うつ病との闘い

メニュー
  1.筋肉少女ズッコケる?! 15.休職の手続き
  2.あたしは地蔵になりたい 16.おうちで療養生活スタート!
  3.夢も恋も虚無に変わる?! 17.職場復帰
  4.はじめての精神科クリニック 18.患者さんと接するのが・・・
  5.楽しいこともあるもんだ 19.トレドミン(SNRI)
  6.ストレスに弱くなったのかな? 20.考え方の違い
  7.音が怖〜い! 21.希望のひかり
  8.漬物石に潰されて 22.いじわるなカラダ
  9.「うつ病」と診断された! 23.家事は気楽に
10.デプロメール 24.台風の時期が辛い?!
11.自分で自分を追い込んだ 25.うつ病であることを明かす
12.するどいお母さん 26.温かい好意を無にして・・・
13.「死のう」そう思ったとき・・・ 27.波に揺られることに疲れて
14.休職しよう!入院しよう! 28.木崎湖にて

 

筋肉少女ズッコケる?!

 はじめて理解不能な出来事に遭遇したのは、中学3年生のことでした。

 脳ミソ筋肉のあたし(とはいっても、運動神経はナイの)は、当時バドミントン部に所属し、日々汗を流しておりました。やっと気持ちよく打てるようになり、引退試合も近づいた頃、急に空振りの連続!たまたま当たってもスカ!初心者以下のレベルになってしまったんです。スランプっていうんでしょうか。原因が特にわからないまま、焦って一所懸命練習したけれど・・・。引退試合の結果は無惨。そのまま引退してしまったので、スランプから脱することもなく、今に至ります。たまにお友達とやるけれど、「本当にバドミントン部だったの?」って感じです。

 悪夢再び!

 中学生のときは努力が足りなかったんだ。そう思い直したあたしは、高校ではテニスをはじめました。朝や、部活終了後に壁打ちをするほど、大好きだったんです。しかし!引退試合が近づいた頃、またしても初心者レベルに?!ボールが近づいてくると、怖くなって逃げてしまうんです。腕は油ぎれしたロボットのよう。普段は信じていないくせに、このときばかりは、「神様、仏様、イエスキリスト様、悪魔でもなんでもいいから、あたしを助けて!」って毎日祈っていました。けれど、復活ならず。そのまま引退してしまいました。引退試合のプレッシャーなんて、これっぽっちも感じていなかったのに・・・。なぜ?能天気なあたしも、これにはすっかり自信を失ってしまいました。

 いま思うと、あれがうつのはじまりだったんじゃないかと思います。今まで楽しくやってきたことが、急にできなくなってしまうって、本当に悲しいことです。でも、そのときはまだ、自分がうつ病だなんて、夢にも思いませんでした。

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あたしは地蔵になりたい

 高校を卒業して、短大に入ったばっかりの5月。自分では5月病って思っていましたけど、あれもうつだったのかしら?1ヶ月くらい、お昼の3時ごろまで、ベッドで、じぃーっとしていた時期がありました。もう、寝返りをうつことさえ、面倒で面倒で・・・。「あ〜。お地蔵さんになりたい!」って本気で思っていました。当然学校にも行かずにいたのですが、お気楽短大生だったあたし。「行かなくても平気平気〜!」なんて、信じられないくらいに楽観的だったんですね。6月に入る頃にはケロッとした顔して、学校に行っていました。さすがに、周りのお友達はあきれていましたけどね。

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夢も恋も虚無に変わる

 OLを辞めて、作業療法士(リハビリスタッフ)になるべく、医療短大に入りなおしたあたし。2年生になって、やっぱり5月頃、今まで面白いと思っていた勉強が、全く面白く感じられなくなってしまいました。OL時代にずっと温めてきた夢に一歩ずつ近づいているというのに・・・。その夢に対しても、魅力を感じなくなってしまったことが悲しくて、ずいぶん思い悩みました。

 朝は憂鬱で、とても学校へは行けません。それまで、一緒にいて楽しかったお友達とも、会いたくなくなってしまいました。当時お付き合いしていたクラスメイトの男の子だけが、あたしの拠り所で、夜はいつも一緒にいました。でも、だんだんとその彼に対して、変な妄想が浮かぶようになったんです。「私は愛されていない」とか、「彼は他に好きなひとがいるんだ」とか。しまいには、「捨てられるくらいだったら、こっちから別れよう」なんて思って、別れてしまったんです。

