トラウマ(あたしの場合)
岡田美里さんが離婚する際
PTSDの話をしたのを覚えていますか?
「堺が読んだハガキをポンとそこに投げただけ
それだけでも怖いと感じた。」
「なんでそんなことが怖いの?」
みんなが疑問に思うような岡田さんの発言が
あたしには極めてすんなりと理解できました。
あたしと同じ心の傷を持つ人なんだなぁって
あたしにはあっさりそう理解できました。
そののち、彼女の書いた
『「しあわせ」のかたち』という本を読んだのですが
その中にこのようなシチュエーションがありました。
あなたが一番悲しかったことを話してみてください。
悲しかったこと。
いろいろなことがありますが
その中で、自分の脳裏に深く深く焼きついていて
どうしても消せないことがあります。
それは、なんともたわいのないことなんです。
ほんとにたわいのないことなんです。
約10年ほど前
私は娘の友人関係で悩んでいました。
だんなが帰ってきたら聞いてもらおうと
あたしはだんなの帰りを待っていました。
そして帰ってきただんなに
あたしは「娘がかわいそうで見ていられない」と
泣いて訴えました。
すると、たった一言
「たかが子どもの問題じゃないか!」
と、荒々しい口調でそう怒鳴られました。
仕事で疲れていたのでしょうね。
やっと家に帰ってくつろごうと思っていたところに
泣いて騒ぎ立てる妻。
疲れきっただんなには
あたしがとても腹立たしく思えたのでしょうね。
その一言で、今まで100パーセントだった
だんなへの信頼感がいっきに崩れ落ちました。
この人にはもう何も言うまい。
あたしはそう決心しました。
そのときの部屋、だんなが立っていた位置
ネクタイをはずしているだんなのしぐさ
あたしが晩御飯に作っていたおかず
あたしはそのときの様子をすべて鮮明に覚えています。
その日からあたしは、さ迷いはじめました。
さらにさかのぼって
あたしの生い立ちについて話します。
あたしの父は仕事一辺倒の人で
家族のことなど省みない人でした。
あたしが小学生のころ
夜、熱をだしたあたしを
病院に連れて行ってほしいと
母は父に頼みました。
ところが父は、母の申し入れを
聞き入れてはくれませんでした。
母は泣きながらあたしを負ぶって
2つ先のバス停の医者まで
夜道を歩いて連れて行ってくれました。
そのとき母の背中でみた光景
いまだによく覚えています。
父は運動オンチのおまえの運動会など見に行っても
張り合いがないといって
運動会などきてくれたことがありませんでした。
高校2年のとき、クラスメートが自殺して
非常に不安定だったあたしは
父に対してはじめて反抗しました。
(あたしが父に反抗したのは今まで2回だけです)
そのとき父は、血相を変えてどなりながら
あたしの部屋まで追いかけてきました。
母がそれを必死にとめていました。
そのときの光景もはっきりと覚えています。
母は、年中父の悪口を言っていました。
あたしは小さいころから
ずっと父の悪口を聞かされて育ってきました。
あたしは、母に対しては普通に話しますが
父に対しては、敬語を使います。
それは、父に畏敬の念をもっているからではなく
父を父だと思っていないからです。
父親不在で育ったあたしが
信じきっていた異性であるだんなに
ものすごい勢いで怒鳴られたとき
あたしは心に深い傷を負いました。
それがあたしの病気発症の原点だったと
あたしはそう思っています。
その後あたしは、
家の外で高く評価されることが多くなってきました。
そうなってくると、さらに状況は悪化しました。
だんなは、あたしの交流関係に対し
露骨に不快感を表すようになってきました。
あたし宛に電話がかかってくると、
とたんに機嫌が悪くなり
ドアをものすごい音をたてて閉めたり
足を踏み鳴らして階段を降りたり
怖い顔をして黙り込んで、
返事もしなくなってきました。
しかもこともあろうに
子どもにまであたりちらすようになりました。
あたしは子どもを守らなければなりません。
あたしは家の中ではピエロになることにしました。
家はあたしの安らぎの場では
完全になくなってしまいました。
そして、沈黙、無言、返答なし、大きな物音
それらがみな、あたしのトラウマになったのです。