自殺願望 α 2001年3月のカルテ
2000年11月28日
私は疲れていた。祖母の死を超えて・・・生きていくこと、人生すべてに疲れていた。
きっかけは、主人の何気ない一言だったと思う。
私のことを考えてくれてないように思えた。
旦那が床屋に行く、と出て行った後、鬱がひどくて外出などままならなかった私は急いで家を出た。
大量の薬を持って・・・・・。
鬱で頭が回らない。だけどどこかに逃げなくちゃ。人生を終わりにしなくちゃ。
ゆらゆらと歩く・・・・。死人のように。
近くに住んでいる、知り合いの家に行こうかなぁ、などとも考えるが、こんな打つ鬱な私がいったら連鎖させてしまうだろう。
どこか、山奥に行きたいけど、そんなに長時間電車に乗れるかなぁ。
最後の電話と思って、父親に電話する。
「実家に帰って来い」とのお言葉。
何度か押し問答が続いたけど、結局思考回路が壊れている私は、結局父親の言葉に従って実家方面への電車に乗った・・・・。
実家には父親が待っていた。早く仕事を終わらせてきてくれたらしい。
なんとなく普通の会話をする。
しばらくして弟と母親も帰ってきた。私はこたつでダラダラしていた。
自分の部屋に行って、ぼーっと煙草を吸う。
そして走り書き。みんなへ。
オレンジジュースで薬を飲みはじめる。
プチプチプチ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どれだけ飲んだだろう。夕食食べなかったのにおなかが一杯だ。
なんだか体が冷えて・・・・・一階に降りてこたつに入った。
****家族から聞いた話****
こたつで寝ているように見えた私の口から『泡』が吐き出され始めた。
発見者は弟。最初は笑ったらしい。
揺り動かしても起きない私。
家族は私の部屋に向かった。そこには私のカバン。
カバンを開けると薬の空パッケージが大量に出てきた。(隠しておいたのに)
走り書きも発見。
旦那に電話をかける。旦那は冷静に「平気ですよ。いつものことです。ほっといたら起きますよ」と言ってたらしい。
家族は相談。とりあえず、119番の人に聞いてみよう。
電話をして状態を伝えると、「すぐ行きます」とのこと。
あらら、こうして私は救急車に・・・・・・。
****病院にて****
着ていたトレーナー・Tシャツ・ジーンズは剥ぎ取られて、病衣を上からかけられる。
下着ははさみで切り取られる。
( ̄□ ̄;)
酸素吸入。心電図モニター装着。
鼻から胃洗浄のための太いチューブを入れられる。
ここで私の意識が少しだけ回復。といっても覚えていないのだが。
よほど苦しいのだろう。大暴れ!出せるだけの力で医者の手を跳ね除ける。
速攻で抑制されたらしい。両手・両足を縛られた。
下からは尿道カテーテルが!これもかなり嫌だったらしい。
またもや大暴れ!!しかしもう縛られているためどうにもならず、装着。
そして『おしめ』もね。
いつの間にか腕には点滴。これは痛くなかったのかな?
しかし、針あとが3箇所あるところを見ると、やっぱり暴れたのね、私。
否応なしに胃洗浄のため、液体が胃に入れられる。
なんとなく冷たくて気持ち悪かったことは覚えている。
何度も何度も・・・・・。
胃洗浄とは、意識がなくてもよほど苦しいらしい。
私は唸り声、叫び声を上げ、他の急患の子供たちを怯えさせてしまった。
処置室には私の『これを抜いてくだしゃーい!!』という声がずっと続いていたそうだ。(自覚なし)
時間がたち・・・いくらか意識回復。でもほぼ昏睡状態。
そんな中でも私は『家に帰りたいー!』と叫んでいたらしく、そのまま帰宅。
記憶なし。(爆)
11月29日
昏睡状態続く。旦那が様子を見に来た模様。覚えてない。
ただただ深く泥の中に意識が落ちていた。
11月30日
ほぼ意識は回復。
ただ、尿が全然出ない!!!
足はパンパンにむくんでる。
活性炭を胃洗浄の時にいれられたので、黒い下痢が続く。
安静時脈拍:120!!やばいにょー。
********今回のことで*********
やっぱり私は死にたいです。私が飲んだ薬は、胃洗浄しなくては危ないものでした。
家族がいないところ、もしくは救急車にのっていなければ・・・・静かに死んでいけたかもしれません。
私は消えていきたい。この世から。
それは許されないことなんでしょうか?
こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに・・・・・。
なのに死んではいけないんでしょうか?
ただ、胃洗浄は大変苦しいです。。
あれは本当に苦痛です。
意識のなかった私なのに大暴れしたらしく、全身に痣がたくさんできてました。
今度はもう少し考えて・・・・消えていこうと思います。
『誰もいない所でやる!』これは絶対条件ですな!(←あたりまえ)