 唯一の拠り所を失ったあたし。夜はもう、目が爛々として、悲観的な妄想にとらわれながら、眠ることができなかったし、昼は何もする気力が湧かないし、変にやせこけちゃうし。さすがのあたしも、「いよいよおかしくなっちゃったなぁ」と思いました。

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はじめての精神科クリニック

 授業で精神科の勉強もしていたので、クリニックにはあまり抵抗なく行くことができました。とはいっても、知っている人に、クリニックに通っていることを知られたくなくて、電話帳で家から少し離れたところにあるクリニックを探しました。

 クリニックに入ってみると、待合室は明るく清潔な雰囲気で、お茶が自由に飲めるコーナーや、大勢の中では落ち着けない人のための部屋が用意されていました。待っている患者さんたちは、一見すると普通の人ばかりです。スーツ姿のサラリーマンや、いまどきの女子高生なんかもいます。たまに落ち着かない患者さんがいて、不安になりましたが、何かあったらすぐに看護師さんが取り押さえてくれるだろう思い、極力気にしないようにしていました。

 予約制ではなかったので、2、3時間程待たされました。そこで待っているのは容易ではないので、外にコーヒーを飲みに行くことにしました。あたしは、それ以来、時間がかかりそうだと思うと、いつも外に出てしまいます。もちろん、受付で名前を書いて、外に出ることを告げておきます。

 初診時は、先生からまず、今の症状、家庭環境、生活歴などについて質問され、それについて話しました。先生は、30分以上時間をかけて話を聞いてくれました。そうして、話をしている間に、あたしの混乱していた頭の中は、だいぶ整理されて、気持ちが少し楽になったように思いました。先生は、「もっと話を聞かないと、わからない。とりあえず、睡眠薬と安定剤を出しておきます。」といいました。あたしは、ベンザリンとミラドール、テグレトール、メイラックスなどをもらいました。

 4週間くらい通いましたが、気持ちがいくらか軽くなり、睡眠薬で眠れるようにはなりました。しかし、やる気が出ないことや、何をしても楽しめないといった症状は、あまり改善されませんでした。あたしは、なぜそんな風になってしまったのかと、思い悩んでいました。子供の頃から今までにあった出来事を考えてみたりもしました。あたしのこころが弱いから?彼に愛されていなかったから?それとも、勉強がストレスになっているから?もしくは、PTSD?(その年の2月に交通事故に遭ってしまったのでした)

4回目の診察のとき、あたしは思い切って「診断はどうなっていますか?」と聞いてみました。「軽いうつ状態」ということでした。学校で、「うつ状態」と「うつ病」は違うということを習っていたので、このときは、まさか自分が「うつ病」という病気だとは考えてもみませんでした。 「なぜ、こうなってしまったのでしょうか?」と聞いても、「もう少しお話を聞いてみないとわかりません」というばかりです。あたしは、自分では原因がわからないから、クリニックに通っているのに・・・。早く原因をつきとめて欲しい!などと思っていました。

 そして、1ヶ月もすると、徐々にではありますが、やる気や、良い感情が出てくるようになり、また学校に行けるようになりました。

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楽しいこともあるもんだ

 翌年の5月は、1年前のことが嘘のように思えるくらい、楽しく過ごすことができました。ウインドサーフィンをはじめたのです。海水浴場もはじまる前で、静かできれいな三浦海岸を、バシャバシャと初心者のあたしはもがいていました。そうしている時でも、楽しくて仕方がありません。ましてや、ボードに立って、セイルに風を入れて、大海原に向かって進んで行けたときには、「このまま死んでもいい!」なんて、思ってしまうくらいでした。夫と知り合ったのも、このときです。夫は、遠くに流されてしまうあたしを、何度も助けてくれました。

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ストレスに弱くなったのかな?

