患者さんの乳癌治療体験(作文)

A。無題
第2回、中央病院乳癌患者の会(フォワード)が、8月26日開催され約30名の方が出席された。私もこの日の参加をずい分、心待ちしていた。皆さん若々しく活気に溢れて拝見するだけで楽しかった。初めてお目にかかる方がほとんどと思ったが、なぜか懐かしく感じられた。同じ病気と闘い、それぞれ悩み、その悩みを表面には出さず頑張っていらっしゃると思うと涙が出そうだった。会では抗癌剤の副作用のことが話題になった。私も昨年10月頃、右手の薬指、小指が不自由になり、お箸が持てなくなり、食事はスプーン、フォークを使い、焼魚などは手で直接骨を除いていた。抗癌剤の副作用か年齢的なものかわからなかったが、先生に相談したところビタミンB12の内服薬をくださった。私も「ハリハリボール」という福祉器具を使って「マッサージ」を続けた。今では、お箸を使うことが出来る。この夏、ずい分暑かった。冷やしソーメンをお箸を使って、美味しく堪能した。又焼き魚は勿論、磯魚の煮付などもきれいに骨がとれるようになり「猫またぎ」という表現が出来る位、上手に箸を使えるようになって、楽しい食事をしている。まだ右手に異和感は残っているが毎日の生活は、不自由のない状態で私は満足しています。この先だんだん老いてゆく身体、ガンと闘い、抗癌剤の治療も続くと思う。抗癌剤の副作用といわれる症状が現れるかもと思ったりするが、、そんな場合、適当に対応して生きてゆかねば、折角ここまで元気にしていただいたのだから、もすこし欲を出して行きたいと思う。それが小川先生をはじめ看護婦さん、病院の皆さん方に、私が出来るたった一つの恩返しと考えている。本当に有りがとうございました。でも今の私には夢がある。半年、いや一年先でもよい。実現出来ればよいと思っている。それは列車に乗って、一人で旅に出ること。今はJRの時刻表やガイドブックスなど広げていろいろ計画をして楽しんでいる。若い頃訪れた臼杵の石佛、あの大日如来のお顔をもう一度写真に撮りたいと願っている。欲ばらず目的地を一カ所にすれば、日帰りもかのうのようで嬉しくてたまらない。

B。乳癌と私

がん、ガン、癌、どう書いてみてもガンは癌です。
乳癌という診断を受け入院が決まった後、簡単な書類を書こうとしたがどうしてもガンという漢字がはっきりと思い出せません。いつも自分とガンは全く無関係だと身勝手なおもいこみで生活していた証拠です。でもその漢字を辞書で探す勇気はありません。まわりの人に聞くなんてトンでもない事です。普段の予想以上にたったひとつの漢字にこだわったている自分がこのこだわりは何なんだと滑稽にも思えました。私はそんな臆病者ではないはずだなどと様々な思いが頭の中でいっぱいになっていくのが自分でもよくわかりました。「どうして私だけがガンになるの」「私何も悪いことなんかしてないのに」「もう私には明るい未来はないの」そんな質問を自分で自分に激しく問い掛けました。
 本当に癌という字が自分に素直に受け入れられたのは手術も無事終わり4週間の入院生活も終わった後でした。あれから9ヶ月、抗癌剤の点滴治療も経験しました。現在も抗癌剤を1日3回服用しています。手術の傷跡も少し気になります。
 だけど私は元気です。病期に成り生活は180度変わったけれど私は今、間違いなく元気です。心も元気です。病院の先生の診断を素直に受け入れられる心構えも出来たつもりです。そうはいってもこれから先の人生何が起こるかはわかりません。そう立派なことばかりも云っていられない時期もまた来るでしょう。
 でも今、私は心身ともにとても元気です。

 

