中国医学の歴史
今回は特に針灸関連の歴史を中心にまとめました。
殷代 BC2100
甲骨文字におもに疾患部位によって病名がつけられた。→近代の疾病分類のひな形がこの時代にすでにみられる。
西周〜春秋戦国時代 BC1100〜BC771
文献中の病名に関する記載にもその病気の過程(病程)を見い出すことができる。→当時すでに治病経験の豊富な蓄積が存在し,医学理論の整理・体系化の基礎を提供していたといえる。
「黄帝内経」成立…中国で現存する,最も古い医学書といわれる。戦国時代の書とされており,また複数のものによって書かれたものと類推されている。
後漢時代(25〜220年)
「難経」成立…秦越人(扁鵲)著。内経の難しい内容に対して解説を加える形で書かれているが,現存する「難経」で述べられている内容と「内経」とでは多くの点で異なる。とりわけ鍼灸に関する方法では,いっそうの充実がはかられている。
後漢時代の張仲景は,「勤求古訓,博採衆方」という精神にもとづき「傷寒雑病論」を著した。これは「医方の祖」と称されており,またこれにより張仲景は医聖と称されている。「傷寒雑病論」の処方学は,後世の薬物治療の発展にたいして決定的な影響を与えた。またその六経弁証という方法は,『内経』を基礎としながらそれを飛躍的に発展させたものである。その他多くの弁証は,すべてこの六経弁証を基礎として生まれたものである。
晋代(280〜420)
針灸学発展の最初のピーク
皇甫謐著「甲乙経」259年頃…黄帝内経の内容を吸収しながらさらに針灸治療に関する幅広い内容を網羅し,針灸の専門書として新たに編纂されたもの。これは「素問」「黄帝針経」「明堂孔穴針灸治要」という三部書の鍼灸に関する内容を整理し,「針灸甲乙経」を編纂した。これは体系的にまとまった最も古い針灸専門書である。
10巻からなり、その後改編されて全12巻、128編となる。
針灸図譜 「偃側図」「明堂図」→針灸経穴を明確にわかりやすくするため図で示す。
以上「内経」「難経」「甲乙経」により,針灸学基礎の体系は基本的に確立されたということができる。後世においても数多くの書が書かれているが,,その基本理論については根本的な変化は認められない。
隋・唐時代(589〜907)
医学の分科に伴い,針灸も独立した一科として成立した。唐太医署という針灸を専門医学として設置された部署で,「針師」・「灸師」などの専門医師が生まれた。しかしこの時期は針薬併用が非常に強調された時代でもある。
孫思バクは「備急千金要方」「千金翼方」を編纂し,そのなかに針灸専門の編を設け,前代の各家の針灸治療経験を広く収集している。
「明堂三人図」…晋代の「明堂図」を校訂した彩色画を「千金方」に収録。
王トウは「外台秘要」を編纂し,その中では灸法を特に強調したため,唐代の中期以降は灸を重んじる傾向が現れた。
唐代に甄権による「明堂図」が描かれる…晋代のものの校定版。
宋・元時代(960〜)
針灸学発展の二回目のピーク
→製紙印刷技術の発展により,この時代に大量の文献が整理された。
また王惟一により針灸銅人が製造された。
また運気学説の影響により子午流注針法が提唱された。
王惟一は黄帝明堂を基礎として「銅人兪穴針灸図経」を著し,さらに針灸教育と当時の資格試験のために銅人模型を2体鋳造した。これらにより明堂針灸体系は,そのピークを迎えることになる。
この時代には多くの針灸名医を輩出し,多くの著書が執筆された。
王贄中「針灸資生経」…臨床実践・経験を重んじた
滑寿「十四経発揮」…任督脈を十二正経と同格にあつかい,経典にもとづき穴位の校訂を行った。
竇材「扁鵲心書」…灸法を提唱。
金元時代
竇漢卿は子午流注針法を提唱…針灸取穴と十二支を結合した時間にもとづく取穴法。
明代(1368〜1644)
針灸学発展の三回目のピーク
→この時代は針刺手法が重視…楊継洲の針刺十二法 灸法の改革が行われた…棒灸の発明と普及。
清代〜新中国誕生までの期間(1636〜)
針灸学はあまり大きな発展はない。
葉天子 清代 温病学者が衛気営血弁証を唱える。
清代前期
主として明代の学風を継承しており,その整理と解釈が行われる。
清代後期〜民国時代(中華民国 1912〜)
腐敗した封建文化と半封建半植民地文化の影響を受けて,針灸学は次第に衰退する。
しかし,この時代の針灸は有効な治療法として民間の間に広く定着し,ゆるやかな発展をとげた。
新中国誕生後(1949〜)
中国政府は針灸学を重視し,臨床応用および古代文献の整理が行われ,さらに現代医学と現代科学を運用し,さまざまな角度から経絡,兪穴(にくづきの漢字),針感などの原理について大量の研究が行われた。とりわけ近年の針による鎮痛原理の研究および鍼麻酔の応用は,世界の医学領域に非常に大きな影響を与えた。
針灸の国際化
文献によると,中国針灸術はおよそ紀元6世紀には朝鮮や日本に伝わりはじめ,明代には多くの日本人留学生が中国に派遣され,中国医学を学んだ。現在でも日本および朝鮮においては,針灸は伝統医学の重要な一部となっている。また東南アジア諸国およびインドにおいても,相互交流や文化交流によって相当早い時期から針灸学が受け入れられている。ヨーロッパは布教師を中国に派遣していたが,針灸学は彼らを通じてヨーロッパ各国に紹介された。
また新中国誕生後は,旧ソ連,東欧諸国が医師を中国に派遣し,針灸学を学んでいる。とりわけ1970年代に入ると,針灸はWHOにより伝統医学の重要な構成要素と位置付けられ,毎年中国で国際針灸訓練班,学習班が開催されているが,その資料によるとアメリカ,日本,フランス,ドイツ,旧ソ連などの60カ国に針灸学会組織があり,針灸治療および研究が行われていることが明らかにされている。伝統針灸学の普及と教育および針刺原理の現代的研究は,今まさに世界医学の一つの構成要素になろうとしている。
参考文献
中医基礎理論 東洋学術出版社
針灸学基礎編 東洋学術出版社
中国医学はいかにつくられたか 山田慶兒著 岩波新書