 6月には、臨床実習が始まりました。2ヶ月間、病院のリハビリ室で、実際に患者さんのリハビリをさせて頂く貴重な機会です。緊張もしますし、レポートも大変です。でも、頑張ればできないことはありません。みんな、やっているのだから。しかし!ここであたしは、頑張る気力が湧いてこなかったんです。「せっかく患者さんにお体を診せて頂くのだから、頑張らなくちゃ」と、理性では分かっているのに、そういう感情が引き出せない。指導して下さった先生には、「やる気がでないんです」って、バカ正直にいいました。「そんな言い訳あるか!」っていわれるのが当然ですね。でも、休みながらも、なんとか通うことができ、単位を貰うことができました。

 今までのあたしには、ちょっとやそっとのストレスなど、ストレスと感じないというような、鈍感なところがありました。でも、その時はストレスに対して、ものすごく弱くなっているなぁと感じました。やっぱり、一年前の学校に行けなかったときのことを引きずっているのだろうと思いました。

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音が怖〜い!

 次の実習は、精神科でした。家から通えないところだったので、ウィークリーマンションを借りて頂いて、そこから通いました。25にもなって、一人暮らしもしたことがなかったあたし。やっぱり怖くて仕方がなかったんです。そこへもって、隣に住んでいる人は、頭はソリ込み入ってるし、ストライプのダークスーツに、カラーシャツ。見るからにチンピラなんです。夜中の1時ごろになると、ドアがバタンバタン、靴の音も響いて、なんだか沢山の人が出入りしている気配。あたしはまたしても眠れなくなってしまいました。おまけに、のぞき穴からのぞかれている気がして仕方がない。なんだかわからないけどB’zの歌が聴こえるような気がするし。そんな訳で、寝坊をすることもしばしば。でも、ここの先生は、そういうことを理解してくれたのか、寛大に接して下さいました。患者さんの方が、意外と厳しかったですね。「そんなんダメじゃん」っていわれちゃいました。本当に申し訳ない次第です。

 この時、実習先のクリニックで診察してもらい、ドグマチールを頂きました。ドグマチールは、あたしには合っていたみたいで、気分が大分楽になりました。

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漬物石に潰されて

 なんとか学校を卒業して、晴れて作業療法士になれたあたし。卒業と同時になんと結婚!してしまいました。夫の社宅で暮らすことになりました。実家からは約100km離れています。「いい奥さんになろう!」「いい作業療法士になろう!」そう思って一所懸命になりました。そのときは、がんばることが楽しかったし、体もちゃんとついていってたんです。いま思うと、躁状態だったのかもしれませんが。

 ところが、ある時期から、なんとなく頭が重い。握りこぶしくらいの石が乗っかっているような感じです。それでも、気にせずに、同じように働いていると、だんだんその石が大きくなっていくような気がします。漬物石のように、その石はあたしのことを潰そうとします。あたしは負けじと抵抗して、働き続けました。ある朝、とうとう石はあたしを押し潰してしまいました。どうにもこうにも、起き上がれないのです。

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「うつ病」と診断された!

 とうとうダメだ。そう思って精神科クリニックを受診したあたし。今度は臨床心理士さんが、じっくりと話を聞いてくれました。その後に、医師の診察がありました。その先生は、臨床心理士さんのメモを診ると、「典型的なうつ病だね」といいました。先生は、「特に原因が思い当たらない、体質的に周期的にうつ状態を繰り返す人もいるんです」と、説明してくれました。それを聞いたあたしは、なんと思ったか。「ああ、そうだったのか」それで今までのことは説明がつく。なんとスッキリしたことか。「あたしの性格のせいじゃないんだ。病気のせいなんだ」そう思えて、なんと救われたことか。先生は「適切な治療をすれば、治らない病気じゃないから」といいました。そして、デプロメール(SSRI)とソラナックスをくれました。

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デプロメール

 デプロメールというお薬を飲み始めて、最初は気分が悪くなるし、あくびは連発するし、朝は起きられないことが多くなりました。けれども、2週間ほどすると、がんこなまでに居座っていた漬物石が、すーっといなくなってくれたのです。もう、押し潰されるような感じはなくなりました。やっぱり、きちんと診断してもらって、適切なお薬を処方してもらうのが一番だと感じました。そのクリニックに行くまでは、抗不安薬を出してもらうだけでしたから。

