川上先生便り
立川病院神経科に入院して川上先生にかかっている方
、外来で川上先生の御世話になっていらっしゃる方、
そして,このページにアクセスしてくださった方、こんにちは。
私は昨年の10月31日から立川病院精神神経科に入院して
、3月22日に退院した川上先生が主治医の患者です。
今も外来に通っています。
去年の10月ごろから手足の痙攣や背中のしびれが止まらなくなり、
食事が出来なくなり一番ひどい時は立ち歩けなくなりました。
でも精神科への偏見が根強かったため、
入ったら最後何をされるかわからないと思い、
様子がおかしいのを心配した家族に
近くの大学病院の精神科に連れて行かれたのですが、
入院させられたら大変と嘘をつき実際のところ大丈夫ではなかったのですが
、大丈夫ですと繰り返しました。
その後様態が悪化し、立川ではない精神病院に救急車で運ばれ、
そこで重い肝障害を起こし、立川に再度救急車で運ばれる運びとなりました。
その後立川でも様態が悪化して、三日間近く寝込むという体験をしましたが、
幸いな事に川上先生に退院できるほどに回復させてもらえました。
そんな今となっては薬もちゃんと飲む優等生患者ですが、
入院初期は、川上先生を信じたいのに信じられなくて、
やっぱり症状を隠して「大丈夫です。退院させてください。」と繰り返し、
また、薬を捨てた方がいい気がして、
薬を捨てた事もあります。
不良患者でした。そして先生を信じられないので、
安全ベルトがベッドに縛り付けて閉じ込めてしまうもののようにも感じたし、
入院生活初期の頃は余計な恐怖と川上先生への敵意でいっぱいでした。
寝こんだ後に、川上先生の優しさに触れる機会もあり、
安全ベルトもすぐに外され、
恐怖心はなくなっていったのですが、どうせなら一番具合が悪かった頃に
症状を隠して一人苦しんだりせずに、
素直に状況を語っていたら、事情を理解してもらって、
回復も早くて、もう少し幸せだったかもしれないな、と思うのです。
ただ、当時の私には、回診の短い時間だけ顔を会わせる
川上先生がどういううことを考えている人なのかもわからず、
とても信頼する事は出来ませんでした。
 外来診療になってから、短い時間ですが、
入院中に医療に興味が出た私の質問に
毎回一つずつ答えてもらうことにしました。
最初は、「心」という謎に迫りたいなどという
大げさなテーマだったのですが、
やっていくうちに、川上先生がどんな気持ちで
医療行為に携わっているかがわかるところが面白いと思うようになりました。
これを知っていれば、
川上先生に心を開くのがもっと楽になるかもしれないと思います。
そこでこの「川上先生便り」を作ってみる事に決めました。
一人でも多くの患者さんの
病状が良くなる事を願います。

★共感すれど同情せず
 記念すべき第一回目の私の質問は、
「精神科医の先生は心をどういったものとして捉えているんですか」というものでした。
私の場合、悪夢はまあ精神科に属する症状だと納得できるにしても、
食べられない、手足が激しく痙攣する、立ち歩けないという身体的な病が問題なのに、
何故精神科に何の迷いもなく運ばれたのか謎でした。
納得いかないまま精神科に運ばれたので、
入院中「心を病む」とはどういうことなのか、一体心とはどういうものなのか、
何故先生は心を病んでいるとわかるのか、
精神科のお薬と言うのはどこに効いているのかなどの多くの疑問符が出ました。
そこでこの問を投げかけてみると、
「人の心なんてそう簡単に捉えられるものじゃない。
でもその人の服装や化粧、表情、話した時の違和感などから
根っこの心はこうなんじゃないだろうかと想像することができる。
木の枝などから根っこの部分は大丈夫かを推測するようなもの」だそうです。
私の入院初期、「退院させてください」と繰り返していた頃、
「そんな固い顔をした人間を退院させられるわけないだろ」
とよく怒られたのですが、
私の顔から川上先生は私の心の状態を推測していて、
それが明らかに心の病を表していた、ということのようです。
そんな風に推測しながら川上先生は「気持ちの流れを読んで」
「共感へと至る」らしいのです。
精神科医の仕事を続けていると、
だんだんと気持ちの流れみたいのが読めるようになるとのこと。
「こういう時はこういう気持ちかなって言う感じ」だと言います。
気持ちの流れを読み、患者さんと共感することは非常に大切、
