99年の夏にタイとベトナムとカンボジアに行ってきた。大変、良かった。最初、タイで3日過ごし、ベトナムで一週間過ごし、タイに帰りカンボジアで4日過ごし、タイで一泊して帰国した。結構、ハードスケジュールだったので、ゆっくりできなかったなぁ。
春が過ぎた頃だろうか。突然のヒラメキなのか、現実逃避なのか、僕は旅に出ようと考えた。
そして、あまり考えずに所持金の多くをつぎ込みエアーチケットだけを購入した。とりあえず、目的地であるタイの観光ガイドを立ち読みするも、目についたのはカオサンとチャイナタウンには安宿があると言うことだけ。それ以外の文章は僕には、くだらない授業の教科書のごとく、ただ、右から左に通りすぎるだけだった。
待ちに待った出発の朝がやってきた。前日の25日には誤って朝10時頃に起床して慌てたが、今日は正真正銘の1999年7月26日だ。カレンダーを確認する。間違い無いし夢ではなかった。
旅の期待と不安が交錯する中、京都駅に向かう。夏休み前まで肉体的にも精神的にも追い込まれたものがあった。その為だけではないと思うが今回の旅について何も考えていない。「何のための旅行?」「何をしに行こう」ここ数日、僕が自分に何度も問いかけるが、考えれば考える程、答えが遠のく。旅の目的を考えることはナンセンスなのかとも思ったりもする。それとも「何のためなのか」という答えを探しに行く旅なのかと。
京都駅から特急はるかに乗り、関空に到着する。約3年ぶりなので、記憶と案内標識を頼りに歩く。チェックインを済まし、税関を抜け、飛行機を待つ。あまりにも暇だったので、友人に電話をする。「行ってきます」と一言済ますともう迷いは無かった。なんとかなるじゃなくて、自分の身は自分でなんとかする!
飛行機はフィリピンのマニラ経由だった。途中のマニラでは飛行機を降りて空港で待った。待ち時間の間、トイレに行った。手を洗わず、出て行こうとしたら、一人の男が石鹸を出してくれた。蛇口もひねってくれた。それから、彼はチップだと言い、千円要求した。バカな。一体、どこの国で蛇口をひねったぐらいで千円稼ぐ事ができるのだろうか。リッチな日本でもそんなことで簡単に金は入らない。アホらしい。僕は彼を払い除けてトイレを出ていった。
それからマニラの空港で待っていると、館内放送が流れた。
Attention, please. All passenger have to stop under control...
ハイジャックか?英語があまりわからない僕は一瞬、背筋に寒気が走る。「ダイハード2」じゃあるまいし。
「またトラブルですか。この空港ではよくあるみたいです。」一人の日本人が話し掛けてきた。彼はマニラからバンコクに行くと言う。マニラでは睡眠薬強盗に合って金を盗まれたとのこと。彼を見れば、何となく強盗された理由も理解できた。彼にバンコクで一緒に宿を探しに行こうと誘われた。他に行くあてもなかったので、とりあえずOKした。
飛行機に戻ると、隣にマニラから乗ってきた中年の東洋人がいた。彼はバンコクに住んでいると言う。名はTさん。しばらく話していると、彼は僕に今晩の宿の事を聞いてきた。ホテルの予約もしてないし、現地で探すと言うと、「うちに来ないか」と誘われた。「金が無いよ」と言うと「Don't
worry」とりあえず、ついてこいとのこと。
異国の地で初めて出会い、しかも言葉も僕のpoorな英語では満足にコミュニケーションを取れない。強盗でもされたらどうしよう。人質でもされたらどうしよう。しかし、先の日本人と徒を組んで日本人に囲まれ生活するよりか刺激的に思えた。「OK!