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自分で自分を追い込んだ

 漬物石はいなくなったものの、副作用が強くて大変です。朝起きられないから、仕事は午後からになってしまうし、家事もろくにできないし、「いい奥さん」、「いい作業療法士」になる夢は、早くも崩れ去りました。夫も、職場のみんなも、とってもいい人。あたしが大好きな人たち。でも、あたしは、みんなに迷惑をかけてしまっている。夫や、職場のみんなに対して、あたしは詐欺まがいのことをしてしまったんだ。夫はあたしなんかと結婚してしまって、本当にかわいそうだ。他の人と結婚すれば良かったんだ。悪い考えはどんどん膨らんでいきました。あたしは過去を振り返りました。輝いていたこともあったけれど、どうやら持続しないみたい。あたしには、積み重ねてきたってものが一つもない。そして今はただ、ベッドに横たわっていることしかできない。そんなあたしに、どんな価値があるというんだろう。そんな考えに囚われて、泣いてばかりいるようになりました。

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するどいお母さん

 そんなある日、夫のお母さんが、急に夫の職場を訪ねてきました。あたしは会わなかったのだけれど、夫は、「最近なんだか、トロさんの様子が変。気をつけてあげなさい。」といわれたといいます。なんてするどいお母さんなのでしょう。一人っ子の夫に、いつも気を配っているだけあります。あたしは、お母さんがあたしの病気に理解を示してくれていることに、ありがたいと思うよりも、申し訳なくて仕方がないと思うようになりました。そして、なぜか、一人で勝手に「お母さんにまでこのことが知れてしまったなんて、あたしは死んでお詫びをするしかない」と思ってしまったのでした。

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「死のう」そう思ったときに聞こえてきた魂の叫び

 自責の念はますます強くなるばかり。職場に行くことができても、ちっとも思うように働けません。無理に作った笑顔は引きつるばかり。患者さんからは、だんだんと信頼を失っていっているような気もしました。家にいても、夫にまで作り笑いをしています。夫はとてもきちんとした人です。そんな夫に「お前は人間失格だ」なんて思われているような気がして、あたしはますます小さくなってしまいました。夫の両親にも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。思い浮かぶのは「自殺したい」ということばかり。

 そんなとき、夫が泊まりで出張に行くことになりました。あたしは咄嗟に「これは死ぬチャンスだ」と思いました。しかし、あたしの内なるこころの叫びが聞こえてきました。「死んじゃダメだ」あたしの中のまともなこころは、狂っている人格が、衝動的に自殺しないようにする苦肉の策を思いつきました。「病院でのお仕事はお休みして、入院しよう」そう思って、クリニックへ出かけました。

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休職しよう!入院しよう!

 クリニックの先生は、「うん。休職するのはいいことです。ただ、入院となると、トロさんが休まるところはなかなかないよ。一般病院の内科をとりあえず紹介します。」といいました。あたしは、それでもいいと思いました。とにかく、誰かが見張っていてくれて、自分が衝動的に自殺しなければよいのですから。診断書を書いてもらい、病院に提出して、それから入院の手続きをとるということになりました。

 職場の主任に診断書を提出すると、あたしが翌日から休職できるように、手筈を整えてくれました。職場のみんなは、あたしのこの身勝手な行動を許してくれ、そして、心配してくれました。職場の副院長先生は、あたしが衝動的に自殺してしまうのではないかと考えていたらしく、あたしに、「絶対に死ぬな。俺と約束しろ」といい、職場の主任に「トロから一時たりとも目を離すな」と怖い顔をしていいました。副院長先生は、まわりのみんなと比較すると、大げさなように見えますが、この時のあたしは、副院長先生がいう通り、いつ衝動的に自殺してもおかしくないような状態だったのです。

 こうして、あたしは、職場の主任と、夫の両親とに付き添われて、再びクリニックに入院の手続きをしに行きました。しかし、先生は、「休職できて、負担も減ったことだし、おうちでゆっくり休んだら」といいます。あたしは、それだと自殺をしてしまいそうで嫌だったのですが、先生の意見に反対して、自分の気持ちを伝えることができず、結局、自宅で療養することになりました。

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休職の手続き

 総務部の事務長には、まず、休職することを主任から伝えてもらい、後から挨拶に行きました。休職中は、医療保険の方から、なんと二ヵ月間もお給料の何割かが支給されるのです。だから、自分の中でも、職場のみんなの中でも、休職期間は二ヶ月というのが暗黙の了解みたいになっていました。

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おうちで療養生活スタート!

