病  歴

 

1988. 8  発病

吹奏楽部のコンクール舞台にて急な動悸に襲われる。死ぬかと思うが演奏が終わると治まる。次の演奏会でも死にそうな動悸に見まわれ、なんと楽器を置いたまま舞台から退場してしまう。

「緊張しただけだと思っていたのに、また起こったらどうしよう」と思うと自由自在?に意志の力で動悸が打つようになる。すぐに精神科へ駆け込んだ。「(能力に見合わない高校を目指すための)受験ストレス」「誰からもいい子に見られたいため」と診断された。薬はほとんどなし。

どこへ行っても何をしても動悸に見舞われ、天地がひっくり返りそうになり家から半径20m以内から出られなくなる。同時に留守番もできなくなる。電車他乗り物に乗れなくなる。2学期からは学校まで親に送り迎えをしてもらうようになった。

 

1988.12  どん底

発病してから両親は「サボっているだけだ」と、泣き叫ぶ私を塾に引っ張ってつれていった。違う!!もう必要最低限のことしか出来なくなり、友達を誘って部活は「サボり」のふりをする。とうとう塾も辞める。毎日毎日、どうすれば楽に死ねるか考え、親に八つ当たりをし、自分でもどうにも収集がつかなくなっていた。

机の引き出しに手を入れて震えを隠し、周囲にばれたくないがために学級委員になったり、気持ちとは裏腹なことばかりしていた。

舞台が怖く、音楽会なども欠席するようになった。以後高校を卒業するまで人前で何かをすることが一切出来なかった。これは一生治らないと思っていた。

1989. 6  いじめ

修学旅行で我が侭が出て、帰ってからクラスの女子半数くらいから無視されるようになる。中心人物とは同じクラス、塾であったので他のクラスの優等生軍団からも「アホになった」と馬鹿にされ、塾を辞めてからも心の友にしていた子から「もう話し掛けないで欲しい」と人づてに言われる。

我が侭を詫び、心から反省したけれども「どうなるか分からない」と返答される。こんなに辛い思いをしているのに、神様はまだ私に重荷を乗せてくるのかと人生の非情さを感じる。けれどもこれまで通り自分らしく振舞っていた。またこの小さないじめに心が向き、症状の辛さが薄く感じらるようになったのも事実。

気がつけば無視していたクラスメートとも打ち解けられるようになっており、反対に人を馬鹿にし続けていた中心人物が干されるようになっていた。「受験ストレスなんだから高校へ入れば絶対治る」と信じて受験までの日々を過ごす。

1990. 2  受験ノイローゼ

滑り止めの私立高校受験。「これで落ちたらどこも行くところがなくなる」そう思うと夜も眠れない。「動悸が起きていつも通りでいられなかったらどうしよう」と心配で心配でたまらない。

祈るような気持ちで受験に挑んだ。試験問題が簡単で「これなら大丈夫!」と自信が持てた。卒業式では好きな人と違う高校になることが悲しくて泣きに泣いた。2日後の公立高校入試は私立に受かっていることもあり、1時間目は手の震えで困ったものの、いつもの力が出せたように思った。もともとの希望校ではないものの無事合格。

 

1990. 6  治癒

高校入学後、しばらくは授業中に「助けて!」と思うことが何度かあった。けれども「高校に入ったら治る」と信じていたためか、本当に受験のストレスから開放されたのか、私はドンドン元気になっていった。

電車に乗って友達とコンサートに出かけ、家族とも旅行をし、薬を飲むことも忘れ、「私はもう治った」と思っていた。楽しい楽しい日々だった。

 

1991. 9  再発

高校2年になり、5時間目の授業中に「そう言えば昔は動悸に悩まされたなぁ」とふっと思い出した。その途端、今までになかったような強烈な動悸に襲われ、席に座っていられなくなる。椅子をギーギー言わせたり筆箱を落としてみたり、挙動不審な態度を取った事と思う。それから頻繁に動悸が起こるようになり、高校に入ってからは授業中だけだった動悸が登下校中・休み時間、時を構わず襲ってきた。家から学校までの距離を意識すると強く強くなった。

