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index.html 絵師三戒堂放浪記
り、解答を求める日々を苦しく過ごしていた。 が一致していない人が多いのに気がついてきた。果たして自分はどうしたら心の目的と人生の 道行きを一致させられるのだろうかと思い悩む日々が続いたのだった。 い戦前に出たカントの感情論と言う本を引っ張り出してくれた。旧漢字の多く交ざった古い紙の 匂いのする黒い立派な表紙が人を寄せ付けないように、どっかりと机に置かれたのを、呆然と 眺めていたが、とにかく自分とはなんだという拙なる疑問の力も手伝って、重たい表紙を持ち 上げてみた。 仮名遣い版を子供の頃から読んでいたので、文章と旧漢字はさほど難しくなかった。 しかし、自分の肉体のありようについて全く知って無いという事に驚愕したのだった。 る物だった。 自分の人生の進路を決定する高校を選ばなければならいのだ。 きる人生になるに違いないと、内側からこみ上げてくるのだった。 私はただ涙を流しながらそろばんと父の目を交互に眺めるだけだった。 り、誰かの弟子にでもなりなさいと励ましてくれた。 あった。自分の夫を先生と呼ぶのが妙にちぐはぐな変な気持ちにさせられた。 てしまいそうな気持ちがした。ま、とにかく来週いらっしゃいということで、弟子入りがかなったの だった。 た。不安に駆られた私は工業高校へと進んでしまったのだった。 出た。理由もはっきり説明したが、校長先生は私の入学試験の成績を調べ、それがトップであ ったために、慰留に熱をそそいでくださったのだった。 どんどん落ちてくるのは当たり前だ。それでもまだ面白くないので、生徒会の副会長になった。 応援団にも入った。いつしかブラジルへ移民しようと言う思いも薄れていった。 った。しかし絵画部などには入らなかった。毎日、溝の口教会で、カロン神父様の指導の元石 膏デッサンを夜遅くなるまでやっていた。毎週久富先生のアトリエに通うのはもちろんだった。 ださったり、背中が曲がっているとか、のぞき込んではいけないと、事細かにご指導してくださ った。10時間以上かけたものが、20枚近くなった頃、急にうまくなってきた。先生もそれを指 摘され、もう月謝はいらないから、時々遊びに来なさい。いい絵をたくさん見なさいと言ってくだ さった。その厳しいご指導が無ければ、とても今の私は無いものだった。
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