 やっぱり、仕事をしなくてもいいということは、負担が大幅に減りました。それまでは、できないのに、「やらなくちゃ!」って、焦ってばかりいましたし、「職場に迷惑をかけちゃう」って思っていましたから。休職して、迷惑は当然かけてはいたけれど、期待してくれているものを裏切ってしまうということはないので、気持ちが軽くなりました。

 とはいっても、おうちにいて、こころが休まったかというと、そうではありませんでした。とにかく、薬のせいなのか、お昼の3時頃までは起き上がることができませんでした。ようやく起き上がれるようになったあたしは、「さあ、やらなくちゃ!」といって、掃除、洗濯、買物、食事の支度を一気やろうとしてしまいます。ところが、元気なときは簡単にできたものも、なんだか上手くできないし、時間がものすごくかかるんです。特に、買物は恐怖でした。スーパーに行って、いろんなものが並んでいて、人がたくさんいるのを見ると、目が回ってしまうのです。脳の情報処理の回路が、上手く機能していないという感じでした。

 この頃は、「療養」とはいっても、一体何をしたら良いか、わからなくて、闇雲に動いていたように思います。「ゆっくり休む」ということが本当に下手でした。それから、自分がうつ病なんだということを、きちんと受け止めることができていませんでした。自分がうつ病であることを否定してみたり、かと思えば、うつ病とともに生きる自分の未来を悲観的に考えてみたり、とにかく、悪い考えが、いつもグルグルとあたまのなかを廻っていました。

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職場復帰

 二ヶ月というのは、長いようでいて、あっという間に終わってしまいました。あたしは、「療養できた」とはまったく思えなくて、あまり復職に自信がありませんでした。でも、休職前と比較すると、明らかに状態は良くなっていたし、家にいても大して休まらないということがわかったので、復職することにしました。職場はさすが、精神病院だけあって、とても理解があり、主任は、「最初は、ただ病院に来ることだけを目標にして、短時間からはじめて、それから徐々に時間を増やしていけば?」といってくれました。あたしは、おかげで無理なく職場に慣れていくことができました。

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患者さんと接するのが疲れちゃう?!

 そもそも、あたしがリハビリの仕事をしようと思ったのは、誰かに何かをしてあげようなんて、そんな大それた考えからではありません。最初の短大時代に、看護助手をしていて、「患者さんと一緒にいると、なんて癒されるんだろう」って思ったからなんです。看護婦さんも良かったのですが、たまたま、助手をしているときに、リハビリの必要性を感じたので、それを目指したまでなんです。

 まあ、それはさておき、とにかく、患者さんに「癒し」を感じていたんですね。それはきっと、人間が持っている自然治癒力の力が作用しているんじゃないかとあたしは思うんですが。自分の精神が病んでいると、同じ病気を持つ人と一緒にいると、なぜだがとても疲れてしまう。精神科の患者さんは、とても敏感なので、あたしはなんだか、患者さんに自分が悪い人間だということを見抜かれてしまっているような気がしてきました。だから、過剰にいい人風に振舞ってみたり、接触することを避けしまったりしました。これでは、患者さんとの信頼関係も築けませんし、仕事どころではありません。あたしは、どんどん自信を失っていきました。

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トレドミン(SNRI)

 SNRIはSSRIよりも副作用が少ないという情報を得たので、クリニックの先生に頼んで、トレドミンを処方してもらうことにしました。飲み始めてみると、確かにデプロメールと比較して、胃部不快感が出ないし、だるさも全く感じません。調子のいい日の割合が、だんだんと増えてきたような気がしました。ただ、続けて飲んでいると効果が感じられなくなってきたので、最初は15mgを1日2錠飲んでいたのですが、1日6錠まで増やしていきました。

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考え方の違い

 あたしは、「楽しくないことはしなくて良い」という考えのもと、好き勝手なことをして生きてきました。仕事でもなんでも、好きなことや、得意なことをしてこそ、自分の能力を最大限に活かすことができて、社会に貢献できるのではないかと思うんです。しかし、夫は少し違うようです。「耐えがたいことでも、それをやり遂げることによって、人は強くなれる。」といいます。だから、夫から見ると、あたしは、「忍耐力のない人間」としか映らないようです。