C。初心から手術まで

「あんた、こりゃあ悪性じゃが!命を大事にしなさい!!」名前をよばれそっとカーテンを開けて入った私への先生の第一声だった。ある程度の覚悟はして来ていた私にとってのこの言葉の重みよりも、むしろその先生の大きな声を迫力に「え?」私はこのカーテンの外にどんな顔をして出れば良いのかしら、だってこのカーテンの外には数人の人がいらっしゃるのですものーーー。先生の前には、さっき撮ったレントゲン写真が4枚はってあった。外来へ来て問診票を書き、すぐにレントゲンに回され撮ったものでした。でも私にはそれがどんなものかもわからないまま「明日午後1時エコー検査に来なさい」との先生の言葉を後に病院を出ました。次の日(火曜日)1時、再度病院へ、そしてエコー検査に行った。先生は女医さんでやさしく昨日のドキドキはおさまった。エコーが済み外来へ行って逢った先生も昨日の先生とは違う方。しかし「やはり手術はしなければと思います。後で看護婦さんの説明を聞いて下さい。」とのことだった。「先生空室待ちですか?」「いやカンファレンスの結果です」とそのやりとりの後、明後日木曜日の朝電話します。入院は来週になると思いますから支度をしておいてください、とのことだった。家に帰った私は主人にこのことを話すと、主人は急に落ち込み口をきかなくなってしまった。仕方なく話題を変えたり、ごくごく普通にふるまったりしながら木曜の朝を待った。予定通り病院からの電話。これには又びっくりさせられた。「今日2時に入院してください」「え?」それからの4時間ばかりはどのようにして入院の支度をし少々家の中も片づけたのか全くのパニック状態。でも何とか用意ができタクシーで病院へ、こんな私にとって悪性だとか手術だとかと悩む時間もなかったと言えるのかもしれません。しかし明日は手術という日、病院のベッドで静かに月曜日からのことを思い出してみた時、この数日の大変さが私にとっては幸せだったのかもしれないと思えてきた。悩む暇さえなかった、ただ決められたレールの上をアレヨアレヨと走っただけ、そして初診の先生のあの迫力あるあの言葉も、一日も早く手術をすれば良いのですよ!!!という暖かい言葉のようにも思え、みんな私にとっては良い方向に導いてくださったのかな、等と考えながら、手術前夜の安定剤の力もあっていつしか眠りについていた。3年8ヶ月前ばかりのことである。

D。無題
しこりは思い出せない位前からありました。その大きさまではチェックしていないけど、2ヶ月前急に胸に物が当たった時、何ともいえない不快感が走り、痛くも痒くもないのにその不快感が日に日に増してゆき、もやもやした想像をスカッと否定してもらうつもりで初めて受診したのです。誰にも言わずに病院へ行き、初診時にすでにがんかもしれない、次回家の人と来るようにと言われ、病院の玄関を出て車に乗り込み、駐車場を出たら急に後から後から涙がこぼれ、前が見えないまま家の近くまで戻ったら、潮が引くように涙も引いてゆきました。後にも先にもポロポロと泣いたのはこの10数分間だけでした。でもその後は泣く以前の状態です。何?ウソでしょう。乳癌ってふくよかな胸にできるんじゃないの?私みたいな超貧弱な胸には絶対縁のない病気だと若い頃から思い込んでいたものだから胸いっぱいに癌がはびこっているように思え、あとはもう自分で勝手に死と結びつけることしか頭にありませんでした。癌の中でも乳癌は予後がよくて生存率が高い。薬が次々に開発されていてしかもよく効く。内臓の癌に比べれば術後も回復が早い。 ・・・・そんなことどれだけ並べられても頭の中は死!死!!死!!!。確実に死ぬ人がいる病気。死ぬかもしれない病気。やせ細り、耐えがたい痛みを伴う病気。何といってもいちばん怖い病気に自分はなってしまった。しかも初期ではない。連日連夜一人になると落ち込みました。主人にも何も言わず友人にも言わず、親にも言わず、だから泣くことができなかったのかもしれません。弱音、不安、恐怖を素直にぶつけられる人が居たらきっと終始メソメソ、ポロポロ取り乱していたことでしょう。手術前には入院中、子供(5歳と7歳)の預け先に四苦八苦し、主人と意見が食い違ったりして、前日まで病気の事は話題にのぼりませんでした。そして入院、手術順調に回復し退院。そして今日で10日になりますが、いったい私の中で何があったの?というくらいまわりは変わっていません。私も一生懸命ふつうに生活しています。でもやっぱり日に何度も思うんです。この人(主人)より、この子達より先に死ぬんだろうなあって。この子達が何歳になるまで元気にごはんつくってあげられるのかなあって。2年?5年?10年?いやになるくらいこんな風なたぐいのことばかり思うのです。まだまわりの人に病名を告げることはできません。家の中では何も知らない子供達と心のケア、フォローを全く不必要と考えている主人との生活の中、本音をぶつけられる相手がいないことが、よいのか悪いのわからないでいます。なかなか簡単には前を向いて笑えないでいます。再発、転移におびえてくらす(自分の心の中だけで)ことを思うと気が滅入ってしまいます。心のしこりは自分で大きくしてしまうものだとわかっているのですが・・・・・。匿名。40歳。

