index.html     絵師三戒堂放浪記


絵師になりたい

15才になろうとする頃だった。何のために人間に生まれたのだろうかという疑問がわき起こ
り、解答を求める日々を苦しく過ごしていた。                             
  
 何の目的で皆人生を歩んでいるのだろうか?周りを見渡すと、必ずしも勉強したことと生き方
が一致していない人が多いのに気がついてきた。果たして自分はどうしたら心の目的と人生の
道行きを一致させられるのだろうかと思い悩む日々が続いたのだった。             
 町の図書館でその苦しい胸の内を相談すると、それは哲学というものの分野だからと、分厚
い戦前に出たカントの感情論と言う本を引っ張り出してくれた。旧漢字の多く交ざった古い紙の
匂いのする黒い立派な表紙が人を寄せ付けないように、どっかりと机に置かれたのを、呆然と
眺めていたが、とにかく自分とはなんだという拙なる疑問の力も手伝って、重たい表紙を持ち
上げてみた。                                                
   
 そこには案外と感覚器官の解剖学的解析から解き明かされていたのだった。旧約聖書の旧
仮名遣い版を子供の頃から読んでいたので、文章と旧漢字はさほど難しくなかった。      
しかし、自分の肉体のありようについて全く知って無いという事に驚愕したのだった。   
 そのことを相談すると、今度はイワンパブロフの条件反射の研究文書を取り出してくれた。
 犬に食べ物を見せると唾液が出るのは条件反射であるという事を実験理論的に解釈してい
る物だった。                                                 

 こうして中学校も終わりに近づいてきた。                              
自分の人生の進路を決定する高校を選ばなければならいのだ。               

そうだ!!もしかして、絵描きの道を選んだら、きっと、それしかできない、まっしぐらに突進で
きる人生になるに違いないと、内側からこみ上げてくるのだった。                 


絵師への一歩

ついに決断の時が来た。                                    
父に京都の芸術大学へ行きたいと申し出たのだった。                      

むっと怒った父は立ち上がってから戻ってくると、右手にそろばんを持っていた。   
それを私の目に水平に突き付けてきつい口調で問いつめてきた。             

それでおまえは月にいくら稼げるか是ではじき出してみろ!                
 私はただ涙を流しながらそろばんと父の目を交互に眺めるだけだった。        
  
そろばんに合わない人生を選ぶなら親でも子でもない。っと父は言い放った。
それから想像を絶する区別が始まったのだった。                    


悶々とする日々が続き、母は見かねて、そっと応援するからと美術全集を買ってくれた
り、誰かの弟子にでもなりなさいと励ましてくれた。

溝の口近くに久富金之助先生がおられ、思い切って門をたたいた。
 奥様が出られ、先生は展覧会に出す仕事で合間に見ているのでちょっと、、、と断られそうで
あった。自分の夫を先生と呼ぶのが妙にちぐはぐな変な気持ちにさせられた。
 しばらくすると先生が出てこられ、あっそうですか絵描きになりたいねえ。
どうするかなあ。
 っと眼がどこを向いているのかわからないような、恐ろしくは無いが異次元に引きずり込まれ
てしまいそうな気持ちがした。ま、とにかく来週いらっしゃいということで、弟子入りがかなったの
だった。
もうすぐ高校生になるところだった。

父はお前など公立以外は出してやらない、落ちれば丁稚に出すからなっと厳しく言い渡してき
た。不安に駆られた私は工業高校へと進んでしまったのだった。

入学して一週間目。
しまった。選択を誤ってしまったのだと気がついた私は、校長室へ出掛けて行き、退校を申し
出た。理由もはっきり説明したが、校長先生は私の入学試験の成績を調べ、それがトップであ
ったために、慰留に熱をそそいでくださったのだった。
ま、ここも面白いかもと腹をくくり、俺は絵描きになるんだと授業中も絵を描いていた。成績は
どんどん落ちてくるのは当たり前だ。それでもまだ面白くないので、生徒会の副会長になった。
応援団にも入った。いつしかブラジルへ移民しようと言う思いも薄れていった。
ばんから風を好み、第二期生でもあったし、電子科の一期生でもあり、先輩風は吹かし放題だ
った。しかし絵画部などには入らなかった。毎日、溝の口教会で、カロン神父様の指導の元石
膏デッサンを夜遅くなるまでやっていた。毎週久富先生のアトリエに通うのはもちろんだった。
久富先生はいつも後ろから見ていてくださり、細い竹の棒で、肘が下がっていると軽く叩いてく
ださったり、背中が曲がっているとか、のぞき込んではいけないと、事細かにご指導してくださ
った。10時間以上かけたものが、20枚近くなった頃、急にうまくなってきた。先生もそれを指
摘され、もう月謝はいらないから、時々遊びに来なさい。いい絵をたくさん見なさいと言ってくだ
さった。その厳しいご指導が無ければ、とても今の私は無いものだった。
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