる事は出来ないのでしょうか?医療も所詮「人が人になす行為」なのです。
だからこそ「絶対」や「完全」などというとはありえないのです。
患者側もそのような自覚を持って欲しいと思います。私は医療ミスを隠す事に、抑止力がないものだろうかと思います。
医療ミスを疑うのでしたら、まずカルテをおさえることが定石とされます。
証拠保全のことかと思いますが、もし記録が既に改ざんされていたとしたらどうなってしまうのでしょうか。
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わたしの祈り
一度傷つけられると

| 何時までも相手の過ちを赦そうとしない |
| 人がいます。 |
| 幾つになっても恨みを引きずって生きてるいる人を見ると、 |
| その人は傷ついた時点で、 |
| 心の成長が止まっているように思います。 |
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