〜はじめに〜

はじめに〜

 オイラは脳出血後、8日間意識不明だった。8日目の手術の後、10日目に生き戻ってきた。死は、突然ガツンと来るんだね。それからは、考え方がちょっとだけ変わった。手が動かなくても、歩き方がヘナチョコでも、全然平気。死ぬよりいいやって。リハビリも死ぬ覚悟が出来ているのと、出来ていないのとでは、気持ちの持ちようが全然違うね。人は人、自分は自分っていうか。自分なりの死生に関する考えを持った。この病気になって、唯一成長したのはそんなとこ。


〜気づいたときには〜

 
病院のベッドの上。なんか永い事、眠ってた感じがしたなあ。実際10日間、意識があやふやだったんだけど。死ぬ感覚って、こういう事なんだ。眠ってる延長みたいな感じ。ただ、2度と起きないけど。幽体離脱も三途の川も何にもない。ただ、無になるんだね。

 3月号の新潮45に、帯津三敬病院の事が書いてあった。そこには医者に見捨てられた末期ガン患者が、数多く生還を果たしたことが書いてある。ガンと共生するんだと捉え、良かれと思うことは何でもありの、実に多様な療法が実践されている。入院時の最初の面談で、帯津先生は死を語る。「ガンに打ち勝つには、まず自分は絶対に生き抜くぞ、という強い信念が必要です。しかし、そればっかり思っているとかえってマイナスとなります。生き抜くという心の中に、いつでも死ねるという心を同居させるのです。この2つがバランスよく同居できると、自然治癒力が爆発的に高まるのです。」他の医者は、ボディだけを診るが、マインド、スピリットにも気を使う。こんな病院あるんだなあと思った。


〜はじめての片麻痺
(これっきりにしてほしいよ)
 左の脳がやられて、右半身不能となったオイラは、割と冷静だった。あ〜あ、仕方ないかって感じ。母親にも当たらなかった。ただ言葉が喋れなくて、看護婦さんにイライラすることはあった。あーしたい、こーしたいのはあったけど、割かし我慢してた。つらい、悲しい、苦しいはなかったけど、情けないっていう感情はあった。1人でトイレに行けるまで、1ヶ月半かかった。風呂は3ヶ月かかった。やっぱり、看護婦さんに下のほう見られるのは恥ずかしいよ。

 あと、退院してから、虚血性大腸炎になったんだけど、それも相当恥ずかしい。はじめて浣腸した、トイレで。壁に手をついて、ケツを出して下さいって。あと、肛門鏡とファイバースコープをケツから入れられた。2回も。
 話はもとに戻るけど、左だけの生活にも随分なれた。焼き魚がうまく食べれないのと、ツメが切れないのと、あとは何だろ・・・そんなに困らない。除雪やれとか、どぶ掃除やれとか言われると困っちゃうけど。あとは、経済的影響かな。昨年長女が生まれてから思うんだ、もう1人子供がほしいけど無職だし。


〜リハビリ〜

 はじめてリハビリ室に行った時は、オイラが一番重症じゃないかって思った。平行棒を歩いた時には、涙が出たね。だって、足が前に出ないんだもん。先生が、一歩一歩、オイラの足を蹴ってくれないと歩けない。それから、笑っちゃうほど痙攣がすごい。足首・ふくらはぎ・ケツ・手首・肘。ひどい時は右足を前に出すたび痙攣するんだ。やんなっちゃう。

 それと最近思うんだ。「がんばる」とか「○○さんを目標に」とかは、脳の患者にとって絶対言っちゃいけないことだと思う。リハビリの先生だって言うんだけど、オイラはこう言いたい。十分がんばってるよって。だって脳は、研究がはじまって100年たらず。何も解ってないのと一緒だから。少しの可能性のために、リハビリやってる。ちょうど3月号の新潮45に、高島忠夫さんが「うつ病」と闘った、高島政宏さんの手記が載ってた。(抜粋)それでも、その苛立ちの感情を父にぶつけてはいけないのです。私たち家族が父にできることといえば、ただ見守ることだけです。うつ病患者に対して「がんばれ」という言葉は絶対に禁句です。その言葉で、余計精神的に追い詰めてしまうからです。

 今、片麻痺になったオイラは、よーく解る。病院の待合室やスーパーや散歩で会う近所の人から、よーく同情される。「まだ若いのに大変だね」とか「悪い方の手、出来るだけ使いなさい」とか、ほっとけよ、自分がアポってみろよ。ほんと「同情するなら、金をくれ」だっての。話はかわるけど、ある生命保険会社から、オイラが死ぬまでに必要なお金を計算してもらったら、1億5000万だって。まいった、まいった。


〜本〜

 日本の差法(バリアフリーを笑え) 対談 ビートたけし×ホーキング青山 新風舎 には笑った。退院して読んだ新聞の中に広告があって、くろねこヤマト便で送ってもらった。笑っちゃうんだけど考えさせられるんだ。この部分を読んでドキッとした。人から感動をもらってるんじゃねえ、自分が感動させろ!それからホームページ作ったり、公務員試験受けたりした。試験は落ちたけど。今は、水泳してみたい。片麻痺でバタフライ。


〜酒〜
 退院後、すっかり日本酒等になった。毎日風呂上り、缶ビールを1本飲み、それから日本酒をコップに1杯飲む。なんとも言えずうまい。競馬もパチンコもやめた。なんとなく、けじめとして。そのかわり、日本酒1杯だけは許してもらおう。母ちゃんのレモン入り塩辛を肴に。
 

〜ホームページ〜 
 オイラと同じ脳動静脈奇形のページもあったし、もっとびっくりしたのは年配の人が脳卒中・脳梗塞の体験記・リハビリ日記を公開していることだ。びっくりした。オイラは人と違って、笑える片麻痺のページを作ってみたい。笑えるのは、人間の特権。オイラは、サルやチンパンジーや犬やカラスが笑ったのを見たことない。あっそうそう、人とゴリラが、手話するのは見たことあるけど。それは、泣くのを忘れるくらい悲しかった。何年か女の研究員が訓練して、会話を出来るまでになったんだけど、その時ゴリラは「おかあさん、人間に撃たれた。」って泣きながら言うんだ。ほんとに涙ながしながら・・・・・
 話は元に戻って、長い入院生活は、案外笑っちゃうんだ。普段の生活なら、お目にかかれないよ。入院生活を見てね!


〜プチ麻痺〜
 ションベン、ウンコがおかしい。なんか・・・回数が多いとか、すぐ行きたくなるとか。そのかわり、行ってもチョットしか出ない。心配なのは我慢が出来ない。
喉が変。常にタンが絡んでる様な。タンを出せないっていうか。
ウィンクが出来ない。右目だけを閉じれない。
耳が動かせない。高校の数学の授業中、あまりにも暇なので2ヶ月掛けて練習の末、出来るようになったんだけど、今は左耳だけ動く。それもかなり変。 




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