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退院後の毎日    ■最終更新日 2003/ 7/21■

4ヶ月の入院を終えて自宅に帰り、兄弟並んで眠っている姿を見て「これからは、毎日家族一緒なんだ・・・」とじーんとしました。「日常生活の注意点はありません」と言われていますし、親心であれこれ規制をかけるのはやめ、楽しい毎日にして精神的面から治療をサポートしようと思いました。でも、入院中の外泊と、毎日の生活とでは全然違います。どこまでが過保護で、どこまでが普通の制限になのか・・・・・・試行錯誤しながらの毎日です。

年少時は幼稚園に入らず児童館巡り

退院が1学期のなかばだったので、年少から途中入園しなくてもいいかなぁと、児童館や、運動公園など、親子3人で出歩きました。でも、かんたの町では3年保育が主流なので、なかなか同い年の通園していないお友達はできません。弟がいるものの、やはり同い年の子と遊びたくて、近所の友達が乗る幼稚園バスの帰りをベランダから眺めて待つようになりました。

保育園・幼稚園探し
やっぱり集団保育のほうがいいかもと、近所の保育園や幼稚園に見学に行きました。熱心な先生のいる園、兄弟そろって夢中で遊びだす園、なぜか かんた が門から一歩も入りたがらない園。そのなかに、園庭に大きな木があって、木陰の風が涼しい幼稚園がありました。親も子ものんびりできそうな幼稚園です。どの園でも聞いた質問を先生にしてみました。

「通院中なのですが薬を飲ませてもらえますか」
「いいですよ」
「治療のために月に数回休みますが、園生活に影響ありますか」
「ありません。うちの園では、どの子にも疲れたら休むように言ってます。」

とっても肩の力の抜けた回答に、「ここにしよう!」と急に決心。さっそく「年少から途中入園したい」と申し込みました。ところが、「年少は定員になってるので入れません。来年の年中からの申し込みになります」とのこと。定員を守る園だから余裕があるのかなと納得すると同時に、入園が延期になってホッとした気持ちもあります。(まったく子離れができていなくて)かんた も別の園に今すぐ入るより、この園がいいと言うので来年の春を楽しみに、ときどき幼稚園にも遊びに行くことにします。

通院はつづく
2週間ごとの通院やその後の様子を、当時のメールや日記から抜粋します。

<退院1ヶ月後>
ひもを見かけると、げんた やわたしの腕に巻き付けて「すぐ終わるよー」と言いながらボールペンでチクっと刺す「採血&注射ごっこ」に凝っています。やっぱり、治療はストレスなんですよね。

<退院2ヶ月後>
これまでとは、別人のように「かんちゃん、泣かないよ」とひとりで採血&注射してもらえました。その次の時も、「今日も、泣かん」と平然としているうちに注射が終わりました。もう、びっくり。うれしさ半分、注射が日常化したんだなぁと感慨半分という気持ちです。

<退院6ヶ月後>
大泣き&大暴れに逆戻り。先生をミニカーで殴ろうとして大変でした・・・・

<退院7ヶ月後>
先生方のほうでも手を焼いて、ペンレスという注射の痛みを和らげるシールを出してくれました。通院の1時間くらい前に貼っておくと皮膚が麻痺するそう。1回目は「やっぱり、痛い!」と言ってましたが、2回目からは「全然痛くない」?

<退院9ヶ月後>
家族みんなで献血ルームへ。これまで怖がっていた夫も初献血。子供達は、おかし食べ放題の待合室から一歩も出ません。沢山の人が採血している姿に、かんた は興奮。「ねえ、あの採血(献血)した血はどうするの?」と聞くので、「病気やけがで困ってる人に点滴してあげるんだよ」と教えたら、「もしかして、かんた もした?」と聞いてきました。「そうだよ」と答えると、しばらく黙って考えている風でした。

<退院10ヶ月後>
次回の髄注からは、12週毎になるとのこと。(今までは8週毎)素直に喜ぶ夫をみていると、自分の心配性が嫌になりますがちょっと不安。治療が軽くなるのって、良いことなんですよね。うん!