「とても大学受験には耐えられそうにないから、3年生の9月に内申点だけで決まる推薦入学にしよう」と高校1年の時から決めていて、欠席はほとんどしていなかったため、這って学校へ行く。辛かった。何回助けて、と心の中で叫び、平静を装ってきたか分からない。

歩いて30分ほどの距離は一人で移動できたものの、後は中学の時と同じになり、動悸は昔よりもずっと強くなっていた。また誰かが私を見ているようで怖かった。

「9月まで、9月までの辛抱」と思い、高校1年の体育が4・後は全て5という成績を残し、推薦入学には敵なし!という状況を保ちつづけた。苦しかった。

 

1992. 9  裏切り

推薦入学希望校K大学へは推薦してもらえなかった。私にとっては学校の裏切りとしか思えなかった。人知れずこんなに苦しい思いをしたのに・・・

それからは無駄な勉強をしてきたことを後悔し、高校へは行かなくなった。お酒を飲み、タバコを吸うようになった。K大学の受験科目だけに絞り、更に大学独自の傾向を分析し、勉強に励んだ。

学校へ行かなくなったことと、学校への恨みで中学時代のいじめと同じように症状は軽減した。「大学こそ最終受験、これで本当に病気ともお別れ」と思うものの、合格する自信は皆無だった。

 

1993. 4  大幅な軽減  

K大学には自力で合格した。電車で15分のところにある。電車に乗るのが怖くてたまらなかった。震えながら先頭車両に乗り、なんとしても一緒に通学できる友達を作ろうと誰彼構わず話し掛けた。一緒に通学できる友達が出来て、必ず待ち合わせの時間に行き、友達がいない時は来るまで待っていた。

そんなことも束の間、通学の電車に慣れて一人で通えるようになった。誰かが一緒ならば各駅停車だけでなく特急電車にも乗れるようになった。人数が少なく密閉感の強いドイツ語の授業を除いては怖いものはなくなった。

海外旅行こそ無理なものの、旅行を計画し新しい友達と出かけたりした。アルバイトもいろいろなことに精力的で、時給が良ければ多少遠くとも通っていた。高校時代の再発から「油断は禁物」という気持ちは常に合ったので、薬は飲み続けた。

また人前に出ることがどうしても出来なかったが、バンドを組んでいたので否応無しに演奏を強いられ、思い切って舞台に臨んでみたところ、なんと少しの緊張だけで終えることが出来た。嬉しくて嬉しくて友達に見つからないように泣いた。以後、人前に出ることは平気になった。これは現在も完全に克服している。

 

1994. 6  乗り物恐怖・摂食障害

彼氏ができた。一人暮らしの彼の家は電車で30分と私には少々辛い距離では合ったし、一人で移動するしかなかった。けれどもそれ以上に「彼に会いたい!」と言う気持ちが強く、頑張って通っていた。だんだん電車の中での恐怖が強くなってきたのでビールを飲みながら電車に乗ったところ、貧血を起こし、立てなくなってしまった。

以後、また電車が怖くなってきた。一人で彼に会いに行くことが出来ず、彼に迎えに来てもらって乗車するようになった。学校へも40分かけて原付で通うようにした。

その彼にふられた。それから何を食べても吐くようになり、最終的に食べてなくとも吐くようになってしまった。体重も60kg近くあったものがたった1ヶ月で45kgになってしまった。彼のことをずっと思っていた。

 

1995. 1 震災

自宅が倒壊し、死に直面した。あれほど待ち望んでいた”死”だったはずなのに、死のうと思ったのはものの数秒ですぐに「生きたい!絶対に死なない!」と思いなおした。そして彼のことを引きずっていたことに時間の無駄を痛感した。摂食障害は克服した。

