始めての入院生活001






私は2週間ほど前に、2度目の自殺を図りました。
今日は外泊して良いとの許可が出て、一時的に家に帰宅しました。

今回も本気だったのに、運がいいのか悪いのか、未遂で終わってしまいました。
今日で入院生活も約一週間が経過します。
退屈でだるい毎日です。

8月中旬から被害妄想が始まり、なんとか9月を乗り越えましたが、10月に入ると劇的に悪化。

始めのうちは私に対する現実の誹謗・中傷だけだったが、1ヵ月半後には「みんなが私に死んで欲しい。」 と、思っている幻聴・幻覚が加わり、2ヶ月半後には「みんなが私を殺そうとしている」被害妄想に変化した。

何が本物の現実か分からなくなった私は、週の半分を車で2時間の片田舎へ行き、その空家に一人で泊まって 何が本物の声なのかを確認しに行った。
田んぼの真ん中にぽつんとあるその家は、農民以外は人が来ない。
昼は農民の声がしても、夜はほとんど車も通らないような所なので、物音一つしない静けさ。時々、 虫や動物の声がするくらいで、まるで図書館のように静まり返っている。
それなのに私には、毎日、一日中、数人の話し声が聞こえた。

その内容は、「私を苦しめ自殺に追い込む。自殺をしない場合は、毎日少しずつ食事に毒を盛り、 徐々に体が弱って自然に死んだことに見せかける」というもの。
親は私の食事に毒を盛り、恋人は私の死を神に願い、友人・知人は嫌がらせの言葉を遠まわしに浴びせる。 元親友のヒガミは、長電話のたびにひしひしと伝わってきた。

私の全ての行動は、見られ、聞かれ、言われている。テレビや照明、車に携帯など、あらゆる所に盗聴器、 盗撮カメラがあり、悪口を私に聞かせるためのスピーカーもある。
主犯は親か?恋人か?元彼か……?

その頃ちょうど、自宅の隣の家が建て替えのための解体工事が始まった。
10月には基礎工事も終わり、家の形が現れ始めた。
「その家は、私にかけられた保険金で、私の親が建てているものと確信する。
その多額の保険金は、私を苦しめるために雇われた人々に配られる。」と、いうもの。
この被害妄想から約2ヶ月後に、私は手首を切って自殺を図り、今までの私は死んだ。
そして、別人に生まれ変わった。

その理由は、

@救急車で運ばれる程のオオゴトになり、皆に自殺が知られてしまった。 しかも手首に五針の傷が残り、これはこの先人から白い目で見られ続ける。

A親友を失った。(私だけがそう思っていたと思う。)

入院生活は思ったほどやることがなく(体を休めるためなので当然のことなのだが)、 毎日考え事ばかりしている。
そこで、色々と分かることが多く、自分の欠点に気付き、それを直すために毎日辛い努力をしている所だ。
人付き合いが苦手な私は、この、大きな病院での入院生活自体がとても辛い。
人が多いので、色々な話し声が私を惑わせる。
幻聴・幻覚はないが、被害妄想はかなり微妙だ。
でも、ベッドの上で考えることは、だいたい終わったような気がしている。
そろそろ家に帰って、また考えても良いなと思う。

自殺を図った私に対する世間の目に耐え、慣れていかなくてはならない。
いつか笑って話せる時がきたらいいな、と思う。

悪口を言われる→自分の欠点に気付く→考える→直す→変わる→良くなる。

病気・自殺などについて言われる→傷つく→考える(多分ここで恨む)→考え直す(許す)→許すことで自分も許される。

こんな感じで、これから色々大変です。
でも、頑張ろうと思っています。

2003.10.16





始めての入院生活002






先生に「悔いなく生きろ」と、いわれたことがある。
今、私は自分なりに頑張っている。人付き合いが苦手な私は、この大きな病院での集団生活自体が かなり苦痛だ。

ここで生活(生きている)ことだけで、かなりのエネルギーを要する。
だからお腹が空く。病人の割に、ものすごく食べている。

「死ぬとき悔いなし!いつ死んでもいいような生活態度をしなさい。」と、1年前に言われた ことを思い出した。

今、それをやっている。人には分からないと思うが、頑張っている。

はっきり言って、今、もしも、地震・天災・殺人事件などに巻き込まれて死んだとしても、 特になんの悔いもないと思う。
仮に、今死んでも、特に何の後悔もないので、今が辛いからと言って、”自殺”を考える 気にもなれない。

こんな気持ちは生まれて初めてだ。
こんな気持ちになれたのも、自殺を図ったからであり、自殺をしたかいがあったと言うものだ。

自殺したくなる時というのは、辛い現実から逃れたい時。
理想とは反対の状況なので、「〜したかった。」と、当然悔いが残る。
でも、いまは「〜したかった。」が、全くない。

だから、「明日は〜しよう。」と、思う。

毎日頑張っている人が、なぜ前向きなのか、今やっと分かった。

明日は本を読もうと思う。


2003.10.16







始めての入院生活003






人を許すには、大変なエネルギーが消耗される。
ドロドロしたことを考えているだけで、自分の生命力がすりへっていくのが分かる。
どこで分かるのかというと、多分、体重と気力。
「幸せ太り」とはよくいったもので、金銭的に幸せな時や、恋人とうまくいって幸せ…など、「幸せ」 がつく時は、体重も気力も減らない。ダイエットにお金をかけて、無駄づかいしてしまう。

「心労がたたって病気になる」という言葉があるが、何かでストレスが溜まると、必ずといっていいほどどこか おかしくなる。
私は慣れない入院生活で、今、肩こりと軽い頭痛がする。人付き合いが下手なので、細かい所をいろいろと 悩んでしまう。

人から誹謗中傷され、親友に裏切られ傷付いてボロボロになり、また、1年ぶりに手首に傷ができて しまった。

悲しすぎる。

最初は彼女を憎み、恨んだ。毎日、毎日…一日中……。
そのおかげで、また、眉間のしわが深くなってしまった。
ふと鏡を見てそれに気付き、もうやめようと思った。彼女との付き合い、恨むこと、憎むこと…。

よく考えたら、別に彼女がいなくても私は生きていける。今は、そう思えるようになった。
もしかしたら、互いに必要としなくなったのかもしれない。
別れの時期が来たのだろう。


人は、許しを乞う。何か間違いに気付いたとき、罪悪感から逃れるために自分を正当化する。
でも、正当化して、間違ったことを良いことにして生きていけば、後で必ずしわ寄せがやってくる。 そのしわを深くするのも浅くするのも自分次第だ。

今まで人を誹謗・中傷してきた自分が、今、人から同じことをされている。そういうものは、 忘れた頃にやってくる。だから、余計に辛く感じる。

自分が間違っていたことを認め、反省し、悩み苦しみ考えあげく日が必ずくる。
その日が辛くても早めに済ませるか、後回しにして余計に苦しくするか、この違いは大きいと思う。

早く済ませてしまえば、もっと早く人間的に成長できたのに、気付くのが遅かった。ちょっと残念だ。
でも、気付かないで、間違った道に進んで悪くなって行くよりはましなので、気付けて本当に良 かったと思う。

人は、許すことで自分も許される。誰かに許されると安心する。
彼女を許すことで、彼女を死ぬほど憎んだ自分を許すことができた。
そのことに気付けて本当に良かった。なんだかホッとした。考えるのが疲れた。

イップクしよう。

2003.10.16



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