周囲の人達
かんたの入院中、「あれ? かんたくんは?」と、聞かれると「隠すことでもないし」と病名や状態を答えていました。公園友達や、近所の奥さん、メール友達・・・ただ、ずっと入院に付き添っていたので、人に会う機会は少なかった。手伝いに来ていた母も、聞かれたら話していたそうなので、病名が病名だし近所の噂になっていると思って退院しました。

退院数ヶ月後、隣の家の人に「かんた くんは、いつも元気でいいわねー」とまじめな顔で言われて、おもわず「はぁ」と答えてしまいました。(隣の子は食が細くて、丸顔のかんたがうらやましかったよう。)「あれ、みんな知ってると思ったのに・・・」案外広まっていないの? この機会に、自分から話せば良かったのですが、なんだか言い出せずに終わってしまいました。そういえば、丸々と太って退院してからは、良く知らない人に「もっと外で遊ばせてあげないと」といわれるなど、肥満?とは思われても、病後とは思われなかったよう。髪が抜けなかったせいですね。

一方、退院を知った親戚からは、宗教の勧誘が何回かありました。知人からは、健康食品情報がきました。また、街で夫の同僚にばったり会った時「子供には罪が無いからな」とオヤツ代を頂いたことも。いろいろと心配してくれることに感謝するものの、ちょっと負担に感じたのも事実。こんな、できごとの積み重ねも自分から闘病中であることを周囲に話すのをためらった原因だと思います。

旅行
夏には家族で電車や船に乗って、小さな島に1泊旅行をしました。感染症などを心配して自家用車での移動が多かったので、子供達は乗り物に大喜び。プールはやめてといわれていたので、水着を持っていかなかったのですが、かんた は海を見るなり物も言わずに服のまま飛び込んでいきました。大喜びで、楽しそうでした。きれいなビーチで人も少なかったので、誘われるままに夫と私も げんた も洋服でバシャバシャ遊んでしまいました。(洋服のまま海水浴する4人家族って、かなり異様だったかも・・・)

幼稚園時代(年中・年長)

待ちに待った入園。「たんぽぽが咲く頃になったら、幼稚園に入れるよ」と教えていたら、3月頃からたんぽぽの花を探していました。探すとあるもので「ママ! もう咲いてたよ。明日、幼稚園?」と喜んで摘んできたことも・・・・・・「えーっと。もっとたくさん咲いてから・・・」

入園時に先生には、通院で定期的に休むこと、ときどき薬をお願いすること、その副作用のことを話しました。また、「なにか感染症が流行しだしたら、教えてください」ともお願いしました。とにかく幼稚園は楽しそうでした。入園直後は、通園バスに乗る時に「やっぱりママがいいー」と泣いたこともありますが、一月ほどして馴れると毎朝ウキウキと出かけていきました。はじめは、先生と遊具に夢中、そして次第に友達もできてきました。
服薬のお世話(オブラート)
幼稚園で薬を飲ませてもらう時は、名前を明記したプラスチック容器に袋状のオブラートと薬の袋(プレドニンを等分したもの3つ)をいれて、バスの先生に渡していました。お弁当が終わると、すぐに「かんた くーん」と先生に呼ばれて飲ませてもらったようです。かんたは先生が大好きだったので、薬を飲ませてもらうことも うれしそうでした。
入院以来、ずっと粉薬をスプーンの上の水で溶いて服薬させていましたが、入園が決まってからオブラートの練習をしました。でも、舌に吸い付く感じが苦手で「こんな紙食べれない!」と飲み込めません。ある日、偶然「ボンタンあめ」を食べたところ、包んであるオブラートが食べれて、薬にもオブラートが使えるようになりました。それからは服薬の度に使いました。体重から計算されたプレドニンはかなり多いので、1回では包めず、3等分して包みました。毎回、粉薬を3つに分けるのは大変なので、薬局で1回の量を3袋に分けてもらうことにしました。幼稚園のための準備でしたが、家での服薬も楽になりました。
プレドニンの副作用が減少
家では手を焼いたプレドニン状態。不思議と登園中は、なにもなかったようです。幼稚園で特別に子供達でおやつを作る時などは、「きっと、たくさん欲しくて泣くだろう」と思っていたのですが、先生に聞くと落ち着いていたようです。プレドニン中のお弁当も、おむすびを大き目に作るくらいですみました。

髄注でお休みも
外来の度に幼稚園を休みました。幼稚園が病院から家への帰宅途中にあったので、調子が良ければ治療後、遊びによりました。髄注のときは、一日かかりますから園にはよれませんし、次の日も休むことも・・・。だいたい曜日を決めて2週間毎に通院していましたが、幼稚園の行事の日程を教えてもらって、髄注と遠足などの行事が重ならないように、主治医の先生とも相談して治療を進めました。

水ぼうそう流行中
しばらくして、園で水ぼうそうがはやり出しました。医師に相談したところ「プレドニンを飲んでいる間は休ませて」と指示されます。この時始めて知ったのですが、プレドニン服用中は免疫機能が下がっているとのこと。かんたは「幼稚園に行きたいよー。ぼく、げんきよぉ」と騒ぎます。実は、かんたは入院前に水ぼうそうにかかっていました。でも「絶対またかからないとはいえません」と言われて休みました。