 さて、あたしはやっぱり、精神科の作業療法士には向いていないのかな・・・?なんていう風に思い始めていました。そんな矢先、忘年会のときに、院長先生とお話する機会がありました。先生は、「君は、作業療法室のみんなと比べると、線が細い。でも、それでいいんだ。君を必要としている患者さんもいることだし、あまり無理しないで、細く長く続けてくれ。」というのです。先生は好意でいって下さったに違いありません。でも、あたしは「細く長く」というのが気に入りません。あらかじめ、長いとわかっているのだったら、「細く長く」でもいいのだけれど、人生いつ終わってしまうかもわかりません。「細く短く」なってしまうことだって、大いにあり得るのです。そう考えると、先程の話に戻りますが、「耐えがたいことをやり遂げて強くなる」よりは、「楽しいことをして、自分の能力を活かす」ことの方が良いように思えて仕方がなくなってしまいました。そして、あたしはとうとう、病院を辞めることを決意したのです。

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希望のひかり

 精神科の病院を辞めて、総合病院に転職したあたし。もともと、学校に通っている頃は、解剖学、生理学、神経内科などが大好きだったので、勉強が面白くて仕方がありません。しかも、患者さんと1対1で接していると、とても癒される感じがしました。たいていの患者さんからは、生きようとする強い力みたいなものが感じられました。患者さんのお話は、世間話から、人生に関することまで様々でしたが、どれも興味深いし、面白いんです。それから、患者さんが一所懸命がんばっている姿に、幾度となく励まされました。リハビリ室のみんなは、とても忙しい中でも、勉強熱心で、本当にがんばっていました。患者さんの治療のことで、わからないことを聞くと、教えてくれたり、また、一緒に悩んでくれたりしました。少しピリピリとして、余裕のない雰囲気ではあったけれど、あたしはこの新しい職場が大好きになりました。

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いじわるなカラダ

 転職して、ひと月が経った頃からでしょうか、生理前になると必ず、頭痛、吐き気、発熱に襲われるようになってしまいました。最初は風邪かな?と思ったけれど、毎月のことだったので、生殖器系に何か異常があるなと感じて、すぐに産婦人科に行きました。丁度ヒッキーが子宮か何かの病気になって、騒がれていたので、あたしも怖くなって、いろいろと検査をしてもらいました。でも、特に形態的な異常は見つからなくて、「月経前緊張症」という診断となり、漢方薬を頂きました。特に頭痛がひどくて、頭痛薬を飲んでも、眠っても、24時間以上痛みが持続することがしばしばでした。そんな訳で、月に1度は病院をお休みしてしまいます。それでもあたしは、「月に1度しか休んでない!これはすごいことだ」なんて、能天気なことを考えていました。

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家事は気楽に

 夫との信頼関係がより深いものになってきた為か、以前と比較して、家事を気楽にできるようになってきました。掃除機は休みの日にしかかけないし、食事も材料宅配サービスを使うようになりました。仕事帰りの車の中で、今夜のメニューのことで思い悩む必要もないし、買物に行かなくてすむし、材料が余らないので、本当に助かりました。夫は文句一ついうわけでもなく、とても協力的でした。「いい奥さんにならなくちゃ」という気持ちつつも、以前のように神経質になることがなくなりました。

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台風の時期がつらい?!

 低気圧が近づくと、とたんに具合が悪くなるあたし。台風の時期は特につらくかんじられました。またしても、朝起きられないようになってきて、遅刻をしてしまうことがありました。

 ある日、リハビリ科の主任に「月に1度は突然休むし、遅刻はするし、社会人としての常識に欠けている。」といわれました。あたしは、主任もこんなこといいたくないだろうにと思いながらも、あたしはあたしなりにがんばっているから、申し訳ないけど休みと遅刻の件はあきらめてもらおうと心の中で思っていました。そして、「ここまで図々しくなれれば、治ったも同然!」なんて、開き直っていました。

 けれども、そういう風に自分に言い聞かせたつもりであっても、あたしが休んだり遅刻したりした時に、どれだけ患者さんやスタッフに迷惑をかけるかということを考えはじめ、「これからは、何が何でも休まないし、遅刻もしない」と決意しました。そう思えば思うほど、なぜか体がいうことを聞かなくなってくる。結局、休みや遅刻の数は以前より増えてしまいました。