E.今から乳癌治療を受ける人へのアドバイス

はじめに

自分の病気を自覚し他人にまどわされずDrにお願いする。必ずいい方法を考えてくださる。私の場合、ずいぶん悪い状態で受信しいい治療のおかげで元気になれた。院長回診の時「いい薬に出会ってよかったね、すっかり癌細胞がなくなっていたよ」とおっしゃってーーー助かったと思った。

乳癌の検査

放射線技師の指示にしたがって、又不安な時は聞くこと。誰も初めてのことで不安なのは同じ。穿刺法は特に痛いものではない。MRI(磁気共鳴画像)金属はだめ、よくわからなときは技師に聞くと良い。(鋼線)高い音が出るがミュージックあり。

手術の合併症

皮下の浸出液は普通の注射針で抜くので、特に痛いものではない。患側の腕のしびれ:1年位で徐々に快復する。自分の手で触れてみてしびれているのがわかる程度。腕の腫れ:患側の腕での血圧、注射、採血などは不可、傷をつくらぬよう。重い荷物:重い腕時計、力を入れる作業なども不可。鞄などを肩にかけない。作業(土いじり)ゴム手袋、作業用手袋などを使用するとよい。衣類など腕をしめつけるようなものはさける。袖口のゆったりしたもの(半袖)は腕の腫れた状態がわかる場合もあるので気をつけることが出来る。

D.化学療法

副作用について:血液関係(造血作用に影響する)白血球の減少、週一回の検査もあり(必要に応じて)3000以下で点滴は中止となることあり。外出はなるべくさける。人混みは気をつける。帰宅したら必ず手洗い、うがいすること。風邪に注意。貧血、食事に注意(野菜中心に)。脱毛(毛根に作用、眉毛、まつげ):1年位すれば生える。抜け毛はガムテープを使用すれば簡単に処理出来る。洗髪時には抜け毛を除いて髪を濡らすこと、濡れると一塊になっていい髪と団子になってしまう。要注意。胸水:日常生活には特に支障ない浮腫(水分の摂取には関係ない):水分の制限など必要ないが一応ドクターに相談すること。

食事

毎回適当に食事をとる。食思がない場合でも牛乳、果物、軽食でもよいから必ず。健康食品など:ドクターに相談する。

術後の検査

指示による検査、治療は必ず受ける。何か変わった症状があればドクターに相談する。一人で悩まないこと。

その他

手術は案ずるより生むが易しの諺とうり。私も手術の日がこの世から消えて次の日にならないかと真剣に思った。術後は楽だった(以前の開腹手術に比べ)。食事の制限はない。許可が出て入浴出来る時は手に石鹸をつけて軽く傷の上をなぜるようにするとよい(タオルでこするのは何か不安だった)

 





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