半年ほどして、また水ぼうそうが流行した時には「前回大丈夫だったので登園させても良いです。かかったと思ったら、すぐ手を打ちましょう」と言われました。幼稚園大好き!になった、かんたを治療以外で休ませるのはかわいそうで、登園させました。そして毎晩お風呂で、発疹がないかチェックしました。

永久歯
年長になって、しばらくして治療が終わりました。今まで以上に かんた の体調を気にしていたころ、「お母さん、ぼく歯がとれそう・・・」と言いに来ました。「ええっ!! ぶつけたの?」と驚いてから気がつきました。そう、乳歯が抜けて、永久歯が生えてくる時期です。よく見ると、抜けそうな上の前歯の後ろに、もう大人の歯が顔を出しています。「あんなに色々な治療をしたけど、身体は大人になる準備を着々としていたのかぁ」と、感動。その後の歯科検診では、乳歯の奥に6才臼歯というのも生えているとわかりました。
当たり前のことが、とっても嬉しく貴重なことに感じられます。

小学校に入って

年長の秋、「就学前検診」の通知がきました。小学校からの連絡は、近所のお兄ちゃんが封筒に入れて届けてくれました。なにもかもが幼稚園とは違って新鮮。事前に提出する書類には、既往症を書く欄がありました。隠すことではないから小児ALL 経過観察中と書くべきか、生活上の注意点が無いのに書くのも余計かと思ったり。ちょうど、検査に行く時期だったので、「なんて書いたらいいんでしょう?」と聞いてみました。「書いても書かなくても構いません」と言われ、何も書きませんでした。新しい環境に飛び込むのに、学校から先入観を持たれたらイヤだなぁと思ったからです。

ランドセルを買って、さんすうセットに名前付けをして、入学の日を待ちました。治療が終わった時も感慨深かったのですが、「小学生になれるんだ」ということが、とても貴重な節目に思えました。

既往症に何と書く? 書類の山を前にして
入学に前後して、山のような書類がやってきました。学校から、市から、子供会から、PTAから、なんだか一杯です。あちこちに既往症や、主治医などの欄があります。「以上相違ありません」と認め印を押すような書類もあります。さぁ、どうしましょう? 今ごろになって「就学前検診のときから、病気のことを書いておいたほうが良かったかも・・・」と思いましたが、「きっと、後から追加で記入することもできるだろう」と既往症は「無し」で統一しました。主治医の欄には通院先を明記しましたが、「緊急時には担当者の判断する病院で構いません」にしました。

いくつかの用紙は、その後2年に進級した際に、もう一度記入したり、1年の時に記入した用紙が戻ってきて書き足すようになっていました。1年生の1年間が無事に過ぎたこともあり、2年になった時にも書き足さずに提出しました。

ちょっと矛盾しているのですが、お役所的な書類には病気のことを書きませんでしたが、学校での集団予防接種(BCG接種)の問診表には、「小児ALL 治療終了1年○カ月 現在経過観察中 」と明記しました。医療関係の書類という感じがしたので・・・。別に問い合わせも何も無く、予防接種をしてもらいました。

これからのこと

病気のことを子供と話し合う時期
いつかは、病気のことを かんた に話していかなければ、そう思いながら本人が聞いてこないままに終わっています。「本棚」のページでも紹介している「君と白血病」の本では、8歳くらいからの患児を対象に病気のことを説明しているので、そろそろ かんた にもわかるころです。治療中は髄注の絵をみせて、かんたが麻酔で寝ている間にどんな治療をしているか説明したり、点滴している子供の絵を見せて「病気の子は、治るように点滴や注射を頑張るんだよ」と教えたりするのに使い、その後いつも本棚においてあります。

この頃、ホームページを作るにあたって再読していますが、横にいても かんたは知らん顔・・・。きっと、あと何回か検査に行くうちに聞いてくると思って、待っています。

のぞみの会(がんの子供を守る会)との出会い
退院後、会の存在を知りました。地方支部の一つがこの街にあることも。でも、幼児二人の相手で精一杯で、知らない人達の団体に入る勇気が持てないまま、そのことを忘れていました。

最近、縁あって がんの子供を守る会の活動に誘われました。子供向けのお楽しみ会のようなものや、大人向けの活動、兄弟のための活動など、いろいろな行事があるそうです。かんたのように治療を終了した子供が、成長して自分の病気を向き合う時には、福祉関係の専門家から援助も受けられるとか。いつかは参加しようと思いつつ、まだ、参加をためらっています。会に参加する前に、病気のことを家で教えるのが先のように感じています。


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