断 酒 会

1.「断酒する」ことについて

 禁酒や節酒ならば聞きなれた言葉だと思います。それが「断酒」となると耳慣れない、けれど文字を見ると「酒を断つ」という何か怖くて、威圧的な響きを感じる向きがあるかもしれませんね。  禁酒は、自分からではなくて医師か周囲の他者からの指示・強制によって「禁じられる」ことです。それなら「断酒」とは何なのでしょうか?  常識論からすれば、まずは少しずつ量を減らし、そして最後に止める。つまり「節酒」から「断酒」ということですね。しかし、ここでよく思い出して欲しいのです。そんな器用で、当たり前のことが出来たことがあるでしょうか?             

 私たちもそうでしたが、自分に都合のいい錯覚をしていました。 コントロールのきかない、飲んでいけないと分かっていても飲んでしまうのがアルコール依存症なのです。ですから、節酒や禁酒はアルコール依存症にかかってない「大酒飲み」が、或る一定期間試みる方法であって、アルコール依存症者にはもう無縁の方法です。 もうお分かりだと思いますが、アルコール依存症と診断された時には、どんなに抵抗したって行き着くところ【断酒】しか方法は無いのです。 考えてもみて下さい。 酒の量を調整しました。昼酒を止めてみました。朝酒も止めてみました。ウイスキーをビールに変えてみたことがあります。二日酔いにならないと利いて焼酎にしました。薄めの水割りにしました… 結局のところ、「一滴の酒」が火つけ役になっていたのではないですか?【断酒】しか残されていないことは明白ですね。

 ここまでは、頭で理解は可能だと思います。しかし、酩酊を繰り返してきたのは頭だけではありません。身体も酩酊していました。頭と身体での理解、つまり行動を通して“こころ”からの理解が大事なことになります。

 アルコール依存症は『慢性的な自殺』『否認の病』などの別名を持っていますが、心あたりはありませんか? 自分にとって都合が悪くなればどんなことでも【否認】する、胸に手を当てて振り返ってみて下さい。飲むためならどんな嘘もつき、どんなことでもやってきた私たちです。暴力ははたらいていない。暴言はなかった。会社には行っていた。サラ金の世話にはならなかった。ブタ箱には入ったことがない。ただ寝ていただけ…

 私たちは「アルコール依存症」と診断される前も、されてからも言い続けました。けれど一つひとつは違っていても、同じようなことはやっていたのです。これが【否認】の仕組みです。 入院生活の中で、又或る人は通院だけで、病気の知識とどうして酒を止めることが必要なのかの理由についてはおよその理解が進みました。それが頭と身体での理解が出来、心の底から「分った!」ということになるのには、仲間の支えがどうしても必要でした。 そういう仲間が大勢いる場所が、【断酒会】なのです。