Thank you」とりあえず、彼を信じる事にした。
バンコクの空港で先の日本人に再会した。僕が彼と行動を共にしない事を告げると「(君みたいな奴は安宿には)やめといたほうがいい」と返された。僕の小さな裏切りに対する捨て台詞にも聞こえた。彼は、去っていった。
空港からしばらく歩いて、Tさんと彼のいとこと共にタクシーに乗り込んだ。どこに行くのだろう。このまま、僕は人質に遇って臓器を売られるのだろうか。初日にして緊張感はピークに達した。Tさんといとこはタクシーの運転手とタイ語で話をしていた。何がなんだか良く分からなかった。不安な僕は彼等の話す内容が、「日本人はボったくれるんだよ。ワハハ」とも聞こえた。眠たかったが寝られなかった。むしろ怯えてた。
1時間ぐらいしてタクシーはバンコクの郊外と思われる場所に到着した。バンコク初体験の僕にはそこがどこかなんて想像もできない。Tさんの家らしきことはわかった。
6階に上がり、マンションの一室のドアを開けるとそこにはTさんの妻と3人の子どもがいた。Nice to meet you. 部屋に入るとTさんは、僕に「くつろいでシャワーに入れ」と言った。自ら裸になり、バスタオルのような布を巻きシャワーに入って行った。いとこはおまえも裸になりくつろげと。警戒した。ここで裸になると金を取られたらどうしようと思った。しかし、彼等に従いシャワーに入った。信じてもいいかも。僕は考え過ぎなのかなぁと思い始めた。
シャワーから上がると卓の上にはタイのシンハービールと牛肉の薫製とタイ風の高菜が並んでいた。薫製はうまかった。高菜もうまかったが、日本人には辛かった。
しばらくすると子どもたちが料理を運んで来てくれた。
いもと卵の炒めもの。三つ葉とキュウリと生エンドウ。Japan Badの丸焼き。辛いスープ。ライス(もちろんタイ米)。
生エンドウは、きつかった。草のにおいが強烈にする。小さな頃に畑のすみに生えている雑草の臭いと生野菜を食べたような味がする。苦い。Japan Badは「とにかくこれは日本にいる蝙蝠だ」といとこが言い張った。見た事ないがとりあえず、頷いた。「Good!」「Delicious!」をくり返した。自分の表現力のなさに情けなさを感じる。
Tさんは隣で子どもと遊んでいた。聞けば6ヶ月ぶりの再開だと言う。
めしが終わり、眠気が襲ってきた。Are you sleepy?と聞かれYesと答えると床を用意してくれた。床と言ってもゴザ、枕、毛布だけの軽いものではあるが、わがままは言えない。それから横になって寝た。
暑さと不安でなかなか寝つけなかった。何度も何度も目覚めた。そうするとTさんは「You think this is your home,and your
house. Don't worry.」
嬉しかった。悪い人ではなさそうだ。
朝までぐっすり寝た。
次の朝は7時頃に目が覚めた。身体中に蚊に刺された痕があった。旅に出かけるまでは、マラリアやA型肝炎に警戒していたが、自分の身体を見たら諦めた。朝から暑い。Tさんは仕事に出かけた。彼は出ていく間際、僕にタイバーツに両替してこいと両替えのできる銀行を教え、そして市内の中心部までの交通費をくれた。実は日本でタイの通貨はいくらか用意していた。しかし、Tさんの好意を無駄にするわけにはいかないし(都合が良すぎるが)。朝食後、運河ボートに乗り込み、中心部に出かける。
World trade centerと言う伊勢丹が入ってるビルに行った。喫茶店でコーヒーを飲む。45bth。日本円で135円ぐらい。まずい。しかもタイの他の物価からすればそのコーヒーは高かったので無性に腹が立つ。日本と同じ味を期待していた僕にも問題があるのだろうけど。
それから本屋に行った。ある作家が言っていた言葉を思い出した。「その国の知識レベルを考える時、本屋に行けばある程度は解る」と。確かに本屋は日本に比べて小さい。ただ、それだけで知識レベルを考察することはできないけど。僕はそこで英英辞典を買う。以前から欲しかったので。理由は他に見当たらない。それが今回の旅での初めての買い物になった。