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うつ病であることを明かす

 休みが増えたあたしに、当然のことながら、主任は診断書を総務に提出するようにといいました。あたしはもう、自暴自棄になっていたのかもしれません。もうイイヤ!って気持ちで、「うつ病のため、療養が必要」という診断書を提出しました。産婦人科の診断書を提出すれば良かったなあとも思います。こころの奥底には、「辞めたい」という気持ちがあったのだろうと思います。

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温かい好意を無にしてしまった・・・

 診断書を提出すると、主任は少し驚いた様子を見せながらも、「なんとなく気がついてはいた」といっていました。聞けば主任も、リハビリ科を背負っているということや、その他いろいろなことのストレスから、不眠や胃痛を患って、精神科の先生に相談したことがあるといいます。あたしは、いつもバリバリ働いていて、そんなところはみじんも見せない主任をあらためて尊敬し、それに比べてあたしはなんて弱いんだろうと思いました。主任は、「病気を持っているからといって、ここで折角の仕事を辞めてしまってはもったいない。トロさんが働けるような環境を作れるように考えます。今は重要な決断をすべきではない。」といってくれました。他の先生も、それについて、真剣に考えてくれました。しかし、ただでさえ忙しくて、みんながみんな、一杯一杯の職場です。あたしが足を引っ張る訳にはいきません。あたしが、半端に居座ってしまうと、総務も人を新たに募集してくれなくなってしまいます。あたしは、「みんなに迷惑がかかるから」という理由で、退職を決意し、辞表を提出しました。

 今思えば、主任がいってくれたことは、正しかった。やっぱり、病気が悪化したときは、重要な決断は避けるべきだと思いました。自分を過度に責めていたあたしは、病的でした。休職して、冷静に考えられるようになってから決断しても遅くはなかったのでは?と、少し後悔しています。

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波に揺られることに疲れて

 仕事を辞めたあたし。すっかり自由になって、楽しい生活ができたでしょうか?できる訳がありません。あたしは自分に自信を失っただけでなく、自分の気分や体の調子が、良くなったり悪くなったりすることにすっかり疲れてしまいました。もう自分は死ぬしかないんだと考えました。死ぬにはやっぱり、首吊りが確実だと、ロープを用意したり、それを吊るす場所、実行する時間などを考えていました。もはや、過去のことをくよくよと思い出したり、あたしが死んだら誰が悲しむかなどと考える余裕もなくなっていました。

 しかし、気が付いたら、なぜかいつも通っているクリニックの前にいたんです。その時のことを思い出そうと思っても、なぜか思い出すことができません。覚えているのは、あたしがクリニックのまわりをうろうろと彷徨い歩いていたことと、クリニックの待合室にいる人がみんな狂人じみて見えたこと、そして、クリニックで先生と話をしたことです。先生と何を話したかは覚えていません。

 とにかく、あたしは死ぬのを思いとどまることができたのです。本当に不思議です。誰かに何かをいわれたからとか、そういうものではなく、なぜだかわからないけれど、思いとどまることができたのです。

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木崎湖にて

 仕事を辞めて、2週間後。あたしは、長野の木崎湖にいました。夫の夏休みが取れたので、一緒にキャンプに来たのです。森にかこまれた美しい湖。あたしたちは湖畔にテントを張って、ウインドサーフィンの道具をセッティングしました。そして、お揃いの椅子に深々と腰掛けて、風が吹いてくるのをぼーっと待ちました。このとき、あたしは、久しぶりにやすらぎというものを感じました。心地よい風が頬をなで、次第にそれが強まると、夫が出廷します。夫が乗るボードが、みるみる小さくなってゆくのを、あたしは手を振って見送ります。沖の方で、行ったり来たりしているガラスのかけらのような小さな帆を見ていて、あたしはこう思いました。あたしは、大海原に浮かぶ、ちいさなちいさな帆船だったのだと。にもかかわらず、あたしは、自分がいかにも巨大な艦船であるかのごとく、嵐の中を、突き進もうとしていた。当然、マストは折れ、船は沈没寸前に。嵐はそう長くは続かない。晴れの日は近い。あたしはこれから壊れた船をゆっくりと治すのだ。そして、また旅を続けよう。そこには、出会いと発見があるに違いないから。

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