
「自分のこと」 「自分は何だろう…」「自分って何なんだ…」
今までの出会いの中から、書物との出会いの中の今も心に残るものを書いてみました。
@『「心」とは、実体としては存在しない。対象を指向する意識として存在する。「心」とは内面的意識の過程である。…意識は、いつも特定の対象に向かっている。…意識は、特定の対象を選び出す。…』
(「セルフ・カウンセリング入門」 渡辺康麿著 ブルーバックスより)
筆者は、『自分の記憶に残っている出来事を取り上げれば、どんな場面からでも、自分のモノサシが見えてくる…。自分のモノサシが見えてくれば、そのとらわれから自由になることができます…』と述べている。自己理解する一つの方法として、とても参考になる。私自身が、今も心に留めている記述として、「意識の指向性」についての記述で、意識をスポットライトに例えたところであった。それは…『意識は、自分という光源から、ある対象に向かう光線である。…その光線は、ある対象に届くことによって、その対象をくっきりと浮かび上がらせます…』
A『感情移入(empathy-感情のとりこみ)とは、幼児と、幼児にとって重要な人物たち-母親や乳母など-との関係を支える一種特別の感情の絆を示す言葉である。感情の<言語的>表現がいくらかでもわかるようになるより遙か以前からこのような<感情の伝染>すなわち<共感>の存在する証拠がある。』
(「現代精神医学の概念」 H.S.サリヴァン みすず書房より)
私にとっては、とっても!難解。でも、何度も読み返す中で自分のことを振り返りながら、思い返すことが多々出てくる。対人関係論としていろんなことを示唆してくれる。自分の生い立ちをふと…振り返り、様々な思いに向き合うことができた。『一個の人格を、その人がその中で生きそこに存在の根を持っているところの対人関係複合体から切り離すことは、絶対にできない…』
B『心に目を向けすぎると外界が見えなくなる。外界に目を向けすぎると心が見えなくなる。』『…「対話」という言葉は、「誰かとあるいは何かと向き合う」という意味…』『人間が人間としてあり続けられるのは、生まれたところに、すでに人と人との関係がこの世にあるからでしょう。関係は対話の源です。自分との関係(自己内対話)、相手との関係(他者との対話)など、関係と対話は本来セットとしてあるものです。』
(「思いの理論と対話療法」 小山充道 誠信書房より)
誰と何のために、向き合い対話をしようとしているのか…それは、自分の中にあるものの見方受け止め方と出会うためでもあったのかも。「思い」について『思いに苦しみ→思いにふれる→思いをつかむ→思いを収める』としている。
C『喪の仕事…故人の死を心の中に受け入れおさめていく仕事…』
(2002年何かのパンフレットの「喪に関する精神分析」より)
何かのパンフレットであった。いつもならポイ!と捨ててしまうのだけれど、この欄に目が行ってしまいました。「喪の仕事」を重ねてしまう自分だったのです。夢に起承転結があり、承で受け入れ、転で変容する…という意味のことが書かれてあったことを思い返します。
D『私の中にある真実を思い切って話せるとき、私は満足感を感じます。』『他者の中にある真実に出会う時、それはきらめくような出来事です。』
(ロジャーズ)
人との関係の中で、今の自分のありのままを出せる時がどれほどあるだろうか…人と向き合っている中で、その人の世界の出来事にどれほど胸ときめかせるだろうか…。
E『…私たちは、適当に、嫌なことから距離をとって(間をおいて)生きている…嫌なことから距離がおけなくなったとしたら、その状況を「悩む」と言う…』
『自己の解放は内なる「実感」を感じとることから始まる。』
(「心のメッセージを聴く」 池見陽 講談社現代新書より)
実感という内面に目を向けることからスタート。言葉に表せないものでもいいだ…○○のような感じ…。肩の力を抜いて、自分に目を向けるといろんなことを思っていた自分がいるものです。
F『2人の裁判官が、夕食後、仕事のことについて話し合っています。「今日私が担当したAという被告の裁判をどうしたものでしょうか?あなたならどのように裁きますか?」一方の裁判官が、もう一人の裁判官に話しかけました。すると、意見を求められた裁判官は、「そのようなことに私が答えられないということを、あなたはご存知ではありませんか。Aの父親は5年前に死んでしまったということだけでなく、彼は私の息子でもあるのですから…」と答えました。』
(「偏見と差別のメカニズム」 人権学習ブックレットA 明石書店より)