確かにカオサン通りの露店も魅力的だったが買うには至らなかった。3時頃ボートでTさんの家に戻る。運河ボートは大変気に入った。特に下流から上流に行く時、気分は某遊園地の「急流滑り」といったところである。しかもエンジンが旧式なので振動が激しい。
Tさんの家にもどると彼を訪ねに多くの客人が来た。聞けば彼はミャンマーの少数民族で、自由と独立を訴えてるらしい。兵士とも言っていた。ミャンマーに来ないかと誘われたが、丁重にお断りした。
仲間達はビールを飲み、Tさんを囲みタイ語で話している。言うまでもなく僕は蚊屋の外。客人だから仕方ない。
そこで、暇そうにしている僕を彼の子ども達は見ていた。一番上が男の子。下の2人は女の子。年は小学生ぐらい。そのうち彼等は外人である僕を連れ出し一緒に遊ぶようせがんだ。
彼等は英語が分らない。だから話をする訳にはいかない。したがって僕は最初に折り紙をした。メモの端切れで作った。男だが手が器用なので折り紙は上手い。折鶴を一つ折ると子ども達は感激して、鶴を持って誇らし気に両親に自慢していた。子どもの一人が便せん用紙の束を持ってきた。これで折り鶴を作れと。
一人で作るのは大変だったので、3人の子どもに折り方を教えた。子どもたちはすごく感激し、千羽づるのように糸で繋げて壁に架けた。そして、僕にあれを見ろ、俺はめちゃくちゃすごいだろ。とでも言いたそうな満面の笑みを浮かべた。それからタイの手遊びが始まった。とても楽しかった。子どもは僕を仲間のように扱ってくれた。それが嬉しかった。
夜になり寝た。かなり疲れていたようだ。昨日のように夜中に起きる事はなかった。
今日はバンコクを発ちベトナムに出発する。Tさんがいる間、みんなで写真を取った。この家でお世話になって本当に良かった。Tさんの妻は「息子は新しい友人ができて喜んでいたのにと残念がってくれた。」と言っていた。子ども達は日本語で「ありがとう」と言ってくれた。そして嬉しそうに折り鶴を見せてくれた。
Tさんの家を出てから僕は空港へ出発した。まだ時間があったので、タクシーに乗らず、エアポートバスで行く事にした。エアポートバスの停留所までは僕のお気に入りの乗合船に乗船することにした。相変わらず、タイ版のカリブの海賊は気持ちが良い。再びworld
trade centerに行った。
オープンカフェでJapan風コーヒーとやらを飲んだ。何かが違う。タイのコーヒーは苦みを強調する味である。僕が日本で飲み慣れているコーヒーは酸味が効いている。ただ、酸化しすぎて苦いだけ。とでも言うのだろうか。それ以外の表現は見当たらない。
コーヒーを飲み終えた後、船で王宮前まで行き、エアポートバスを待つ事にした。ところが、待ってもなかなかバスは来ない。エアポートバスの走行経路をチェックしていなかったために迷った。日本人がいたので聞いてみる事にした。4ヶ月もカオサンに住んでるという人だった。短い間だったが、僕にとって有益な情報を得る事ができた。
その時にふと思った。人生も旅も同じかなぁ。一緒に同じ方向に歩いたり、ただすれ違ったり。
旅で出会った人もきっとそうであると思う。ただすれ違うだけの。名前を聞く訳でもないし、仲良くなろうとも思わないし。
バスの多く停留している所を見つけた。走った。間に合わないかと思って。走って、バスを止めた。運転手と車掌は汗だくの僕を見て笑った。
バスに乗った後も時間が気になる。時計を見る。Japan風コーヒーが標的の的になった。あの時、飲んでなかったら、余裕で間に合っただろうにノ。
なんとか、チェックインギリギリでバスに乗車できた。搭乗手続きを済ませ、空港の待ち合い室で待っていた。外人はみなバンコクは暑いと思ってるとでも考えたのだろうか。とりあえず寒い。待ち合い室はいったい誰が管理してるのだろうか。長袖のシャツをバックパックの奥から取り出して寒さを凌いだ。
日本人の女性2人がいた。日本人を探すのは容易である。手にはだいたい地球の歩き方を持っているか、清潔そうな格好をしているかである。ツアー客の場合、旗を持っている添乗員を見つけたらだいたい日本人だと考える。
二人の女性としばらく話した。2人は25-26才ってとこだろうか。そのうち一人は大津に住んでると言う。会社を休んで10日fixでベトナムに行くそうだ。
そのうちにDepartureのアナウンスが聞こえた。一斉に乗客が立ち上がる。
〜タイ編その1終わり〜