41年生まれ
自分の存在を意識し始めた頃には、母親による虐待および姉弟からの小さないじめが繰り返されていました。
共働きの両親に変わり、私たちの世話をするのは祖父母の役割となっていましたが、それは名ばかりのこと。
母は私達が祖父母と接することでひどく不機嫌になり、そのための母親の負の感情はすべて私に向けられました
当時私たち子供と接してきた大人の中に、私達が、かけがえの無い存在であり、ただそこに居るだけで十分愛される
価値のある一人の人間として尊重してくれる人は誰も居ませんでした。
私達姉弟は次第に祖父母との何気ない会話さえ避けるようになり、祖父母も孫の心に触れようとはしませんでした
姉弟は、いかに私が祖父母と楽しく話していたかを母に告げることに夢中になりました。
私は自分の居る空間が常に緊張していて、それがいつ爆発するかもしれない恐怖と戦っていました。
そして、何故姉や弟には当たり前に差し出される食事や衣類が自分だけに無いのか、何故自分はいつも喉がカラ カラに渇いていて体が汚いのか、その頃の私には親の感情と言うよりは目の前に見える物質的な物が自分だけ満たされて居ない事への小さな疑問を
感じないように、心の奥へ押し込める事にエネルギーを使いました
18歳までの人生は私にとって、もっとも過酷な時期であり、その環境は「家庭という名の牢獄」でした。
S59年 私は、長い間私にいじめを繰り返していた姉の後を追うように、姉と同じ職業を持ちました。
憎むべき存在の一人である姉を追っていた私の行動は「姉のようになれば私も認めてもらえる」と言う
身体的には成熟した立派な大人でありながら、心の中に取り残された小さな私の、「何とかして愛されたい」
と言う心の叫びでもありました。
H5年 27歳 結婚、退職、8ヵ月後には長女を出産
子供の誕生は、忘れかけていた、忘れたと思っていた私の傷が再びずきずきと痛むきっかけとなりました。
傷口は、無意識の世界でいつの間にか大きく開かれ、私はかわいい声で泣く赤ん坊を前に、
自分では理解も対峙も出来ない恐怖に押しつぶされていました。
しかし私には、この感情をうまく処理する人格が存在していました。
私の心から不安と恐怖が覗くたびに、無意識に彼女を呼び出し「何も感じない事にする」事で
、私は外見上は不安のかけらも見えな い「さわやかな、お母さん」となり得たのです。
こうして、無意識の世界で子育てに対する不安を抱えていたにもかかわらず、私は次々と出産を経験しました。
ここには、「性欲を処理する事」だけに関心を持ち、子供を持つと言う選択がどういうことか、「人の親になるとはどういうことか」等は
考えてみる事も無い一人の男と、ただその甘さに従う事で心が満たされている一人の女と言う大人として未成熟な夫婦が居ました。
H6年 次女出産
H7年 3女出産
H9年 長男出産
H12年 転勤により現在の地、栃木県へ転居しました。
H14年 34歳 過去を整理し自由になりたい!
この年から私の過去を見つめる長い旅が始まりました。
すべては、私が一人の人間として自由になるために・・・ そして私の傷を子供に連鎖させないためにです・・・
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