あれはとある春の夜。
その公園の桜はちょうど満開で、暗闇の中で怪しく光っていた。
私はベンチに腰掛けて、しばらくの間うっとりとその桜に見入っていた。
これから死のうというときなのに、いつになく私の心はとても穏やかで、例えるならば、日曜の午後に
日なたぼっこでもしているような、そんなのんびりした気持ちでいた。
意外なことに、一度覚悟を決めてしまうと死の恐怖さえ感じなくなり、今ここで死ぬことは
当然のことで、”ただ、時の流れに身を任せているだけ…。”
そんな錯覚さえ起こしていた。
気が付けばもう、30分以上そこに座って夜桜を眺めていた。
子供の頃によく遊んだ、いい思い出だけが詰まったその公園で、最後に夜桜見物をして静かに死ぬ。
最後くらいきれいな花でも見たいし、色々と自殺の手段を研究した結果、
服毒自殺が一番美しく、そして迷惑最小限である。
数日前、そういう結論に達した私はその夜、部屋の窓から澄み切った夜空を見上げて、
その日が今日だと確信し、その公園にやってきたのだった。
”服毒自殺”といっても私の場合、病院でもらっている薬に毒が入っているわけではないので”服毒”では
ないのですが、気分的には服毒自殺だ。よくドラマや小説なんかで睡眠薬を大量に飲んで自殺する
という場面を見たことがあったので、これからそれを実行しようというわけだ。
病院に行ったのはつい一昨日のことで、薬を2週間分もらったばかりなので睡眠薬と抗うつ薬を合わせると
、軽く100錠は持っていたと思う。
「これだけあれば多分死ねるだろう。しかもお酒と混ぜたら明らかに体に悪そうだから、意外と
簡単に死んじゃうかもしれない。いや、絶対死ねる。」
そう考えてう、缶ビールとペットボトルのお茶を1本、それとありったけの薬。タバコに携帯と財布。
これだけ持って、夜中にこっそり家を抜け出したのだった。
もちろん、家を出る前までにはそれなりに準備をしてきた。
死んだあと部屋を見られると思ったのでまず、部屋をきれいに片付けてすみずみまで掃除機をかける。
洋服タンスの整理をする。そして見られたくないもの(日記、手帳、手紙)を捨てる。
そして、親友と恋人に会って最後に楽しい時間を過ごす。
とりあえず、ひととおりのことはやっておいた。これでもう思い残すことは何もない。
遺書は書くか書かないか迷ったのだが、ちょっと恥ずかしいので辞めることにした。
夜桜を見ながら缶ビールを飲んでみた。
普段はビールをあまり飲まないので、すぐに酔いがまわって気持ち良くなってきて、しばらくの間、
重くうつろな頭を持ち上げ、夜桜をボーっと眺めていた。
気づけばゆうに30分が経過し、ビールも半分なくなって、
「のんきに桜なんか見てないでそろそろ薬でも飲んでみようかな。」
そう思って、なんとなく薬の入った袋をバッグから取り出した。
残った缶ビールで薬を4〜5錠くらいずついっぺんにのどに流し込んだ。
薬は飲み慣れているので、すいすいと飲むことができた。
缶ビールがなくなると今度はお茶で飲むことにした。
薬とお茶の一気飲みで胃が膨張して”タプンタプン”と今にも音が聞こえてきそうな感じになったので、
「これ以上飲んだら、今飲んだ薬が全部逆流してきそうだ。」と、思い、飲むのをやめることにした。
それまで飲んだのは約40〜50錠。「まぁこれだけ飲んだら十分だろう。」そう思った。
お腹もいっぱいになったし、愛煙家である私はいつものように煙草を1本吸った。
2、3度深く煙を吸い込んだら頭がクラクラしてきて一気に体がだるくなった。
ついさっきまであんなに見とれていた桜も、もうどうでもよくなってきて、
そのままそのベンチに横になった。
神経質な私は、ベンチが固くて寝づらいと思い、ベンチの周りには柔らかそうな草が生えていたので、
そこに寝てみることにした。
寝心地が良く暖かい夜風が吹いて、さらに物音一つしない静けさ。
空想好きな私にとって、考え事をするのには最良の条件だ。
でも、薬とお酒で鉛のように重くなった頭ではなにも考えられず… …そこから先は覚えていない。
気が付けばたぶん早朝。
重いまぶたをゆっくり開くと、太陽はキラキラ輝きはじめて、今までにないくらいの激しい頭痛と吐き気。
脈打つたびに「ガンガンドクドク」と痛みが走り、それと同時に脳みそが締め付けられるような痛さ。
「頭が割れそうに痛い」とは、こういうことかと思った。
気持ちが悪くて今にも吐きそう。全身がだるくて立ち上がるどころか1ミリも動けない。
記憶が飛んでいて、「私はなぜここで寝ているのだろう。しかもこの具合の悪さは一体なんなんだ…。」
本気でそう思った。
頭痛で何も考えることができなくて、動けないのでしばらくそのまま横になっていた。
しばらくたつと、少しだけ思考能力が回復してきたので、もうろうとした意識の中でいろいろと考えて
みた。
「なぜ今ここにいるのか。どうしてこんなに具合が悪いのか。これからどうなるのか、どうしたらいい
のか…。」
そう考えていたら、突然飛んでいた記憶が涌き上がってきた。
「自殺しようと思って薬を飲んだ。そして死ねなかったこと…。」
それだけ思い出したとき、とにかく家に帰りたいと思った。
頭痛がひどくてとにかく眠りたかったのだ。
起き上がれないので、ゆっくりと右手を動かし、そこにあったバッグの中の携帯電話を探した。
リダイヤルで恋人に電話をかけました。
「死にたくて薬を飲んだけど、なぜか生きていて具合が悪い。」
頭痛がひどくて話すのも辛かったので、やっとの思いでそれだけ伝えた。
電話で目覚めた彼は、最初のうちはイマイチ理解できなかった様子だったが、
すぐに事の重大さに気づいたようで、慌てた様子で「とにかくすぐ行くからそこを動くなよ!」
そう言って電話を切った。
「動くな」と、いわれても、動きたくても動けない私は、浅くて早い呼吸をしながら、ただ、黙って
彼が迎えにくるのを待っていた。
と、いうよりもあまりにも具合が悪かったので「もしかしてこのまま死ぬのかなぁ…。まぁ、それも
いいのかなぁ…。」
なんて思いながら、ただ横になっていた。
約30分後に彼が来て、家まで運んでくれたようだ。
その先はどうだったのかよく分からないが、自分の部屋で目が覚めた時、彼は安堵と
悲しみが半々ぐらいの表情をしていたので、「その時、彼がどんな気持ちだったのか…。」と、
今考えみても胸が痛む。
いうまでもなく、その後、数日間は頭痛とだるさが続いたのだった。
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