避難するのに姉と電車に乗ったが、「キャー」と叫ぶほど揺れと音が怖かった。それ以後、現在も電車には全く乗れなくなってしまった。

1995. 5 手首を切る

家を失ってしまい、また電車にも乗れなくなったので学校の近くに一人暮らしをせざるを得ない状況を作ってしまった。

摂食障害は治っていたのに、体重は減る一方で倒れたりしていた。近くに親戚がいたが冷たくあしらわれ、不安と震災後の恐怖に悩まされた。

「一人で暮らしていて、苦しくなったらどうなるんだろう?」と考えた途端、部屋で苦しみだした。しかも今までになかった強烈な動悸。薬を飲んでも治まらない。「意識があるのに救急車を自分で呼ぶなんておかしいと思われる」

私が咄嗟に取った方法は包丁で手首を切る、ということ。ただ死にたくはなかったので手の甲のほうを切る。動悸は益々ひどくなり今度はホッチキスで指をはさむけれども、救急車を呼ぶほどの出血がない。

薬を大量に飲み、布団の中で「助けて」と唱えながら小さくなっていた。

 

1995. 8 安心

手首切りの一件から家族と一緒に暮らせるようになる。嬉しかった。とてもとても。夜がこんなに安心して寝られるものだとは思ってなかった。

また彼氏も出来た。今まで付き合ってきた人たちには嫌われるのが嫌で絶対に病気のことを話せなかったが、この人とは続いても3ヶ月くらいの気持ちだったので打ち明けた。

それが良かったのか、これまでは「家族でないと絶対に遠出できない」と思っていたのに彼とならいろいろな所へ行けた。家族と同じように信頼できる人が世の中にいることを教えられた。

 

1997. 4 就職

電車に乗れないことを承知で雇ってくれる会社があり、出来る範囲で一生懸命働いた。たまに苦しくなることもあり、そういう時はトイレに駆け込んでタバコを吸っていた。

仲間の誰もが私は電車に乗れないだけ、と思っていた。本当は他にもいろいろあったけれども言わなくてもばれない状況だったのでそのまま仕事をした。

仕事に集中したり眠くなれたりしてとても嬉しかった。

 

1998. 6 鬱

家族同等の信頼感を持っていた彼に突然ふられた。しかも転居することになり、会社を辞めなければならなくなった。

転居してからは友達もなく、仕事もなく、島流しに遭ったようで鬱状態。何をするにも気力がなく涙ばかりがあふれた。帰りたいけれども一人で暮らす勇気はない。

新しい町を覚えようとドライブを始め、少しずつ遠出できるようになる。友達もできた。

1999. 1 最悪の状態

新しいことを始めよう、とインターネットで見た気功療法をすることになった。別ページでも詳しく書いているように症状はドンドンひどくなり、少しの外出にも恐怖が襲い、薬も効かなくなってしまった。

家から5分のところですら怖く、薬とアルコール漬け。それでも効かない。

消えてなくなりたかった。

 

1999.10 回復へ

気功を止めてからもなんの進展もない憂鬱な毎日を過ごしていた。友達とも遊びに行けなくなっていたので一人ぼっち。

そんな時に彼氏が出来た。私の病気を承知した上で付き合ってくれることになった。それから本当に亀の歩みのように少しづつ少しづつ外出できるようになってきた。たまに調子が悪くなるけれども仕事中もほとんど動悸が起こらなくなっている。

 

2000. 5 新しい治療法

インターネットにて森田療法を学ぶことにした。厳しい理論だと思う。頭でわかっていても実践する勇気がない。

今は実践する勇気がなくとも、また亀のようにゆっくり進んでいこうと思っている。

現在も乗り物恐怖、外出恐怖、広場恐怖があるけれども少しでも減るように焦らず努力したい。

 

  

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