でもそれ以上に同情する事はしてはいけないと
川上先生は何度も語っていました。
精神科医として仕事をする上で、
この事を非常に大切にしているようです。
共感と同情はよく似ていますが、辞書で調べると、
共感とは「他人と同じような感情、意見を持つこと、
またその気持ち、同感」とあり、
同情とは、「他人の苦しみや悲しみなどを、
その身になって感じること。情けをかける事。」と違います。
この同情が何故いけないかというと、
「相手にとって重荷になってしまったり、
もっと問題多い事に、判断を見誤る事もある」からだそうです。
判断を見誤る例として、
うつ病のおばあさんの場合を挙げてくれました。
うつ病の御ばあさんの愚痴が増えてきているのをかわいそうに思っていると、
かわいそうな事が増えているのではなくて、
精神の症状の方が悪化していたりするそうです。
また家族の幸せを壊してしまう例もあげてくれました。
料理しない奥さんがいて、
かわいそうだから旦那さんに料理を要求したら奥さんは楽になる、
けれど旦那さんの負担が増えてしまい、
結果としてその家族にとっていいとはいえない、と教えてくれました。
精神科医療の目指している先が個人と家族の幸福であり、
それを目指す際に、安っぽくておそらく簡単な
精神科医の同情には害があるとよく伝わる例であると思います。
 「気持ちの流れを読む」と、患者さんを「見抜く」
ことになる場合が 多くなるようです。
私の場合も私にとっての一番のストレスが
何であるかを「見抜かれ」ました。
私は驚き、見抜いてくれる人がいる事を喜びましたが、
人によっては見抜かれて怖くなって
引いてしまう事もあるらしいのです。
タイミングが大切であるようです。
この、見ぬいて伝える事も含めて、
同情にならずに共感で止めて、患者さんをかわいそうな状態から救い、
幸せへと導く時に、待つ作業が非常に重要なものとなるようです。
個人的体験から、入院治療から退院へと移る際、
私が自分で心穏やかな状態で生きていく事が出来る、私なりの結論に至るまで、
丸々一ヶ月は退院を遅らせて待っていてくれたようです。
入院はストレスです。
できる限りはやく退院したくて仕方なかったのですが、
3ヶ月を越える入院には病院側のメリットはないとのことで、
3ヶ月で転院させる事が多いそうです。
そういう事をしないで病院に置いていて私の心の安定を目指してくれて、
感謝しなければならないようです。
 今回の質問で最初私は「心」を抽象的な観念として
捉えていましたがそれでは話が進まないという事がわかりました。
抽象的でなく、表象から本質の「心」を探り当てる
ような作業を川上先生はしているのです。
また、今回の話の中で笑ってしまった話として、
川上先生は普通の人と話していてもちょっとこの人変だな、
と思う事もあるそうです。
そういう時にちょっと言うと大丈夫大丈夫って言われるし、
血液検査を受けてもらうわけにもいかないし、
非常に困っているのだそうです。
一番大丈夫じゃなかった時に限って
「大丈夫」を連呼した身としては笑ってしまいました。
自分でもちょっと自覚症状があればあるほど
大丈夫と言いたくなるのだと思います。
そのくらい心の病のイメージは悪いし、
精神科は怖いのです。
退院できた今では、きっと心強い友達だろうと思いますが、
その前だったら川上先生と友達になりたくても、ちょっと躊躇してしまったかもしれない、
日常生活でもチェックされてしまうのは嫌だなあ、と思いました。
それにしても血液検査、入院中はよく受けました。
あれで「心」がわかるとは思えないし
何を調べていたのか興味の出るところです。
「精神病は、内科のお腹痛いのと一緒、
精神なんていうのが外にあるわけではないんだし。」
と川上先生は言いますが、私としては「精神病」「心の病」というものが
どういうものなのかまだ納得いっていません。
ただ、「共感」して幸せ探しの御手伝いをする事が
川上流の精神科医療だという事がよくわかった一回目の質問でした。
川上先生はあまり優しい事を言わない人というイメージが
特に病状がひどかった時にあったけれど、
これからは怖い顔をしていてももう怖くありません。
そんな風に今川上先生に対して思っています。


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