物語を読んでしばらく、考えていました。…自分の中にある偏見と差別のフレームにドキ!としました。「考え込んでいた自分」…そこには「裁判官は男」というシステムが自然に起動していたのです。どうして、自分にそんなシステムができていたんだろう…そう振り返ると、知らない間に自分自身でシステムとして取り込んでいたいろんなことが出てきました。自分自身を見つめ直す時の1冊の本です。
G『二天一流の兵法の道を、空の巻として書きあらわす。空という意味は、物事が何もないこと、知ることができないことを「空」と見立てるのである。もちろん、空は「無い」ことである。ものがあることを知って初めてないことを知る。これがすなわち空である。…』
(「五輪書」 宮本武蔵原著 原本現代訳より)
何度も繰り返し読んでしまいます。「空」って何だろう!?そんなことに思いだけは寄せながら、読んでしまいます。 知っている!わかっている! いや!いや! まだまだ!知らないことがあり分からないことがあることを肝に銘じておくことが必要なのかも・・・。
H『人は心の海の表面に浮かんで泳ぎながら、他の人と話をしたり、仕事をしたり、笑ったりしています。つまり、心の表面は、他の人たちと接点をもつことのできる「社会」です。』『自分の感情に耳を傾け、共感してくれる誰かがいることによって初めて、一人では抱えきれなかった感情を、もう一度意識の中に引き出して再体験することができるようになる。』『自己理解と他者理解はコインの裏表』『他者は私の鏡』『心の成長は一人で自分の心を理解するということではなく、自分以外の相手とのやり取りを通して進んでいく。』
(「理解と関わりを深める」 氏原寛・杉原保史共著 培風館より)
自己理解=自分のことを知る と考えた時、自分だけでは抜け出せない部分が出てくる。「知らない自分」と出会うことができるのは、人と関わる中での「新しい自分」の発見でもあるのでしょう。自分のことをわかろうとすると、自然に他者との関わりの中での自分に行き当たるのかもしれません。
I『自分の体のこわばりや歪みに気づき、心を解き放ち、生き生きとしたことばを取り戻す…』『声はモノのように重さを持ち、動く軌跡を描いて近づき触れてくる。…生きもののように…。』
(「からだとことばのレッスン」 竹内敏晴著 講談社現代新書より)
『成り立たない会話』として、作者は『いったん声がひらかれてみると、不思議なことに、人と人との間に立っている”壁”が、やがてまざまざと見えてくる。』と述べている。普段の自分自身の人との関わり・会話を振り返ると、ふと”壁”というものを感じてしまう。人との関わりの中で自分を見つめ直す本でもあった。
J『…文脈をもっともっと広くみていて、会話や出来事や状況に流れている情報的な脈絡をすべて「文脈」とよんでいる。この文脈をできるかぎり生かした状態で編集することがたいせつ…』
(「知の編集術」 松岡正剛著 講談社現代新書より)
句読点を動かすことで、文脈が変わることは国語でも学習したことを思い出した。「ここにはきものをぬぐ」が「ここに、はきものをぬぐ」「ここには、きものをぬぐ」という意味になり得る。自分の中に持っている自分自身・他者・出来事に対する文脈を見直してみると、そこにはいろんな自分自身が持ってきた情報がありそうである。
K『…人間は、外界の実際がどうであれ、現実世界を理解するために、何かを選択し、何かを省略・一般化した”独自の地図”を持っている…人間は感覚器官から入った生の情報を感覚フィルターによって歪め、内的なプロセシング(情報処理)によって省略、一般化、歪曲する。また、意味づけ、解釈といったものが自動的に行われる。』
(「NLP 神経言語プログラミング」 高橋慶治著 第二海援隊より)
現地と地図。自分の中にある地図を振り返ってみると、どれほど現地=現実を自分の都合で曲げていることか…。じっくりと自分の地図を見つめていくと、そこに知らない間に身につけた価値観や一般化、偏見を見つける。それらとじっくりと向き合っていくと、なんと狭い地図を持っていたのだろう…と思う。自分が見ている世界の狭さに気づき、世界のとてつもない広さに圧倒される。
L『…私はそう考えて、覚悟を決めた。…心の物語を聞こうと思ったのである。すると、その覚悟とともに私の中に生まれていた怒りや憤り、心配や不安、焦りは消えて気持ちが落ち着いた。』
(「心を知る技術」 高橋和巳著 筑摩書房より)
下を向いている子ども、涙を流している子ども…「会議があるなぁ・・・」「あれもしないといけなかったな…」「・・・すればいいんじゃないかな…」そんな自分がいて、どれほどその子の思いに向き合うことができなかっただろう…。「とことん!この子の話につきあおう!」そんな自分になった時、その空間・時間・その子の心の物語を一緒に!ただ!共有している…そんな自分でいたような感じがする。